瀬戸内国際芸術祭2022 岡山の宇野港レビュー
前回に引き続き、瀬戸内国際芸術祭2022春会期のレビューをお届けいたします。今回は本州側の玄関口である、岡山の宇野港会場の情報です。
宇野港会場について
宇野港会場では宇野駅に案内所があり、そこでチケットやガイドブックの購入・引換、各会場への行き方の相談などをすることができます。
また、宇野港会場に展示されてある屋内作品を鑑賞するためには、宇野駅の案内所で検温を行い、検温したことを証明するリストバンドをつけてもらう必要がありますので、忘れずに検温してもらいましょう。
案内所横の公式ショップには芸術祭公式グッズなどが売られている他、「汐まち玉野 食プロジェクト」として UNO HOTEL が提供する「白桃を食べて育った桃鯛と瀬戸内パエリア」と KEIRIN HOTEL 10 が提供する「桜海老と瀬戸内海苔の2色のしおさい弁当」の2種類の弁当(各1500円)が売られているので、食事に迷ったらお弁当を買って公園やフェリー乗り場近辺にある屋外作品を見ながらご飯を食べるのもおすすめです。
ちなみに、現在宇野港から出ているフェリーは直島行きと豊島・小豆島行きのみになっており、高松港への直行便は出ておりませんのでご注意ください(直島や豊島を経由して高松や犬島へ行くことは可能です。詳しくは瀬戸内国際芸術祭2022公式ホームページの東部の島への航路と時刻表をご参照ください)。
宇野港会場の作品について
宇野港会場には10作品が展示されています。その内、小沢敦志の「船底の記憶」(展示番号 un02)、「終点の先へ」(un03)、淀川テクニックの「宇野のチヌ/宇野のコチヌ」(un04)、エステル・ストッカーの「JR宇野みなと線アートプロジェクト」(un05)、内田晴之の「海の記憶」(un08)の5作品は以前から展示されている屋外常設作品であるため、芸術祭期間外でも鑑賞することができます。
今回新しく宇野港会場に展示される作品はムニール・ファトゥミの「実話に基づく」(un10)、長谷川仁の「時間屋」(un11)、片岡純也+岩竹理恵の「赤い家は通信を求む」(un12)、アイシャ・エルクメンの「本州から見た四国」(un13)、金平徹平の「S.F. (Seaside Fiction)」(un14)の5作品です。
「本州から見た四国」と「S.F. (Seaside Fiction)」の2作品は夏会期からの展示となるので、春会期はまだ鑑賞できません。
長谷川仁の「時間屋」は塩と時間をモチーフにしたインスタレーション作品です。
入ってすぐの受付の横の部屋には、宇野でかつて行われていた入浜式塩田や古代の製塩土器など、塩にまつわる歴史が展示され、奥の部屋には塩が流れ落ちる静謐な空間がインスタレーション作品として作り上げられています。
鑑賞者は流れ落ちる塩を受け止めることによって時間を量的に体感することができ、受け止めた塩を購入することによって「時間」を持ち帰ることもできます。
片岡純也+岩竹恵里の「赤い家は通信を求む」は道から少し奥まったところにある家を会場にしてあるので、見落とさないようにご注意ください。
家の中に入ると、いくつもの古い地球儀が歯車のように連動して回る作品をはじめとしたキネティック・アート(動く作品)や、写真と古い薬箱やマッチ箱などが組み合わされたコラージュ作品など、「連動している」インスタレーションが広がっています。
動きのある作品が多く、それらを眺めているだけでも楽しい時間を過ごせますが、それぞれの作品が何とどう結びついているのか考えながら鑑賞するのも面白いでしょう。
ムニール・ファトゥミの「実話に基づく」は、40年前に廃業した古い木造洋風建築の病院に、パリの郊外で1930年代の建物が取り壊される様子を撮影した映像や写真を展示したインスタレーションです。
会場となっている古い洋風木造建築の病院自体とても趣があり美しく、そこに展示されてある写真や映像も見応えがありますが、この作品を鑑賞するにあたっては作者であるムニール・ファトゥミの経歴や作品についての予備知識があるとより鑑賞を楽しめると思います。
ムニール・ファトゥミ( Mounir Fatmi )は1970年モロッコ生まれ、現在はモロッコのタンジェとフランスのパリを拠点に活動しているモロッコ人作家です。
