既成の枠組みを自明とせず根源的な問題へと肉薄する姿勢
日本を代表するアーティスト シュウゾウ・アヅチ・ガリバー。その大型個展「消息の将来」展がBankART KAIKO とBankART Stationの2館で2022年10月7日から11月27日まで同時開催された。シュウゾウ・アヅチ・ガリバーは1947年滋賀県生まれ。64年に制作活動を開始し60年代後半の熱い文化芸術の現場を駆け抜けた、現在も活躍する作家のひとり。近年は海外での作品発表を主な活動としているため、日本ではその名が広く知られているとは言えない。
自らの肉体のスケールや構造、さらにはヒトの生物学的な基盤(DNAなど)の記号性、またしるしやかたちそのものをめぐるパーフォマンスや立体作品、ドローイングを展開する。その活動は戦後美術に独自の位置を占め、その多様な展開は存在や自己に対する問いかけであり、あらゆる既成の枠組みを自明とせず根源的な問題へと肉薄する姿勢に貫かれている。2020年ニューヨーク近代美術館(MoMA)が作品を収蔵、展示公開したが、国内において知る人はごく限られている。1960年代の文化、芸術の掘り起こしが世界的な規模で進んでいるが、BankART1929でもこの作家の貴重な活動を日本で広く紹介するとともに、改めて世界の文化芸術に貢献したいという想いがある。作家は現在も現役で盛んな制作活動をしており、本展では新作も展示公開した。
消息の将来
決して人間は溺れてもいないし船酔いを起こしてもいないに違いない。
しかし我々は藁を掴むように言葉、数、像、神を夢想する。
世界は常に初めての存在で次々と留まることのない単一な総体のように見える。
わからないものをXと置くような数式の不思議さや有効性をいかに実感するのか。
「しっ!あの窓から漏れている光は何か、何かを話しているが、別に何も言ってはいない。」
これはゲーテが「ファウスト」の中に書いた台詞である。消息はこの光に似ている。
何の消息であるのか等と聞く必要はない。我々と我々の知っている、我々の目前のものとの間に消息はある。
それは目前のものを一部ともするこの単一な総体の作用や機能の顕れであろう。
赤裸々で啞然とさせる、このビッグ・バンのようなノイズは我々の上で焦点を結ぶ。
この焦点の皮膜、その機能こそ消息で、その克明さが我々そのものなのではなかろうか。
想起するという特性を持った物質が生体であるというバトラーの語り口に倣うなら、
消息へと機能する、特性を持った物質が我々であるといえよう。
消息の将来、将に来らんとする消息。
我々は我々の克明な消息を求め、その克明さ自体であり続けるに違いない。シュウゾウ・アヅチ・ガリバー
シュウゾウ・アヅチ・ガリバー(SHUZO AZUCHI GULLIVER)
1947年滋賀県大津市生まれ。東京在住。1964年、ハプニング(パフォーマンス)等の自覚的な活動を始める。大学で哲学を学習、京都に滞在していたアメリカのビートニックたちと交流。1967年、日本のフーテン(ヒッピー)を代表する1人として、マスコミで広く報道される。ʻ具体グループʼに対抗して、関西の知人たちとグループʻPLAYʼ展を開催。60年代末実験的な映像作品の制作、日本のフルクサスのメンバーと交流。1973年、代表的な作品とされる、死後その肉体を80に分割し、その保管を依頼するプロジェクトʻBODYʼ開始。1990年、この頃よりヨーロッパでの活動が中心となる。2000年、東京大学人工物工学研究センター研究員。2010年、個展“シュウゾウ・アヅチ・ガリバーEX-SIGN”(滋賀県立近代美術館)2014年、プロジェクトʻBODYʼに対をなすようなプロジェクト、死ぬまでに発音する総ての音を単音毎に贈与するプロジェクトʻ発音の贈与ʼ開始。2015年、個展“Kunst//Geschichten//Wuppertal:Shuzo Azuchi Gulliver La dolce Vita(1999)”(Neuer Kunstverein Wuppertal、ドイツ)2017年、“エクスパンデッド・シネマ再考”(東京都写真美術館)2018年、“1968年激動の時代の美術”千葉市美術館)“On a bien accroché”(Maison Grégoire、ベルギー)2020年、“恵比寿映像祭 - 時間を想像する”(東京都写真美術館)個展“Shuzo Azuchi Gulliverʼs Cinematic Illumination”(ニューヨーク近代美術館)