ささやかでありながらも大切な記憶と再会
東京都渋谷公園通りギャラリーは、2023年4月22日(土)から6月25日(日)までアール・ブリュット ゼン&ナウVol.3「ただよう記憶の世界」を開催する。3回目の「ただよう記憶の世界」では、国内の作家5名をとりあげ、視覚や味覚など身体の感覚の「記憶」から生まれた作品を「作家のあるひと時の記憶の世界」として紹介。それぞれ独自の感覚と視点により、さまざまなかたちで作品へと姿を変える作家たちの「記憶の世界」。食べた料理や見た風景と自然、幼いころの絵描き歌が作家の手によって鮮やかに現れ、作家の過ごした時間へと誘う。
たとえ同じ時間を過ごしても、記憶はその人唯一のもの。それらの違いも、一人ひとりを形づくる大切なひとつの要素である。忙しく通り過ぎてしまった日々の記憶や、つい忘れてしまいがちな身体で感じた記憶などに少し想いを馳せると、ささやかでありながらも大切な記憶に再会できるかもしれない。ひとつのかたちにはとどまらない作家たちの「記憶の世界」と、それぞれの今ここにはない時間を探すことができる。
アール・ブリュット(Art Brut)
元々、フランスの芸術家ジャン・デュビュッフェによって提唱されたことば。今日では、広く、専門的な美術の教育を受けていない人などによる、独自の発想や表現方法が注目されるアートを表す。
本展覧会のみどころ
様々な身体の感覚の記憶から生まれた作品
本展では食べた食事や訪れた場所など、5名の作家が身体で感じた記憶などから生まれた作品を取り上げている。記憶と言っても、形は様々で、わかりやすい具体的な形となって表現されたり、抽象的な形に姿を変え、表現をされたりすることもある。馴染みのある弁当や乗りものをモチーフとした作品から、どこかで見かけた気がするものまで、さまざまなモチーフから生まれた表現を鑑賞することができる。
身近な素材から生まれた作品たち
出展作品の中にはエアキャップを用いた作品などがあり、その他にもじっくりと見るとカレンダーの紙やCD、ベニヤの板など、日常のどこかで見たり触れたりしたことがある身近な素材たちから生まれていることが分かる。そうした身の周りにある素材からさまざまな作家の表現へと姿を変えた作品を見ることができる。
歩き、ただよいながら作品をみる
会場にはカーブや直線、多角形のようなさまざまな形からなる壁を立て、いろいろな方法で作品を展示。壁の曲線に沿って歩いてみたり、宙に浮いたような作品をのぞき込んだり、頭上に浮かんだ作品を見上げたりと、会場を歩きただよいながら、来場者それぞれのさまざまな見方で作品を楽しむことができる。
アーティスト
後藤友康 / GOTO Tomoyasu
1965年埼玉県生まれ。1984年から2019年頃、埼玉県にある「川口太陽の家」に所属し、創作を行う。色鮮やかなクレヨンやインクで、ベニヤの板やレコード盤、CDなどに描かれた線たちは、幼いころに聴いた絵描き歌がもととなり生まれた表現である。後藤は音に関心が高く、クラシック音楽をはじめ、家族や施設の職員の声など様々な音をカセットテープに重ねて録音し、たびたび聴いていたという。絵描き歌の作品を描く際には、独自のアレンジを加えながら描いている。段ボールから始まった、絵描き歌の作品は、ベニヤ板へと変わっていった。はじめは、後藤一人で絵描き歌を歌いながら描いていた。徐々に、施設の職員と共に歌ったり、絵が描かれた木の板を積み重ねたりする仲間たちに囲まれながら描くなど、制作の環境も様々な変化をしていった。この作品は、後藤自身の幼いころの記憶と、施設で出会い過ごした人々との出会いの記憶に繋がっているように見える。主な展示に、「工房集展 FundamentalⅡ」(マキイマサルファインアーツ[東京都]、2015年)などがある。
小林一緒 / KOBAYASHI Itsuo
1962年東京都生まれ。調理師として、蕎麦屋や病院の給食センターなどで勤務した。18、19歳頃から、小林自身が食べた食事を思い出してメモに残すようになる。26歳頃から現在のような形での制作へと変わった。18歳頃から書き溜めたメモ書きをもとに、当時の記憶を呼び起こしながら描いている。数々の描かれた食事は、ひとつひとつの食材が見えるように再配置され、まるで弁当の図解を見ているようだ。ペンや色鉛筆などを用いて、サバの塩焼きの焼き目やコロッケの衣の質感、刺身や野菜の食材の色まで、緻密に描きだされている。作品には、絵と共に味の感想や、食材について触れたコメントも添えられている。そうしたコメントを書くことで、食べた時の記憶を、新たな記憶へと生まれ変わらせている。近年は、しかけ絵本のように立体的に立ち上がる作品も制作している。主な展示に、「Art Brut du Japon, un autre regard」(アール・ブリュット・コレクション[スイス・ローザンヌ]、2018-2019年)などがある。
