アーティストの多様化・多角化を理解するために

近年、国際的な展覧会でアメリカやヨーロッパなどの西洋諸国以外の国にルーツを持つアーティストが占める割合が多くなってきています。

ドクメンタ15をめぐって - ユダヤ人への贖罪と表現の自由の間で揺れるドイツでも書かせていただいたように、ドイツのカッセルで行われたドクメンタ15にて、インドネシアのアート・コレクティブ(ソロでも活動するアーティストの集まり)であるルアンルパがアジアから初めてディレクターに抜擢され、「ルンブン」というモットーと「芸術じゃなくて、友達を作ろう」というスローガンを掲げ、グローバルサウスと呼ばれるアフリカ・アジア・南米などの現代資本主義のグローバル化によって負の影響を受けている場所や人々から多くの作家が選ばれたことも記憶に新しいです。

現在でも主な国際展の多くがヨーロッパやアメリカの都市部で開かれ、アーティストやキュレーター、ギャラリストの多くが西洋諸国に拠点を持って活動していることに変わりはありませんが、西洋諸国を中心とした先進国が政治的・経済的な行き詰りを見せていき、後進国と呼ばれていた国々が勢いをつけていく中、かつての植民地政策や現在も行われている国際的な搾取構造への批判や反省の声が高まり、脱西洋中心主義や多様化の風潮が生まれていることも西洋以外にルーツを持つアーティストの起用を後押ししているのでしょう。

大多数が日本で生まれ、日本で育つ私たち日本人には実感しづらいことですが、親もしくは本人が移民や難民であるなどの複雑な生い立ち持つ人が世界的に増え、アーティストやその作品について紹介する際、「〇〇人アーティスト」などのように簡単に説明することが難しいと感じることも多くなってきています。

展覧会などに表示されている作家のプロフェールやキャプションには作家の出身国と現在活動の拠点にしている国などが表記されていることが多いのですが、後で調べてみるとプロフィールやキャプションに書かれていた情報はほんの一部で、そこに書かれていない作家の生い立ちや国際的な背景を知っているか否かが作品への理解度を大きく左右するという場合も珍しくありません。

また、アジア圏やアフリカ圏の作家も増えてきていることで、今までアートを鑑賞する際に重視されていた西洋を中心とした美術史に関する知識だけでなく、世界の歴史や情勢に関する知識も問われる機会が増えています。

たとえば、STILL ALIVE国際芸術祭あいち2022にも参加していたベトナム出身の作家トゥアン・アンドリュー・グエン(Tuan Andrew Nguyen)は、ローカル・ヒストリーの調査や当事者との協働によって映像インスタレーションや彫刻的オブジェを制作するアーティストであり、彼が国際芸術祭あいち2022に展示した2つの映像作品《先祖らしさの亡霊》と《ザ・ボート・ピープル》は、それぞれベトナムやインドシナの歴史をテーマにした作品です。

adf-web-magazine-tuan-andrew-nguyen

トゥアン・アンドリュー・グエン(Tuan Andrew Nguyen)の作品《先祖らしさの亡霊》の一部

フランスによるベトナムの植民地化の歴史をもとにした映像作品《先祖らしさの亡霊》では、ベトナム人とセネガル人の血を引く3人の子孫によって書かれた、彼らの両親や祖父母との想像上の対話で構成された物語が展開されています。

20世紀の半ば、フランスの支配に激しく抵抗するベトナムの人々を鎮圧するために、フランスの植民地であった西アフリカのセネガルから多くの兵士がベトナムに派遣されました。1954年のディエンビエンフーの戦いでフランスが大敗を喫し、ジュネーブ休戦協定に応じてフランスによるベトナム支配が終わりを告げると、インドシナに駐留していたセネガルの兵士たちは、ベトナムにいる間に作った妻や子供たちと共に西アフリカへ帰還したり、ベトナム人の妻は残して子供だけを連れて帰ったりしました。

ベトナム人とセネガル人の血を引いていることによって複雑な思いを抱いている子孫たちは、その思いの丈を親や祖父母に向かって語りかけます。

会場に設置されている四つの画面にはベトナム人とセネガル人の血を引く子孫たち本人によって語られる言葉や、記録的な映像、役者たちによって演じられた対話などが映し出され、単なるフィクションでもドキュメンタリーでもない、輻輳的な歴史が綴られた深みのある映像作品を鑑賞することができました。

adf-web-magazine-boat-people

トゥアン・アンドリュー・グエン(Tuan Andrew Nguyen)の作品《ザ・ボート・ピープル》の一部

《ザ・ボート・ピープル》は、人類が滅亡した未来のフィリピン・バターン州(とかつて呼ばれた場所)を舞台に、船で旅をする5人の少年少女が、過去の文明の遺物たる仏頭と出会い、仏頭との対話を通じて世界の断片を知るという物語の映像作品です。映像の中には米国統治時代における同化政策の際の教科書や、太平洋戦争勃発後に上陸した日本軍の武器など、過去の人間たちが残した遺構が少年少女たちによって見出されていきます。

