ニューヨークのメトロポリタン美術館では、2名のネイティブアメリカンのアーティストによる展示が同時開催されている。一つは、2024年ヴェネチア・ビエンナーレのアメリカ館を代表したミシシッピ州チョクトー族の一員であり、またチェロキー族の血を引くジェフリー・ギブソン(1972〜)による「The Animal That Therefore I Am」、もう一つはオジブウェー族の抽象画家、ジョージ・モリソン(1919–2000)による「The Magical City: George Morrison’s New York」である。
Jeffery Gibson: The Animal That Therefore I Am
2026年6月9日までMETのファサードで開催されているギブソンの展示は、METコミッションによる4体の彫刻から構成されている。。本展のタイトル「The Animal That Therefore I Am」は、ジャック・デリダの著書『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』に着想を得たものだ。デリダの著書は、人間による動物支配に内在する暴力性を考察しているが、ギブソンはこのテーマをより広範囲な争いの連鎖へと結びつけているという。

they plan and prepare for the future, fvni / sa lo li / squirrel (side view) , 2025 Patinated bronze
ギブソンは彫刻のモチーフにニューヨーク地域に生息する動物を選ぶことで、これらの動物がいかに人間の環境に適応せざるを得なかったかを示し、彼らが何に耐え、何を私たちに教えてくれるのかを考えるよう促しているという。これはまた、ギブソンが暮らすニューヨーク北部のハドソン渓谷と、METのあるマンハッタンのセントラルパークのつながりを示すものであり、はるか昔からこの地に存在する動物への眼差しでもある。
高さ10フィートのブロンズ彫刻には木、ビーズ、布などが用いられている。木製の台座の上に鎮座するタカ、リス、オオカミ、シカといったニューヨークに生息する動物には、さまざまな先住民の視覚言語を想起させる抽象的な模様が施されている。

they are witty and transform themselves in order to guide us, nashoba holba / wayaha / coyote , 2025, Patinated bronze

they are witty and transform themselves in order to guide us, nashoba holba / wayaha / coyote, ( side view ) 2025, Patinated bronze
ギブソンが描き出す動物たちは、これまでMETで見てきたファサード彫刻とはまったく異なるものであった。METの外観そのものや西洋美術史、そしてニューヨークという場所に新しい風を吹き込む魅力的な作品群である。彼は人間以外の世界に対する私たちの理解を再考することに関心を寄せ、生物と環境の相互関係について、また動物の生命に対する新たな認識や共感を促そうとしている。
George Morrison: The Magical City: George Morrison’s New York
同じくMETで2026年5月31日まで開催されているのが、ジョージ・モリソンの「The Magical City: George Morrison’s New York」展である。モリソンはミネソタ州北部のチペワ・シティに生まれたオジブウェー族のアーティストで、インディアン寄宿学校に通いながら過酷な幼少期を過ごし、その後アーティスト活動のためニューヨークへ移住した。1943年から1970年にかけて、モリソンはウィレム・デ・クーニング、フランツ・クライン、ルイーズ・ネヴェルソンといった同時代の芸術家たちと交流を築いた。抽象表現主義の一翼を担いながら、都市生活や工業地帯、ジャズ、文学からインスピレーションを受け、オジブウェー族としてのアイデンティティを作品に反映させた。
本展では35点の作品が展示されており、スペリオル湖北岸のグランド・ポーテージのインディアン居留地にある故郷への想いを融合させた、小さな油彩とアクリル画の連作「ホライゾン・シリーズ」など、彼の集大成ともいえる作品が並ぶ。特にAutumn DuskとMorning Stormは、細やかな描写の中に宿る緻密な色彩が美しく、彼の故郷への深い想いを感じ取ることができた。
ギブソンとモリソンの作品からは、アメリカ先住民としての彼らの視点が、どのように独自の文化的遺産を継承し、新たな表現へと昇華されているかを知ることができる。また同時開催により生まれる両者の作品の対話も非常に興味深い。独自性の中に同時代のアメリカ抽象画家との連帯感が見えるモリソンに対し、ギブソンの作品は伝統を継承しながらも、より広範で複雑な境界を感じさせるものであった。ギブソンがアメリカ、ドイツ、韓国で育ったという特異な経験を持つことも影響しているのかもしれないが、新しい風を感じさせる作品であった。

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