青木淳、ピーター・マリノ、A.N.D.がデザインした、銀座並木通りの新しいルイ・ヴィトンの店舗
ルイ・ヴィトンは、銀座並木通りに新店舗をオープンした。波打つ水にインスピレーションを受けたこの素晴らしい建物は、日本人建築家の青木淳が設計し、アメリカ人建築家のピーター・マリノと日本人建築家の小坂竜、A.N.D.がインテリアデザインを担当した。昨年オープンした大阪の旗艦店に続き、銀座並木通り店は、ルイ・ヴィトンでは2店舗目となるカフェを併設した店舗となる。水のメタファーは、ダイクロイック・コーティングを施したガラスのファサードやインテリアなど、建物全体で繰り返し表現。ここでは、巨大なクラゲが来店者を迎え、螺旋階段や水の要素をイメージした曲線の家具が置かれている。
このプロジェクトで、ルイ・ヴィトンは建築リサーチと質の高いデザインに対する継続的なコミットメントをすることを確認した。ラグジュアリーが主に精巧な複製に関連した長い期間を経て、ラグジュアリーにおける世界的なトレンドは「グローカル化」とビスポークデザインへと向かっている。グローカルなアプローチのデザインを採用することは、その土地の独自の個性を組み込み、建築を通してその土地と歴史を再び結びつけることを意味する。ルイ・ヴィトンの会長兼CEOであるマイケル・バークは、最近のインタビューで次のように述べる。「建築とラグジュアリーは密接に結びついていると考えています。今日、銀座のような象徴的な場所にオープンするにあたり、お客様は私たちが建築的な主張をすることを期待しています。中略)日本は独自性とビスポークに関連するものについて、過去とのつながりを再び取り戻しつつあります。そして、それは私たちが店舗で行っていることでもあります。すべての店舗が非常にユニークな試みです」。
他のラグジュアリーブランド(アルマーニ、ブルガリ、プラダなど)と同様に、ルイ・ヴィトンは特に「体験」の提供し、建築家やデザイナー、アーティストなどのクリエイターとのパートナーシップを強化する子によって、クライアントとの関わりの手段を充実させるよう取り組んでいる。そのため、新店舗には、アート作品のほか、カフェやチョコレートブティックも併設されている。
著名な日本人建築家の青木淳は、革新的なデザインを通じて顧客体験を向上させるためにルイ・ヴィトンと提携したクリエイターの1人です。 青木は過去20年間に、フランスの高級ブランドのためにいくつかのブティックをデザインした。 彼のユニークなスタイルと「不安定な装飾」というオリジナルのコンセプトは、数年後には世界中のルイ・ヴィトンの店の特徴となった。 私は日本の建築家に銀座での彼の最近のプロジェクトについて話を伺う機会があった。
青木淳インタビュー
マッテオ・ベルフィオーレ: このプロジェクトは、昨年大阪で完成したプロジェクトと合わせて、スター建築家同士の文化的対話の一例となっています。あなたの事務所は、建物の設計、ファサードのデザイン、そして5階のオフィスのインテリアを担当しました。小坂竜とA.N.D.がデザインした7階のカフェを除いて、ピーター・マリーノが他のフロアのインテリアを担当しました。距離やスタイル、デザイン哲学の多様性にもかかわらず、3つのチームがどのようにしてインテリアとエクステリアのデザインをシームレスに調整することができたかに興味があります。
青木淳: 建築本体や外装は、デザインリサーチや実際の施工にかなりの時間を要するため、内装設計に先立ってリサーチがスタートします。外観、ファサードがデザインされる時は、内装はまだゾーニング、レイアウト程度の検討段階となります。そのため、外観、ファサードデザインの大きな方向性を受けて、それをインスピレーションの源泉として、インテリアデザインが始まります。そして、そのスタディが外観、ファサードデザインにフィードバックされるという、いわば弁証法な進み方になっています。外装(テーシス)とインテリア(アンチテーシス)の向かうベクトルがまったく異なりながら、全体としては統合(ジンテーシス)されるというわけです。
マッテオ・ベルフィオーレ: 銀座並木店のファサードは、ダイクロイック・コーティングを施した二重構造のガラスで実現しています。水の波のように、光と周囲環境を絶妙に映し出し、照明によって色が変化します。ファサードを見るたびに、異なるイメージが浮かび上がります。また、ジグムント・バウマン(Zygmunt Bauman)の 「リキッド・ソサイエティ」という概念を思い起こさせます。リキッド・モダニティにおける建築の役割について、あなたの考えをお聞かせてください。
青木淳: 「リキッド・ソサイエティ」について、私はジグムント・バウマンの考え方とは異なり、悲観的ではありません。ソリッドに先立ってあるのがリキッドであったのであり、むしろリキッドの方が本来的という仮説を私は持っています。例えば、私が仕事を始めた30年くらい前に、最初に提唱したテーマは「循環体(circulation body)」でした。人間の行動というものは、目的行動の束に分けられるものではなく、もっと流動的かつ無定形なものです。私は「繋がれる空間(rooms to be linked)」ではなく「繋いでいる空間(linking space)」によって建築をやろうとしてきました。そこでは、建築空間というものもまた目的というものを持ち、その目的を達成のための場であるのです。私は人々がコネクトする場である建築を作りたいのです。私は人間の自由に寄与したいので、ある目的に固定、収斂させるのではなく、建築がさまざまな行動に遊動、拡散する方向を目指したいと考えています。
マッテオ・ベルフィオーレ: あなたとルイ・ヴィトンの長期にわたるコラボレーションは、20年以上前に始まりました。これまでに、日本、香港、ニューヨークで12のブティックをデザインなさっています。ルイ・ヴィトンはトランクをファッションに変えたブランドですが、どのようにして、ブランドプロジェクトを通じて、ルイ・ヴィトンの価値観を建築へ反映させたのでしょうか?また、10以上の異なる建築コンセプトの中で、ルイ・ヴィトンという同じブランド価値をどのように表現したのでしょうか?