また、「ボート・ピープル」は1970年代以降にベトナム・ラオス・カンボジアなどの国々が社会主義体制となった際に、ボートに乗って国外へと逃走した難民の人々を指す呼称でもあり、この作品の舞台となっているバターンは、難民の人々が新しい受け入れ国へ向かう前に滞在する難民収容センターのある、ボート・ピープルの停留の地でした。

そして、人類が滅亡した未来を船で旅する少年少女と、かつての難民たちのふたつの「ボート・ピープル」が重なり合う物語がスクリーンに投影されているその横には、ボート・ピープルがバターンに渡るために乗った船を象った彫刻が床の間に展示されていました。

STILL ALIVE国際芸術祭あいち2022にてトゥアン・アンドリュー・グエンの作品が展示されていた瀧田家の住宅は、かつて廻船問屋として栄えた家であり、建物内には海運業の歴史を示す資料が展示されています。

キャプションには、作品の説明や歴史的背景の補足説明のほかに、会場を選んだ企画側の狙いとして “海上を人や物を乗せて運んだ廻船と、人々の移動が生んだ複雑な歴史を主題とするトゥアンの作品は、響きあって日本とベトナムの歴史をつないでいます。” と書かれていましたが、瀧田家に展示されている資料と彼の作品との間には明確なつながりはなく、提示されている情報からは船や海運を共通点とする連想までが限界で、日本とベトナムの歴史につながりをしっかりと見出せた人は少なかったのではないかと思います。

しかし、《先祖らしさの亡霊》も《ザ・ボート・ピープル》も、歴史的背景に関する詳細な説明はありませんでしたが、作品の題材となっている出来事は日本とも歴史的に大きなつながりのあるものです。

たとえば《先祖らしさの亡霊》の題材となっているベトナムをはじめとしたフランスによるインドシナ連邦の植民地化の歴史を見てみましょう。

1858年、キリスト教の宣教師殺害に対する賠償を口実にフランスのナポレオン3世がスペインと共同でインドシナへの出兵(フランス・ベトナム戦争)を開始し、ベトナム・ラオス・カンボジアなどのインドシナ連邦を植民地化していきます。フランス植民地下のベトナムで反仏蜂起が盛んになった1905年から09年頃にかけて、日露戦争に勝った日本に学ぶために日本への留学を推奨する「東遊(ドンズー)運動」をベトナム民族運動の指導者ファン・ボイ・チャウが提唱し、多くのベトナム青年が日本へ留学しました。

しかし、1907年に日本がフランスと日仏協約(フランスのインドシナ支配を認める代わりに日本の韓国・台湾・満州南部の支配を認めさせるもの)を締結したため、日本政府は反フランス活動の取り締まりや日本にいるベトナム人の国外追放を行いました。

そして1940年、第二次世界大戦でドイツ軍がフランスを占領したことを受けて、日本軍はフランス領だったインドシナ北部(北ベトナム)に進駐、これにより日本軍の南進を警戒するイギリス・アメリカとの対立が深まり、真珠湾攻撃や太平洋戦争での日米全面対決に発展していきます。

ベトナムは1941年7月から日本が敗戦する1945年3月までの期間、フランスと日本の二重支配下に置かれていました。日本がベトナムから撤退した後の1945年9月、ホー・チ・ミンの指導するベトナム民主共和国が独立すると、46年からフランスは植民地支配の復権をねらい、それを阻止しようとするベトナムとの間に第一次インドシナ戦争が起き、作品の題材となっているセネガルからの派兵に繋がっていきます。

また、《ザ・ボート・ピープル》の舞台となっているバターンは、第二次世界大戦時の日本軍によるフィリピン侵攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍の捕虜が、捕虜収容所にまで向かう移動の際に多数死亡した「バターン死の行進」が起きた場所としても有名です。

