NY 夜のハイラインで音の道を歩く。
今秋、ニューヨークでは、ハイライン(High Line)で少し風変わりな演奏会が行われた。タイトルは『The Mile-Long Opera: a biography of 7 o'clock』。
その名の通り、「1マイルの長さ」のオペラだ。
2時間や4時間という時間軸を長さの基準として表現されることが多いオペラだが、本公演では実際の距離で演目の長さを表現している。
独特なコンセプトの音楽舞台であり、一言では表現できないような不思議な夜だった。
オペラが上演された場所は、ニューヨーク市で最もダイナミックなパブリックスペースのひとつ、ハイライン。マンハッタン西部に位置し、かつての高架貨物鉄道の線路跡地を再生した遊歩道だ。日中は誰でも自由に歩くことができ、ちょっとした観光スポットでもある。通常は閉鎖されている夜のハイラインだが、今回はイベントのため特別に開放された。
この事業の中心的な役割は、5つの州全体で非営利団体を活性化させる広範な地域社会の取り組みだ。 「セブンアンカーパートナーズ(Seven Anchor Partners)」は、歌手の募集から、公開リハーサルやワークショップの開催、10月公演までの社会文化イベントのホスティングまで、地元の人々を巻き込むハブとして活動した。
ここでは、おおまかな概要・構成・内容の一部を紹介し、最後に感想で締めくくりたいと思う。
目次
概要
今回の企画に関わったのは建築家のDiller Scofidio + Renfro(ディラー・スコフィディオ+レンフロ)、作曲家のDavid Lang(デイヴィッド・ラング)、詩人Anne Carson(アンネ・カーソン)とClaudia Rankine(クラウディア・ランキン)。超がつく大物のコラボレーションだ。
物語の成り立ち
「The Mile-Long Opera: a biography of 7 o'clock」は野心的で集団的な無料の合唱作品だ。急速に変化する都市生活について、数百人のニューヨーカーの個人的な話が共有される。ここで語られる多様な物語は、ニューヨーカー達のインタビューにインスピレーションを受けたものだ。彼らの個人的な経験は、ユニークな方法で現代のコンディションを反映している。不安、ユーモア、哀愁、脆弱性、喜び、そして暴力ーそれらが一体となって、7時という特定の時間における、物語を作り上げた。
午後7時という時間について
各回のパフォーマンスは毎晩午後7時から始まるのだが 、公式の解説によると、「この時間は昼から夜への移行を表す時間だ」とある。そして、「この時間は伝統的に、家庭や家そのものと関連している時間である」、「しかし、現代においてこの状況は定かとは言えないかもしれない...」と続く。
タイトルに含まれたキーワードである「午後7時」は、昼間から夜間への移り変わりと、現在の生活スタイルの移り変わりに焦点をあてた特別の時刻ともいえるだろう。
新型アートプロジェクト
今回の公演は5日間のみ。最終日の数日前に、ニューヨークタイムズ紙の一面記事で紹介されたこともあって、イベント前後ではちょっとした話題になっていた。私の家にも毎日届くニューヨークタイムズは、週末になると、ジャンルごとに分かれた薄い新聞がいくつか配達されてくる。Art,、Science、 Cooking等、そのジャンルは多岐にわたる。そして、このオペラはその週のArt部門の一面記事を独占していた。この扱いをみても、このイベントは、新型のアートプロジェクトとして、ニューヨークで注目されている印象を受けた。
全体の構成
全体の構成を簡単にまとめてみようと思う。
図をみていただくと分かるのだが、ハイラインはこのような形状の道だ。
全長1.45マイル(2.33 km)の道がWest 13th street からWest 30th streetまで、ほぼまっすぐ続く。そしてその途中に、歌い手が点在している。
音の道
まず、最初に見えるのは道の上で点々と青白く光る歌い手達だ。歌い手と語り手が数メートルおきに点在する道をまっすぐ歩いていく。そして、ある地点になると道が二手に分かれ、歌い手が複数人密集したゾーンがある。そこで初めて、いくつかの音同士が響く合唱のような空間が生まれる。そこを抜けると再び、まっすぐな道にもどる。そんな繰り返しだ。途中のビルの中には演技をする役者の姿もみられる。
騒音を遠くに感じながら、異質な空気がただよう長い夜の道に続く音楽の行列は、静かにまっすぐと続く。
ハイライン上の人々
ハイラインの上には3種類の人がいる。歌手、警備員、そして観客だ。歌手が、数メートルごとに道に沿って1列で点在している道もあれば、20人ほどの合唱が、等間隔で群をなしていることもある。
警備員は歌手や観客をさりげなく見守る。観客は、息を殺しながら、その中を静かに歩き進む。遠くには、マンハッタンの騒音を感じるのに、静かに音を聴こうという気配が充満している。
