ゼツェッションとユーゲント・シュティールと

2018年の100年前、1918年(大正7年)は第一次世界大戦の終焉した年であり、オーストリアのウィーン・モダニズム(世紀末芸術)の立役者4人の没した年でもあった。画家のグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)エゴン・シーレ(Egon Schiele)、建築家のオットー・ワーグナー(Otto Wagner)、デザイナーのコロマン・モーザー(Koloman Moser)。2018年は彼らの没後100年としてウィーンでは様々な展覧会が開かれていた。2019年には日本・オーストリア外交樹立150周年記念として、日本でもウィーン・モダニズムの展覧会が行われるようである。
今回は彼らに関わりのあったゼツェッションとユーゲント・シュティールの建築について紹介していく。

ゼツェッション/Wiener Secession(ウィーン分離派)

19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリスの産業革命後の「アーツ・アンド・クラフツ運動(arts and craft movement)」の影響を受けて、ヨーロッパを中心に「新しい芸術」をフランス語で意味する芸術運動、「アール・ヌーヴォー(Art nouveau)」が展開していた。従来の様式に囚われない、花や植物などの有機的な装飾を用い、当時の新しい素材である鉄やガラスの利用などが特徴であった。 オーストリアでは、それを「ゼツェッション(Wiener Secession|ウィーン分離派)」と呼び、ドイツでは、「ユーゲント・シュティール(Jugendstil|青春様式)」と呼ばれていた。

ゼツェッション館 (Das Secessionsgebäude) 1898

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ゼツェッション館はウィーン分離派のアーティストたちによって建てられた展示会館である。ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒによって設計された。コロマン・モーザーによるアール・ヌーヴォーのファサードや、建物上部にある金色の月桂樹の球体は「金色のキャベツ」と呼ばれ親しまれている。

カールスプラッツ駅 (Station Karlsplatz) 1899

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カールス広場内にあるオットー・ワーグナー設計の駅舎。現在のカールスプラッツ駅ができるまでの旧駅舎として使用されていた建物で2つの駅舎が対になっている。写真の建物は現在展示空間となっており、もう片方の駅舎はカフェとして使われている。

マジョリカハウス (Majolikahaus) / メダリオンハウス(medallionhaus) 1899

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ADFWebMagazine_sesession_06 オットー・ワーグナー設計の集合住宅。左が植物模様のマジョリカ産タイルを張ったマジョリカハウス。右のメダリオンハウスの金色のメダリオンは、コロマン・モーザーが手がけたもの。屋上の天に向かって叫ぶ女性の像も印象的である。

シュタインホーフ教会堂 (Kirche am Steinhof) 1907

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オットー・ワーグナー設計の教会。病院敷地内の小高い丘の上に建っている。壁は白い薄い大理石で覆われ、装飾を兼ねたアルミ鋲で留められており、金がふんだんに使われている。コロマン・モーザーがステンドグラスの窓を制作した。

郵便貯金局 (Österreichische Postsparkasse) 1912

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オットー・ワーグナー設計の郵便貯金局。外壁は花崗岩と大理石の板をアルミ鋲で固定しており、装飾を兼ねている。内部ホールの天井はアーチ状の二重の半透明ガラス屋根となっており、自然光がやさしく入ってくる。装飾要素を少なくし、床にもガラスタイルが使用されており、透明度の高い内部空間となっている。彼の基本理念である、実用性と芸術性、古典と現代が融合した空間がつくられている。

ユーゲント・シュティール/Jugendstil(青春様式)

ドイツには、1899年にヘッセン・ダルムシュタット公国最後の大公エルンスト・ルートヴィッヒがつくったダルムシュタットの芸術家村「マチルダの丘」があり、ドイツにおけるユーゲント・シュティール運動の中心的役割を担った。建物のほとんどが、ウィーンのゼセッション館の設計者でもあるヨーゼフ・マリア・オルブリッヒ(Joseph Maria Olbrich)によるものである。

エルンスト・ルートヴィッヒ邸(Ernst Ludwig Haus)1901

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ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒ設計の住宅。現在は美術館として利用されており、ユーゲント・シュティールの家具や美術工芸品が展示されている。

結婚記念塔 (Hochzeitsturm) 1908

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ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒ設計の記念塔。この結婚記念塔は、ルートヴィッヒ大公の結婚記念に作られたもので、結婚式の際の大公の宣誓の手がモチーフとなっている。ダルムシュタット市のシンボルマークにもなっている。

ペーター・ベーレンス自邸 (Wohnhaus Behrens) 1901

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ペーター・ベーレンス(Peter Behrens)設計の自邸。芸術家村に招かれたベーレンスが、画家から建築家に転向した直後の作品で、アール・ヌーヴォーの影響が色濃い。 後にベーレンスは、近代社会にふさわしい芸術と産業の統一を構想する場となった「ドイツ工作連盟(Deutscher Werkbund)」に参加し、ドイツ近代デザインを方向付ける中心人物となる。このドイツ工作連盟の活動が後のバウハウスにつながっていく。「バウハウス(Bauhaus)」の創立宣言がされたのは、先のオーストリアのウィーン・モダニズムの立役者4人の没した1918年の翌年の1919年のことである。 2019年はバウハウス100周年であり、ドイツでも様々なイベントが催される予定である。それに伴ってバウハウスについても触れていきたい。