町家とともに存在する「路地」の存在を生かそうと作られた新たなコミュニティースペース「共創自治区CONCON」
ここ数年、SDGsの普及とともに改めて注目を集めているリノベーション施設。特に京都の町家をリノベーションした住宅や宿泊施設は国内外からの注目度も高い。その一例に挙げられるのが、昨年のDezeen主催の「Dezeen Awards 2020」にて「ホテル・ショートステイ インテリア部門」ショートリスト(世界トップ5)入りを達成した「Maana Kamo」。魚谷繁礼建築研究所が設計を手がけたこの宿泊施設は、京町家の伝統美を昇華したそのデザイン性が高く評価された。このように注目を集める「町家」。しかし、その景観は街並みから日々失われつつある。本記事では、「Manna Kamo」を手がけた魚谷繁礼氏が設計に携わり、町家とともに存在する「路地」の存在を生かそうと作られた新たなコミュニティースペース「共創自治区CONCON」について取り上げる。
「共創自治区CONCON」は、木造長家3軒と大小のコンテナ19基を組み合わせ、全体をひとつの建築として再生させた珍しい建築である。風景の異形さは容易に想像がつくが、実際に訪れてみると身体は違和感をそれほどは感じていないことに気づく。今回はメールで、Nue inc(コンセプト/デザイン)の松倉氏、川端組(コンセプト/リーシング)の川端氏、魚谷繁礼建築研究所(建築)の魚谷氏に「共創自治区CONCON」の立ち上げ背景から、実際に建物が出来上がるまでの課題、並びに「共創自治区CONCON」の今後についてインタビューさせて頂いた。
伊藤:町家が減少し、京都の人々にとって馴染みのある風景がなくなっていっていることが問題視され始めていますが、「共創自治区CONCON」もそのような背景からプロジェクトが始まったのでしょうか。
松倉:京都在住の人間からすると、馴染みの風景は既になくなっていたという人が多いと思います。ランドスケープとしても残された風景は徐々にその姿を消しています。CONCON立ち上げには様々な思いがありますが、精神的な京都の景勝は意識して立ち上げています。例えば、京都の地蔵盆はどの町もとっても賑わいがあり、目指すべきコミュニティの原風景だと思います。CONCONがある式阿弥町も同様です。京都は小さな町で、無数のコミュニティが村化しています。東西南北様々なコミュニティが存在しており、CONCONもその一つでありたいと思っています。コワーキングスペースやシェアオフィスが増える中、私たちはコンテナや町家の中に個性豊かたな様々な組織が入っています。通常であれば、同じ場所にいるが分断されがちな状態を不思議とCONCONは一つのチームになっています。
これは開発チームが当初から考えていたスイミーのような存在を目指すという意識の現れだと思います。小さな存在でも一つの巣を共にし共闘/協業していける仲間を探しました。コンテナと町家というハイブリットな空間が誕生しましたが、次の京都の一つの原風景になれたらと考えています。
伊藤:なぜ「コンテナ」を使うという発想に至ったのでしょうか。
川端:まず、単純に、コンテナの持つインダストリアルな雰囲気がかっこいいと思いました。そして、そもそも、建築素材ではない素材をあえて使用することで、建築の可能性を広げてくれるかもしれないと、そのモジュールに興味を持ったのがきっかけでした。実際に素材としてコンテナを使用できないかと考えたとき、世界各地のコンテナを用いた建築を調べました。 なぜなら、日本の建築基準法では、輸送コンテナを建築に使用することが原則、できないということを知っていたからです。何か方法はないのかと。そして、リサーチを通じて、その規制にチャレンジする価値は十分にあると考えました。また、日本の中でも建築の規制の厳しいと言われる京都の街中で、建物にコンテナを使用することが合法にできたら、新しい価値創造にもつながるのでは、という未来へのワクワク感や刺激を求めていたからという理由もあります。
伊藤:長家とコンテナ、この二つの素材を組み合わせる方法も特殊ですが、なぜこのような形になったのでしょうか。
魚谷:市街地形成過程における都市遺構として「長家」と「路地」を生きたまま継承したいという思いが我々にはあり、ただ厳しい法規制・限られた予算やスペースのなかで建築物を作らなければならない。それらの課題を抱えたなかで考えついたのが、「長家に鉄骨フレームを架けて海洋コンテナを設置する」という方法でした。こうすることでどんなメリットがあるかというと、まず、鉄骨フレームをかけた形にすることでここに回遊性をもたせることができます。現在の京都旧市街の街区現況を立体的に愉むことができます。また、そもそも長家はバラックなので、組み合わせる物があまり強いものだと長家が負けてしまいます。しかし、その点コンテナは絶妙の仮設性やバラック性を有する素材のため、ちょうど良い存在でした。その上、コンテナはコスト面のメリットが大きく予算の課題解決にも貢献しました。こうした理由で最終的に今の形を採用することになったのです。
伊藤:日本の建築基準法や京都の建築規制が大きな課題だったとのことでしたが、具体的にはどのような課題に対して取り組まれたのでしょうか。
魚谷:例を上げれば、きりがありませんが、まずコンテナの使用においては、JIS規格のない海洋コンテナをいかに建築で使用するかというポイントが大きな課題でした。そして、京都の建築規制については、旧市街に指定されているエリアでいかに景観条例をクリアするかの問題がありました。もちろん課題はこれらだけではなく、路地と長家を生きた都市遺構として継承するため、防火地域においていかに外壁のない建築を実現させるかといった点も課題となりました。これらの解決策をひとつひとつ考え、この建物が完成しました。
伊藤:今後どのようにこの施設を維持していきたいとお考えでしょうか。
松倉:建物や住居は人がいてこそ長く維持できると考えています。それは物質的にも精神的にも。施設を維持という考え方とは少し違いますが、CONCONという生態系をみんなで育んでいる状況が今あります。作ったメンバーだけではなく、ここに入居する・遊びに来る仲間たちが、この施設を維持している不思議な状態です。入居メンバーの中に2名立ち上げメンバーがいますが、最も意識しているのが私たちがここに永住しないことです。この育てたコミュニティを有機的に成長させていくには、次の世代に緩やかにバトンを渡していくことだと開発当初から話し合っていました。実はCONCONの中には式阿弥町のおじぞうさんがいます。大きな建築の中に小さな建築のように存在している、この街の守神みたいな存在です。人が入れ替わっても守り神の下でさまざまな人がこの場所を未来に繋いでいく。そんな空間になってくれたらと考えています。
効率化が求められる一方で、限りある資源や人とのコミュニケーションが問われるなかで、「共創自治区CONCON」はこれからの在り方の一例を私たちに示してくれているのかもしれない。