青木淳: どのブランドもそうですが、ブランド価値の核心を見極めようと表皮を剥いていくと、また新な表皮が出てきて、最後には何もなくなってしまいます。玉ねぎのようです。つまり、ブランド価値は、どこまでも掴むことができず、それは流動性・不定性をもった動的な総体として捉えるしかありません。それぞれのプロジェクトで、それに相応しい形の手探っていき、その結果完成するのが、無限に剥かれるべき一枚の表皮なのです。
マッテオ・ベルフィオーレ: Designboomのインタビューで、あなたが自分のスタイルについて、「不安定な装飾性 」を目指していると語っていたのを覚えています。それから10年が経ち、銀座並木通り店を訪れたとき、まさにその感覚を覚えました。これがあなたの特徴でしょう。例えば、ホワイト・チャペルや、モアレ効果を使ったルイ・ヴィトンの店舗などがそうですね。あなたの考える「不安定な装飾」を具体的に説明していただけますか?
青木淳: 装飾という言葉には、本質部分ではなく、なにか実体なり本体があって、それに付加されたもの、というニュアンスを含んでますが、僕は「装飾」をそういうふうにはとらえていません。むしろ、僕たちに見えるのは、表面だけで、実は世界には表面しかない、本質や実体は想像のなかにしかない、と言えますね。となれば、見えているものはすべて表面であり装飾です。そして、それを剥いでも、現れるのは表面でしかなく、やはり装飾であり、それを剥いでも、現れるのは表面でしかない、そんな玉ねぎ的世界として、本体 / 装飾の関係を捉えている。
鷲田清一という日本の哲学者がこんなことを書いています。「衣服の向こう側に裸体という実質を想定してはならない。衣服を剥いでも、現れてくるのはもうひとつの別の衣服なのである。衣服は身体という実体の外皮でもなければ、被覆でもない」。つまり、私たちの世界には表面=装飾の積層でしかないと認識しています。
その上で、不安定というのは、その表面=装飾が持ってしまう、一意的な意味への固定という方向をひっくり返し、見る人、体験する人ごとに異なる意味に拡散させる、ということを指しています。シニフィエからシニフィアンの解放と言ってもいいです。
マッテオ・ベルフィオーレ: このプロジェクトは、ガラスの驚くべき可能性を示すマニフェストだと思います。今では、現在のガラス技術を用いれば、ほぼ全ての形状を作ることが可能です。しかし、この驚異的な効果を得るまでに、あなたのチームが多くの試練と課題に直面したと想像できます。この未来的なファサードができあがるまでのプロセスを教えてください。
青木淳: クロード・モネの作品に《ラ・グルヌイエール(La Grenouillère)》(1869)という絵があります。ここで描かれた水面は、画像の光学的固定とは大きく異なる純色並列(pure-color juxtaposition)という技法で描かれていています。つまり、モネは現実の水面の像を、画面の上にではなく、見る人の心の中で直接、作りあげようとしています。このような二次元の試みを三次元の世界に戻してみる、というのが銀座並木通り店での試みです。
室内空間をあまり失いたくなかったので、ガラス面のうねりはかなり制限されたものでなければなりませんでした。実際、凹凸の深さは10cmしかありません。その浅いうねりに、豊かなうねりを作り出すために、私は表現主義者が生み出した純色並列という手法を採用しました。つまり、単純な鏡ではなく、光を2つの補色関係にある色に分割して反射するものが必要でした。それが、ダイクロイックコーティングに繋がりました。
塗料が望ましいタコイーズブルーを発色するようにするため、さまざまな蒸着方法を試し、最適なスペックを得ました。また地震が発生しやすい日本では難しい、滑らかで連続的な曲面を実現するために、サッシュフレームなどの夾雑物を避けたいと考えました。そこで、合わせガラスの接着面にアルミエッジフレームを挿入し、二重ガラスを支える方法を生み出したのです。
註記
このインタビューのために貴重な時間を割いてくださった青木淳氏と、協力いただいた川畑京子氏、岡﨑桃子氏に心から感謝します。