古民家での暮らしVol.8: 日本家屋と建具の芸術
前回の投稿でも述べたように、昔ながらの日本家屋には美術品を飾ることのできる壁面や空間が少なく、美術品を飾る場所としては主に床間が用いられてきました。しかし、床間の周辺以外に美術品がなかったかというと、そうではありません。
日本の家は美術品を飾る場所が少ないかわりに、襖や屏風に絵を描いたり、彫刻を施した欄間という建具を設置したりするなど、絵画や彫刻を家の一部や家具の中に取り入れている場合が多くあります。襖や欄間など日本独特の建具に施された装飾や芸術作品は日本の建築や芸術について触れる上で欠かすことのできない項目と言えるでしょう。俵屋宗達の風神雷神図屏風や狩野探幽の四季花鳥図など、日本人画家の手による屏風絵や襖絵は世界的に高く評価されています。
屏風はもともと中国発祥のものであるため中国や韓国にも存在し、屏風絵を日本特有の文化として紹介することは適切ではありませんが、日本では少なくとも平安時代のころから催し事などに応じて部屋を屏風や襖などの衝立で仕切って部屋の用途を変えていた習慣があり、室内空間を演出するための芸術品として襖や屏風は重要な役割を果たしていました。
目的や催し事に応じて部屋の用途を変えるという風習は近現代の日本建築にも残っており、隣接し合う和室の間にある襖や障子などを全て外すことで、複数の和室をつなげて一つの大広間として使用することができます。現在ではあまり見かけなくなりましたが、都市部以外ではほんの数十年前まで家で冠婚葬祭を行うことが普通で、沢山の人を家に招き入れるために家中の建具を外して大広間を作っていました。
襖は木などでできた骨組みに紙や布を貼って作られた日本家屋に用いられる扉で、無地やシンプルな柄が入っているものから絵が描かれているものまで様々です。また、引手のデザインも豊富で、二条城の帳台構えに使用されている襖など、高級なものになると引手に房ががついている場合もあります。
ちなみに襖は襖障子や唐紙障子とも言い、現在障子と一般的に呼ばれているものは細い木の格子の片面に紙を貼った明かり障子を指すことが多いのですが、障子とは本来ふせぎ隔てるものという意味であり、衝立障子・板障子・襖障子・副障子・杉障子・明障子など様々な障子が存在しました。
公家による貴族社会の栄えた平安時代には、中国の故事など渡来文化をモチーフにしたエキゾチズムや教養の高さを表すための絵が描かれたものや、倭絵と呼ばれる花鳥図などの風流な情景や縁起の良い動植物をモチーフに描かれた襖や屏風が多く存在します。
現代では襖というと引き違い戸のことを指すことが多いのですが、この時代においては襖も屏風と同じく、扉としてよりも空間を状況に応じて仕切るためのフレキシブルな壁として用いられることが多かったようです。また、当時は内と外の間には蔀戸という跳ね上げ扉がよく使用されていました。蔀戸は今でも一部の寺社仏閣に使用されているのを見かけることができます。
公家が困窮し武士が台頭してくる平安時代の末から鎌倉・室町時代にかけては経済状況や武士の都合が反映されてか、それまでと比べると装飾性が少なく実用性の高い妻戸(開き戸)や遣り戸(引き戸)などが増えていき、絵師が描いたり金箔や銀箔が使われたりしているような豪華な襖や屏風は格式を表すものとして書院造りに取り込まれていきます。
江戸時代には数寄屋風の様式が流行り浸透していきますが、質素倹約が奨励されていたため武士や一部の裕福な商人など、装飾的な建具を使用できるのは一部の人々に限られていました。現在のように一般家庭にまで装飾的な建具が広く普及したのは明治以降のことです。
欄間はもともと通風や採光のために引戸などの上に設けられていた建具で、彫刻が施された透彫欄間や彫刻欄間、格子を組んだ組子欄間、障子紙の貼られた障子欄間、壁をくりぬき左官仕上げを施した壁抜欄間など、多種多様なデザインがあります。
また、デザイン以外での大まかな種類としては和室と和室の間に設けられた間越欄間、和室と縁側の間に設けられた明かり欄間、床間の横に設けられた書院欄間の三つがあります。
そんなバリエーション豊かな欄間ですが、空気や音が筒抜けになってしまうことが多いため気密性やプライバシー性の重視される現代においては邪険にされることが多く、欄間の上に板を貼り付けて塞いでしまったり撤去されて壁が作られたりしてしまっているケースをよく見かけます。
これらの建具も和室や床間と同様に時代の変化の中で廃れつつありますが、 一方で日本建築に現代的な芸術や感性を融合させる媒体として襖絵や屏風絵などが用いられるケースも増えてきています。もしあなたが和のインテリアを楽しむなら襖絵や欄間に凝ってみるのも一興でしょう。