プラハとキュビズム建築

私の住むベルリンから電車で5時間ほどの距離に、チェコの首都プラハはある。 いまから100年以上もの昔、20世紀初頭のプラハには、キュビズム建築と言われる建築様式が出現していた。それは若き建築家たちの国家の象徴としての独自の建築様式の模索であった。

今回はチェコ独自の建築様式である、キュビズム建築を紹介する。

キュビズム(Cubism)

キュビズムとは、20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始された前衛的芸術運動で、立体派とも呼ばれる。オブジェクトを分析・分解し、抽象化して再構築することで表現した。単一の視点からでなく、複数の視点から対象を描く手法であった。絵画や彫刻のみならず、音楽・文学・建築などの分野にも影響を与えた。 空間認識における革新は、構成主義、デ・ステイル、アールデコ、バウハウスなどにも影響を与えた。

チェコ・キュビズム(Czech Cubism)

第1次世界大戦前の1911年(明治44年)から1914年(大正3年)の短い期間に活動していた、チェコのキュビズム運動。1911年にピカソ、ブラックがチェコの画家に招かれ、プラハで展覧会を開いたことに始まる。特に建築にキュビズムを用いた例としては最初であり唯一の存在であった。

キュビズム建築(Cubist Architecture)

チェコのプラハに見られる、キュビズムを建築に応用した建築様式。建築デザインの幾何学化として、水平垂直の線や面ではなく、鋭利な先端・スライス面などの、斜線・斜面・結晶体で構成されたという特徴がある。ボヘミアングラスのように水平と垂直の面を分割することで、物質に精神や活気を吹き込もうとした。当時の合理化が進んだ建築を無機質ではないものにしようとする試みであった。

ヨセフ・ゴチャール(Josef Gočár)1880-1945

チェコ・キュビズム建築家の先駆者。チェコ工科大学、プラハ応用芸術学校で建築を学ぶ。建築家ヤン・コチェラのもとで働き、1911年に事務所の同僚のヤナークと共にキュビズム建築家グループを結成する。コチェラの合理主義建築からの脱出であったとされる。のちにロンド・キュビズム様式へと向かっていく。

黒い聖母の家 1911

ゴチャールの代表作で、キュビズム建築としては第1作品目となる。建物の名称は、以前ここに祀られていた肌の黒いマリア像に由来し、建物の2階隅に祀られている。

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1階にはキュビズムショップ、2階にはキュビズムカフェ、3階と4階にはキュビズム博物館が入っている。柱や壁、ショーウィンドウの模様には三角形や六角形の幾何学が散りばめられている。

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2階のグランド・カフェ・オリエント。2005年にカフェは復元され、再オープンされた。幾何学模様の家具や照明、食器などキュビズムらしく統一されている。

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カフェ・博物館へのぼる螺旋階段の手すりもキュビズム的な幾何学である。

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天窓からは格子の影が壁に落ち、階段の手すりの形とも調和している。

ヨセフ・ホホル(Josef Chochol)1882-1956

ヨセフ・ホホルはチェコの建築家・デザイナー。ウィーンの美術アカデミーでオットー・ワグナーもとで2年学んだ。キュビズム建築様式の後、1914年以降は国際構成主義の様式を受け入れていった。

ネクラノヴァ通りのアパート 1913

ホホルの代表作のひとつ。急な坂道に面し、鋭角な角地に建つキュビズム建築の集合住宅。

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玄関や窓、壁面がバルコニーの形においても結晶体の幾何学であり、周りの建築ともうまく調和している。

リブシュ通り49番の集合住宅 1913

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ホホルの代表作のひとつ。五角形の庭を構え川のほとりに建っている。斜面や結晶体で構成されている。門や塀、格子においてもキュビズム建築となっている。

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裏にまわると表とはまた違った表情をみせる。立面が法則的に分割され、陰影が壁面に表情を与えており、よりキュビズムらしい表現になっている。

キュビズム建築のいずれも、設計時は30歳前後の若手建築家によるものであった。その背景には第1次世界大戦直前のチェコでは、炭田が多いことでドイツの資本による産業革命で工業化が進み、プラハ市街が拡張を続けていたことにある。

このチェコ特有のキュビズム建築という建築様式は、残念ながら根付くことはなかった。近代化が進む建築において自国独自の様式を捜し求めたという点で、北欧と同じように東欧におけるナショナルロマンティシズムとも言えよう。

建築を調べていくと、他の分野の芸術と強く影響を与えあっていることがよくわかる。建築とともにその時代の芸術運動の歴史も読み解くことで、それらの関係性や時代の潮流がはっきりと見えてくるはずである。