1000人の歌手
このオペラでもう一つの特筆すべき点は、歌い手の数だろう。なんとその数、約1,000人。人種性別年齢も様々な人々が、1,000通りの声で静かに歌う。
エリアによって人種が分かれており、途中では英語以外の言語でも歌われていた。日本語も耳にする事が出来た。歌い手の大半は、内側が光る特別な帽子をかぶっている。その姿はまるで巨大な蛍みたいだ。
現実と非現実の混在
実は、さきほどの3種類の人間に加えて、もう1つオペラに関わる重要な存在がいる。役者達だ。ただし、彼らはハイラインの上にはいない。彼らの舞台は、ハイライン周辺の、一般人のアパートや、オフィスビルの内部である。 そして、このイベント中はその窓の内側の部屋に、奇妙な動作を繰り返す役者の姿をハイラインから確認できる。
その姿は現実の世界に点在する非現実の登場人物だ。点在する役者は舞台と街の境界線をぼやかして、街とハイライン、現実と非現実をつなぐ。
この演出によってハイライン周辺までもが、いつのまにかオペラの1部になっている、という面白い演出だった。
オペラの内容
オペラの内容は、26の細かなシーンに分けられている。
それぞれのシーンはたった一行の言葉が、数十人に歌われる部分もあれば、長めのナレーションが複数人によって分けて語られる部分もある。基本的にはどれもとても短く断片的で、一般的なオペラのように全体で1つの物語が語られているという訳ではない。ほんの一部を紹介するとこんな感じだ。
No we don’t talk but people get to know each other just by walking past each other all the time.
Parts of us erase
Between us from my dining room table I can see the neighbor’s dining room table. They have blinds but the shapes of their bodies are recognizable. At 7 o’clock they are rarely home. They’re young. When they are up to anything I bring my plate to the other side and sit with my back to them. This table is made of wood. It’s been in the same spot for twenty-three years. I don’t know how it got there.
印象深かった歌詞は
Funny how (A) changes everything, Funny how (A) changes nothing.
という一行。
この (A) という部分に歌手が様々な言葉を入れ替えて歌っている。例えば、(A) に (love) を入れるとこんな感じだ。
Funny how (love) changes everything, Funny how (love) changes nothing.
他にも例えば、“tears” “money” 、“hope” “that nice breeze off the river”、 “dog”など自由な言葉を入れて歌われていた。
言葉も1つ変われば雰囲気は全く異なる。例えば、 “nail polish”と入れて笑顔の歌手もいれば、 “hope”と入れ替えて涙を浮かべている歌手もいた。
歌い手のバリエーションで、一言の歌詞が多彩に広がりをもっていたのが印象深かった。
もう少し詳しく観たい方は、記録映像で体験もできるので、是非ご確認いただきたい。
感想
全体の見えない音楽とはこういうことをいうのだろうか。
一般的なコンサートホールでの演奏会は、音楽がひとつの固まりで聴こえてくる。例えば、それが100人以上の合唱団とフルオーケストラの構成だったとしよう。すると、その全ての音が層となって、ホール内で響きが生まれる。
そして、その安定した響き全体を自分の座っているふかふかの座席で受け取る。
対して、このオペラはまず全体がみえない。いきなり先の見えない1本の糸が暗闇から現れて、静かに手渡されたようだ。終わりの見えないそれをおそるおそる、手繰っていく。全体の見えない物語の中を自分の足で歩いていかなくては行けないのだ。それは、少し心細いような怖いような感じさえした。
歩きながら聴く演奏
私たちは日頃音楽を携帯することに慣れてしまっている。歩きながら音楽を聴くというのは、今や特別珍しい行動では無くなった。それでも、この歩きながら聴く生演奏は、感覚的に新しいと感じた。自分の歩くスピードで、点在する音楽を順に再生しているとでも言えば良いだろうか。 そのテンポ感は、メトロノームで刻まれた一定の速度ではなく、人間の歩調のような不規則なスピードに近い。それは時に、足早に、時に止まりそうなほどゆっくりと進む。また、それは美術館で展示されている連作絵画を順番にみていく感覚にも近い。