そして題材となっているボート・ピープルと呼ばれる難民たちは日本にもやってきており、ボート・ピープルが日本にやってきたことがきっかけで当時まだ難民条約に加入していなかった日本でも難民問題に関する議論が急速な高まりを見せ、昭和56年6月の通常国会において、難民条約・議定書への加入が承認され、昭和57年1月1日から難民条約・難民議定書が日本について発行されることになり、新たに難民認定制度が導入されました。

外務省が公表している1978年以降の日本でのボート・ピープルの定住受け入れ数は3536人。そのほかの海外難民キャンプ滞在者や元留学生などのインドシナ難民も含めると、1万1319人もの難民の定住が日本に受け入れられました。

この2つのトゥアン・アンドリュー・グエンの映像作品は、いずれも予備知識なしで見ても十分理解できるものですが、題材となっている歴史についての知識があれば作品への理解もより深まり、他国の歴史の物語ではなく、日本とも繋がりのある出来事として感じられるでしょう。

また、鑑賞時に知識がなかったとしても、後から調べて知識を得ることによって、日本とベトナムとのつながりを知り、新たな角度から世の中を見るきっかけともなりえます。

瀬戸内国際芸術祭2022春会期 宇野港レビューで紹介させていただいた、モロッコ出身でモロッコのタンジェやフランスのパリを拠点にして活動しているアーティストであるムニール・ファトゥミ(Mounir Fatmi)の《実話に基づく》という作品は、モロッコとフランスの関係やフランスで生活する移民に関すること、フランスの建築事情などを知っているか否かで作品への理解度が大きく異なります。しかし会場に掲示されているキャプションには詳しい説明は書かれていませんでした。

adf-web-magazine-fatmi

ムニール・ファトゥミ(Mounir Fatmi)の作品《実話に基づく》の一部

キャプションなどの解説文はアーティスト本人が書くこともあれば、企画側のキュレーターやギャラリストなどが書く場合もあります。いずれにしても何をどこまで説明するかということに関しては、アーティストの意向が大きく反映されるものですが、あまりに説明しすぎると解釈の余地が作品から損なわれてしまうため、大抵の場合、アーティストは説明しすぎないギリギリのラインを攻めながらキャプションに作品への理解を深めてもらうためのヒントを散りばめていきます。

しかし、よく知らない国での展示では一般的な鑑賞者の教養水準や常識の内容もよく分からないため、そのギリギリのラインを攻めることが難しく、説明不足なキャプションになりがちです。そこをフォローして補足の説明を付け加えていくことがキュレーターやギャラリスト、アート雑誌等の記者や批評家などの仕事でもあります。

ただ、日本は現代アートや他国の歴史や情勢などに関しては詳しくない人が多く、鑑賞するために予習したり鑑賞したあとに調べたりする習慣も浸透していないため、かなり説明しないとアーティストが作品で伝えようとしていることや作品の良さが伝わらず、「現代アートは意味がわからない」という感想で終わってしまいがちです。

日本では感覚や好き嫌いだけで作品を鑑賞する人が大多数ですが、それは英語が分からないまま英語の歌を聴いているようなもので、英語を理解せずに曲を聴いて素晴らしいと思うこともあるでしょうが、それは作品の一部分だけを評価しているにすぎません。英語が読めるようになって歌詞の意味が分かれば、よりその歌に関する理解が深まるでしょう。また、英語が読めなければ意味不明な記号の羅列でしかない小説も、英語が読めると内容が理解できて物語に感動するように、意味不明な現代アートもただ作品の見方が分かっていなかったり知識が足りていなかったりするだけということが珍しくありません。

もし鑑賞しても良く分からない作品があったら、作品やキャプションに書かれている内容だけから作品を理解しようとするのではなく、それらをヒントに少し調べてみてはいかがでしょうか。作家の出身国や拠点にしている国の歴史や情勢、関係性、作品に引用されている過去作や故事、作家の生い立ち、批評家などによる解説など、情報を集めてから改めて作品を見ると意味不明だと感じていた作品から何らかのメッセージを受け取れるようになれるかもしれません。

アジア圏やアフリカ圏のアーティストが増えてきて、作家に関する背景がより多様化・多角化してきたということは、現代美術に関する歴史やコンテクスト(文脈)を知らなければ理解できない作品の多かった西洋的な現代アートに、複雑化していく世界情勢をアートという側面からも読み解いていこうとする要素が加わっているということであり、それだけ作品を理解するための取っ掛かりや解釈の幅も増えてきているとも言えます。

今まで現代アートに興味がなかった人も、自分の興味のある国に関係のある作家が、どういう作品を作り、どういうメッセージを発しているのかという視点で見てみるのも面白いでしょう。


pwa