アーティストPaloma Proudfootの“The Three Living and The Three Dead(三人の生者と三人の死者)"展
いつから人は作品を長方形や額のある枠内に絵をはめて描く様になったのだろう。
ずっと油絵を見続けているとキャンバスや長方形のフォーマットが単調に感じてきて、頭の中で既に絵を読むフォーマットを自らに与えてるかのようだ。
また、それが知らぬ間にその作品の限界線を作ってる様で、時にはウザさすら感じることもある。
その枠や限界線があれば創造性の妨げになる場合もあると思うからだ。
その境界線から解き放たれると観覧者の内在に潜む感性の可能性に触れられた気もして、またアートはもっと自由だったのだと原点に遡ることができる。
作品がその場に存在し、展示場と一体化して環境の一部としてこの世界に存在する。作品はこの世界の延長上である事をもう少し身近にシンボリックに捉えることができる。
今回、観覧したPaloma Proudfootの“The Three Living and The Three Dead(三人の生者と三人の死者)"は、死のテーマを題材に作者の中世からの死生観研究によって生まれたものだ。死、自体が生きてる限り切っても切り離せない。生の延長、生の一部であるという、”境界線”、枠のない 展示方法はこの様に意味をなすこともできる。セラミックを壁に施したレリーフは暗然な雰囲気とは真逆の軽快なタッチで表現される。
タイトルにもある“The Three Living and The Three Dead”の伝説は西洋13世紀初頭に登場し、一般的な「メメント・モリ」の延長として機能する道徳的な物語である。その当時、死という現実が中世の人々の人生観を定義し、その思想で生きていたことに現代人は同感するだろうか。この物語を残しつつ作者は自らの生死観を織り交ぜる。
セラミックでできたレリーフは光沢を帯びたツルツルですべやかな素材感が死のモチーフとは対照的に映る。ハエの翅には糸で刺繍を施されたデリケートで緻密な手仕事で死体やゴミの周りを飛び回る嫌われ者のハエとは描写が程遠い。天使は死人を診察、癒しているのか。また、真ん中に腰掛ける女性の両肩からは木がまるで生命体をのようにニョキニョキと生え上がっている。
大きな目(Drinking in my eyes, 2023)は展示会場内を見守る護衛の様だ。目を見開いた眼球にはびっしりと草木の根っこのような網目がぎっしり生えている。
作品とこの世界を”繋ぐ” 紐の描写も面白い。生命を失われた人物から血管を思わせるような紐が私たち現世界を結びつける(Deathspan, 2023)。今にも枯れていきそうな向日葵は、十字架にかけられ棘冠を被るイエスを彷彿させる。そんな向日葵たちにその人物は見守られながら死から生へと繋ぎわたす。 死は生命を記述して初めて存在するものなのだと作者が語っているようだった。また死のコンセプトは陰々滅々ではなく、軽快なトーンとケアで満ちていて、まるでネガティブなイメージではない。これは昔に見た黒澤明監督の「夢」の映画の最終章のお葬式は祭り行事という物語を少し思い出させた。Paloma Proudfootはまだ若手のアーティストだ。私は彼女の20年後の死生観がどう変わっていくか気になった。
"The Three Living and The Three Dead" INFO
Soy Capitán
Prinzessinnenstr. 29
10969 Berlin-Kreuzberg Wed–Sat 12–6 pm & by appointment
Paloma Proudfoot, The Three Living and The Three Dead, - 10.06.2023
info@soycapitan.de
+49 (0)30 80921977