高島屋創業190周年記念展「建築家・坂倉準三と高島屋の戦後復興」を開催

日本橋高島屋では、創業190周年を記念し、展覧会『建築家・坂倉準三と髙島屋の戦後復興-「輝く都市」をめざして―』を2021年9月15日から開催する。建築史家・京都工芸繊維大学教授の松隈洋 監修のもと、文化庁国立近現代建築資料館や髙島屋史料館所蔵資料、また新たに制作した模型・CG(京都工芸繊維大学大学院松隈洋研究室制作)等で坂倉の足跡を辿る。

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新宿西口広場・地下駐車場(1966年)文化庁国立近現代建築資料館所蔵

本展では、坂倉と高島屋の仕事が、のちに彼が取り組んだ都市デザインの代表作といわれる渋谷「東急会館」(1954)や「新宿西口広場・地下駐車場」(1966)へと接続し、坂倉の都市デザインの礎をつくったこと、また、坂倉が高島屋と協働し、多くの人々が集まる百貨店という公共空間をどのように快適で美しい空間へと創造してきたかを紹介する。

坂倉準三と高島屋との出会い

日本の高度経済成長期に呼応し、神奈川県立近代美術館、新宿駅西口広場など数々の建築物を手掛けた坂倉準三(1901-1969)だが、高島屋の戦後復興と関わりがあったことはあまり知られていない。1929年に渡仏した坂倉は、モダニズム建築史上最も重要な建築家の一人であるル・コルビュジエに学び、1937年に開催されたパリ万国博覧会で「日本館」を設計。そして「日本館」に出品していた高島屋と出会うこととなる。

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坂倉準三とル・コルビュジエ(1955年)、文化庁国立近現代建築資料館所蔵

坂倉準三による高島屋の仕事

1948年には「高島屋和歌山支店」、1950年には「高島屋大阪難波新館改増築(ニューブロードフロア)」の仕事で大成功をおさめ、1957年の「南海会館」の設計へとつながっていく。高島屋での仕事を通じて、戦後の高度経済成長と大衆消費社会に向かう中、坂倉は都市への人口集中、交通の混雑、商業施設の大型化等、複雑化する機能をはじめ、諸条件をどこまでも合理的に解決することに挑んだ。

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南海会館付近鳥観図 文化庁国立近現代建築資料館所蔵

高島屋和歌山支店

戦後間もない1948年に、坂倉と高島屋との初めての仕事として竣工された高島屋和歌山支店。まさしく戦後の苦難を乗り越えて設計された木造建築で、延べ1,300㎡ほどの小規模な百貨店ながらも、バタフライ屋根とその下に広がるスロープ空間が、都市的な視点から発想されており、調和のとれた近代的な百貨店空間を印象づけるものになっている。

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高島屋和歌山支店断面図(50分の1)、文化庁国立近現代建築資料館所蔵

高島屋大阪難波新館改増築(ニューブロードフロア)

坂倉が初めて取り組んだ交通空間と商業施設の複合建築として、1950年に高島屋大阪難波新館改増築(ニューブロードフロア)を竣工。延床面積が1万㎡を超え、南海難波駅の高架下を高島屋の売場に改築するという困難な仕事にあったにもかかわらず、坂倉は大変な熱意をもって、わずか70日間の突貫工事で実現した。

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高島屋大阪難波新館改増築(1950年)、高島屋史料館提供

坂倉と高島屋の関わりは建築に留まらない。シャルロット・ペリアンとの交流を通して、1941年には日本橋高島屋で「ペリアン女史日本創作展覧会 2601年住宅内部装備への一示唆 選擇・伝統・創造」展を、1955年には「巴里1955年―芸術の綜合への提案―コルビュジエ、レジェ、ペリアン3人展」が開催されるに至った。

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「ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン3人展」図録(1955年) 高島屋史料館所蔵

『建築家・坂倉準三と高島屋の戦後復興-「輝く都市」をめざして―』開催概要

会期2021年9月15日(水)~2022年2月13日(日) ※12月15日(水)より一部資料の展示替えあり
会場日本橋高島屋S.C. 本館4階 高島屋史料館TOKYO
開館時間11時~19時、休館日:月・火曜日・年末年始[12月27日(月)~2022年1月4日(火)
ウェブページ高島屋史料館TOKYOホームページ

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