音について
非常に個人的な感想になってしまうので、誤解を招きそうなのだが、一応、ここで音色の第一印象を述べておこうと思う(あくまでも、ふと浮かんだ音色の第一印象であり、具体的な演奏内容や音楽の意図とは関係は無い)。なぜか、最初の音を聴いた時、グレゴリオ聖歌という単語がふっと浮かんだ。 もちろん、このオペラとグリゴリオ聖歌は全く関連性がない。 そもそもの記譜法、構成や時代背景、主題など一切関わりがない。むしろ、今思えば、なぜそんなイメージがわいたのか自分でも少し不思議だ。
さらに言うならば、Mile Long Operaは男声合唱のグレゴリオ聖歌と違って混声合唱である。それでも、そんなイメージが浮かんだのは、 何故だろうか。多分、言葉を平坦な音の流れにのせて静かに語っているという部分や、厳かな雰囲気が共通していたのかもしれない。 薄暗い背景の中、無伴奏で単旋律の平坦な人々の歌声。読経のような雰囲気の重複した人の声。 少し怖いようでもある影を帯びた響き。私は音楽を聴く時に歌詞よりも音程や、響きばかりを追ってしまう癖がある為、余計にそう感じた部分もあるのかもしれない。
率直に言うと、現在の音楽理論が成立する、ずっと以前からある、10世紀頃の静かな単旋律の声楽曲、その原始的な響きや静かな独特の雰囲気に、かすかな共通性を感じたのだと思う。
もう一つ印象深い体験としては、歌い手と観客との距離感だろうか。観客が自分の歩調で前方に進み、近づいてきた観客に気づいた歌い手と目が合った瞬間に、彼らが客に対して、歌いかけてくれる。そのインタラクティブな感覚は、単なるタイミングだけの問題ではないだろう。
例えば、人の目というのは不思議なもので、目と目があうと、もの凄く認識されているという感覚を持つ。さすがに、1,000人全部とはいかないが、あの日、私は何百人もの人にまっすぐ見つめられながら、50センチほどの距離感で1対1で音楽を受け取った。 その不思議な人間同士のコミュニケーションは、今までにないような奇妙な体験だった。
建築と音楽:目に見えないデザイン
今回の演奏会をデザインマガジンの上で記事にしようと思ったのは、建築と音楽が関連したイベントであったのが一番の理由だ。音楽と建築は、その関係性について昔から様々な考えが論じられてきた。有名な例をいくつかあげるとするならば、「Gefrorene Musik(凍れる音楽)」と建築を称したアーネスト・フェノロサ、建築家でありながら作曲家としても活動を行っていたヤニス・クセナキス(Iannis Xenakis)など。他にも建築を空間という視点で捉えると、エリック・サティの「家具の音楽」などの試みは、その後、現代の環境音楽等にも影響を与えていると思う。それは、構造的な面から論じられるし、感覚的なことや、音楽と空間と人々の生活との関係性からも言えると思う。今回のマイルロングオペラによる建築家と音楽家のコラボレーションも、一つの試みとして、今後の音楽や建築の世界に何かしらの形で影響を与えていくのだろう。
また、音という目に見えない媒体は、「目に見えるデザイン」が飽和状態になっている現在、今後のデザインの世界において、新しい可能性を秘めているように思う。
さきほども触れたが、実は、この演奏会は記録されていて、Youtubeの360度ビューカメラにて視聴できる。 まるで、その場で歩いているような映像が楽しめるよく出来た記録だ。それにも関わらず、後で確認したその映像は、私が実際に、あの日体験した雰囲気とは似て異なるものだった。 技術が進んで、デジタルを通して、二次的な媒体で物事を簡単に確認できるようになった現代。今後も、その技術は発展していくのだろう。しかし、今回に限っては現実の体験と、記録された映像の差をはっきりと感じた。特に、人間と人間の間にしか生まれないような独特の感覚は、今の段階ではまだまだ、再現することは難しいのかもしれない。
おわりに
夕方から夜間にかけて、ハイラインを歩いた。1,000人のシンガーの音を通り抜けて進む。まるで人の声が風のように聴こえた。もしも、森の木が1本1本言葉を発する事ができて、歩くたびに歌いかけられたらこんな感じなのかな、と空想したりした。このオペラの冒頭でも語られているように、昔と現代の生活スタイルは大きく異なる。しかし、どの 時代においても、人間は自然の中で本能的に感じるような一瞬を、無意識のうちに探し出したりしているのかもしれない。
公式ページ: The Mile-Long Opera: a biography of 7 o'clock
イラスト / 写真 / 文 / 河端 亞弥
Illustration, photography, and writing by Aya Kawabata