病院内に展示されてある写真と15本の映像は「Architecture Now! Etat des lieux, 2010–ongoing」(日本語直訳:建築は今! 再生状況、 2010年~継続中)という映像作品のシリーズにまつわるものです。
会場で最初に掲げられている解説には、ムニール・ファトゥミが展示されている映像を通して、1930年代の「病める」建築の問題を日本の芸術祭の文脈で提示するというコンセプトが示されています。
しかし、この解説に書かれてある内容だけでは1930年代の建物が時代遅れであり、フランス国家によって消滅させられようとしていることしか分からず、もう少し詳しく背景を説明しないと日本人には作家の意図を汲み取ることが難しいのではないかと思われます。
1930年代のフランスは第一次大戦(1914~1918年)と第二次世界大戦(1939~1945年)の間にある戦間期の終わり頃にあたり、第一次世界大戦直後から作られ始めたコンクリート製の低価格住宅や中産階級向けの住宅が一般市民に普及していった時期になります。つまり、ここで示されている1930年代の建築とは、日本で言うところの昭和に建てられたコンクリート製のボロアパートや団地のようなものだと考えると分かりやすいかもしれません。
国境を越え、都市部を目指して多くの人が移動していくヨーロッパでは、そうした家賃の安い都市外れの古いボロアパートなどにお金のない移民や若者が住み着きます。
しかし、住み着く人が増えるほど家賃の相場は上がっていき、古い建物は取り壊されて新しく建て替えられ、お金のない若者や移民はさらに郊外や地方へと押し出されていくジェントリフィケーションという現象が起きます。
まさにこのジェントリフィケーションがパリの郊外で進行している様子を、自身もパリの中でモロッコ人移民という立場にある作者が映像や写真におさめることで、移民のイメージと、破壊され新しいものに置き換わる建築物の問題に取り組んでいるのが Architecture Now! という映像作品のシリーズなのです。
ジェントリフィケーションによって駆逐されていく1930年代の建物を「病める患者」と見なして、病院という場に展示したのが今回の「実話に基づく」という作品だと解釈できます。
解説には「ムニール・ファトゥミは、ある時点で建築も身体と同じように病み、死んで完全に消えてしまうことがあると示したいと考えています」とありますが、木造建築が多く、都市開発に巻き込まれなくても放置していれば勝手に家が朽ち、災害でも簡単に壊れてしまうことを目の当たりにしている私たち日本人からすれば、建築も体と同じように病んだり死んだりするのは当たり前のことであり、それをわざわざ伝えようとしていることに少し違和感を覚えます。
これは、地震などの災害が少なく、戦争や都市開発で取り壊されたりしない限り建物がそのまま残り続けることが当たり前の石造りや煉瓦造り建築を主としている文化圏との感覚の違いが、作家の意図とは少し異なるかたちで表れているからではないでしょうか。
むしろ、本来であれば、長期間放置されて瀕死の状態でもおかしくないはずの西洋風木造建築の病院の保存状態の良さに、鑑賞に訪れた多くの人が驚きます。
どこまでが作家の意図した通りなのかは分かりませんが、「自然には朽ちないコンクリート建築が壊されていく映像」と「本来なら朽ちていてもおかしくないのに残っている木造建築」という対比は、作家の狙った「異質な雰囲気を再現する」ことに大きな効果を発揮していると言えるでしょう。
コロナ禍ということもあってか、今回は作家本人は来日しないまま、制作スタッフとビデオ通話を重ねながら展示が行われたそうです。
ムニール・ファトゥミの作品は2016年の瀬戸芸で公開された「過ぎ去った子供達の歌」(aw07)も粟島会場の旧粟島小学校に展示されており、こちらは学校という場を生かしたサイトスペシフィックなインスタレーション作品に仕上がっています。現在病院に展示されている「実話に基づく」も異質な雰囲気が良い作品ですが、作家が実際にこの病院に訪れて作品を制作していたら、きっとまた異なるインスタレーション作品が作られたであろうことを考えると、そちらの作品も見てみたいという思いに駆られます。
ちなみに、粟島の「過ぎ去った子供達の歌」は秋会期にご覧になることができます。