東本憲子 / HIGASHIMOTO Noriko
1983年大阪府生まれ。大阪市にある「西淡路希望の家」に所属。織物をはじめ、イラスト作品など様々な作品を制作している。気泡緩衝材(エアキャップ)の気泡に、油性カラーペンや水性インクペンを用いて細かく塗り分けながら直線や面が繋がり、幾何学模様は生み出されている。エアキャップロール1本を使い、端から端まで細かく塗られている。気泡をじっくり見つめると、綺麗な丸ばかりだけではなく、ツノのようにすこし丸からはみ出した部分があるなど、気泡一つひとつそれぞれ異なっており、東本が制作をしている時の息遣いも感じられるようである。さらに、エアキャップのロールを広げると、幾何学模様の中に、桜の花のような模様やクリスマスツリーのような木が、点在して現れる。家族で様々な所に出かけることが多い東本にとって、エアキャップの気泡から生まれた模様は、まるで過ごした時間や見たものたちの記憶を大切に包みこんでいるようである。主な展示に、「北九州未来創造芸術祭」(北九州市立美術館(本館)[福岡県]他、2021年)などがある。
戸來貴規 / HERAI Takanori
1980年岩手県生まれ。《にっき》は、岩手県花巻市にある「やさわの園」に所属し過ごすなかでの日常的な習慣であった。戸來と、この習慣に注目した職員による、時間をかけた丁寧なやりとりによって、表現について少しずつ明らかとなっていった。B5判の紙の両面に描き出された模様のような形。戸來自身が「にっき」や「おべんきょう」「おえかき」とも呼ぶこの作品は、日付の数字に1を足した数字を気温として書くなど、独自の規則により構成されている。1枚のみを一気に描く事はなく、気分に応じて紙を変えながら描いている。裏側には「きょうはラジオたいそうをやりました。」と始まる同じ文章が書かれている。同じ文章でありながらも、一枚一枚塗りつぶされた形が少しずつ異なっているのも魅力の一つである。《にっき》は、小学生のころの連絡帳の習慣がなくなったことで始まったのではないかとされている。作品のなかで、過去の連絡帳の記憶と日常の習慣の記憶が交わりあっているようである。主な展示に、「JAPON」展(アール・ブリュット・コレクション[スイス・ローザンヌ]、2008-2009年)などがある。
松原日光 / MATSUBARA Hikaru
1975年京都府生まれ。16歳頃から自宅にて刺繍を始める。松原が生み出す刺繍は、1針1針が緻密でありつつ、大胆な形でモチーフを表現している。家族旅行で訪れた山や景勝地をはじめ、庭で季節ごとに咲く花や植物などをモチーフに、松原の独特な色彩感覚によって鮮やかな色彩と特徴的な形の刺繍へと姿を変える。乗り物を好み、旅行先で見た船など乗り物も多く作品のモチーフとして登場する。松原自身の「船(飛行機)に乗りたい」という想いも刺繍をするきっかけとなっていた。自宅の窓から庭の木が見える部屋で、たくさんの旅行ガイドや写真のアルバム、刺繍糸に囲まれながら、松原の様々な場所と時間に繋がる刺繍の世界が生まれる。松原の生み出した刺繍作品は、松原が旅先で見た景色や、日々の生活の中で目にする植物の美しさを想像する楽しさを伝えてくれる。主な展示に、「共生の芸術祭「幅と奥行き」」(京都府立文化芸術会館他、2016年)、「共生の芸術祭「旅にでること、その準備」」(京都市美術館別館他、2021-2022年)がある。
東京都渋谷公園通りギャラリー
2020年2月にグランドオープンし、アール・ブリュット等の振興拠点として、アートを通してダイバーシティの理解促進や包容力のある共生社会の実現に寄与するためアール・ブリュット等をはじめとするさまざまな作品の展示や新設した交流スペースを活用した対話的で創造的な交流プログラムを展開している。
アール・ブリュット ゼン&ナウ Vol.3 「ただよう記憶の世界」
会期 | 2023年4月22日から6月25日まで |
時間 | 11:00 ~ 19:00 |
休館 | 月曜日 |
会場 | 東京都渋谷公園通りギャラリー 展示室1、2 |
入場 | 無料 |