バウハウス100周年
第一次世界大戦後の1919年(大正8年)にドイツ・ヴァイマールに設立された。1933年(昭和8年)にナチスにより閉校されるまで、14年と短命ではあったが、モダンデザインのルーツをつくり、現代美術に大きな影響を与えた。
当時ヨーロッパでは産業革命により工業化が進み、素材・生産方式が著しく変化することで、近代化に対応したデザイン活動が活発であった。今回は、バウハウスとその前身とも言える理念をつくったドイツ工作連盟について紹介していく。
目次
ドイツ工作連盟(Deutscher Werkbund)
1907年に設立されたドイツ工作連盟は、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動から影響を受け、工業化を否定するのではなく、芸術家と手工業、工業、商業の協調を主張していた。これはインダストリアルデザインの始まりとされ、バウハウスの設立に大きな影響を与えた。ヘルマン・ムテジウスをはじめ、ヴァン・デ・ヴェルデ、オルブリヒ、ベーレンス、グロピウス、ブルーノ・タウトらが参加した。ウィーン分離派、ユーゲントシュティールの建築家たちが参加していることがわかる。
ペーター・ベーレンス(Peter Behrens)1868-1940
ドイツの建築家、デザイナー。モダニズム建築や工業建築の分野の発展に多大な影響を与えた。
1907年に電機メーカーAEGに招聘されデザイン顧問に就き、同社タービン工場の設計を手がけ、モダニズム建築初期の代表的作品になった。当時は工業製品に芸術的価値やセンスが必要という認識はなく、形と機能の調和はほとんどみられなかった時代に、工業製品のデザインも手がけ、インダストリアルデザイナーとしても活躍した。
ベーレンスの建築事務所には、後の近代建築の四大巨匠として知られる、ヴァルター・グロピウスやミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエも在籍していた。
AEGタービン工場(AEG Turbinenfabrik)1910
ベーレンスの最も有名な作品であり、古典主義と近代合理主義の融合を図った建築である。
建物は主にスチール、ガラス、石で構成され、両側に長さ100m、高さ15mの、当時では革新的なガラスとスチールの壁を備えている。
バウハウス / Bauhaus
ドイツのヴァイマール大公に招かれた、ユーゲント・シュティール、ドイツ工作連盟の建築家アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデは1906年に工芸学校を設計・設立する。しかしベルギー人であった彼は第一次世界大戦のため、工芸学校の後継者をヴァルター・グロピウスに託しドイツを去った。この工芸学校が後のバウハウスの元となった。バウハウスは、「建築の家」を意味し、建築を最終的な教育の目標として、すべての芸術の統合を目指す独自の教育システムを確立していった。
1919年から1925年までヴァイマール 、1925年から1932年までデッサウ 、1932年から1933年までベルリンと 3つの都市に存在しており、1933年にナチス政権の圧力で閉鎖された。
バウハウスは後にモダンデザイン・建築・美術・教育において最も影響力のある流れの一つとなり、その後の芸術、建築、グラフィックデザイン、インテリアデザイン、 工業デザイン 、そしてタイポグラフィの発展に大きな影響を与えた。
ヴァルター・グロピウス (Walter Gropius)1883-1969
近代建築の四大巨匠の一人として知られ、バウハウスの創設者・初代校長である。バウハウスデッサウ校舎の設計でも知られる。
バウハウスデッサウ校舎(Bauhausgebäude Dessau)1926
グロピウスの代表作。当時の最新技術が注ぎ込まれたコンクリートとガラスを多用した建築で、ガラスのカーテンウォールが特徴。バウハウスの理念を形にしたものとして知られている。1996年にユネスコ世界遺産に登録された。
マイスターハウス(Meisterhäuser)1926
バウハウスの教員宿舎であり、グロピウスの設計。校舎同様、バウハウスの理念を形にしている。
2019年に創立100周年を迎えるバウハウスでは、新しい博物館計画が進行中である。
ヴァイマールでは2019年4月6日に新しい博物館がオープンする。
デッサウには2019年に新しくバウハウス博物館がオープン予定である。
ベルリンのバウハウス資料館では、2022年に新資料館が完成する。
the Bauhaus-Archiv/Museum für Gestaltung
2019年はこれらにも触れていこうと思う。