古民家での暮らしVol.2: 畳と古民家
日本で不動産物件を探していると、4.5畳や6畳といった表記をよく目にすると思います。外国の方からすればちょっと分かりづらいかもしれない表記ですが、畳の大きさをなんとなく知っている人には平米数などで面積を書かれるよりも畳の枚数で説明された方が部屋の広さを直感的に把握しやすいため、現在でもこのような表記がよく使われているのでしょう。しかし、畳の大きさは法律で決まっているわけではないため、場合によっては狭い家を少しでも広く思わせるために、不動産会社が小さめの畳を敷いて畳数の方を目立つように表示し、ごまかしのきかない平米数は目にとまらないように小さく書いているなんてケースもあります。
畳数はペンキなどの塗料を購入する際にも平米数と一緒に目安として表記されていたり、カーペットの大きさも畳数で書かれていたりと、日本で生活しているとなにかと目にしますが、実は単位としてはあまり信用できない厄介なものでもあるのです。
まず第一に畳の規格にはいくつかの種類があり、一番大きいものが京都を中心とした関西方面で主に使用されている京間や本間間と呼ばれる規格で、大きさは191×95.5cm。ついで広島などの瀬戸内海沿岸部で使用される安芸間や六一間と呼ばれる規格が185×92.5cm。日本の建築で主に使用される構造用合板や石膏ボードと同じ3×6尺規格の畳は中京間や三六間と呼ばれ、大きさは182×91cm。東京など関東地方を中心に全国でも使用されている江戸間や五八間と呼ばれる畳の大きさは176×88cm。1955年から1973年の高度経済成長期にかけて大量に作られた住宅団地に採用された団地間や五六間と呼ばれる畳はさらに小さく、170×85cm。いずれの畳も長辺と短辺の比率は大体2:1となっていますが、近年フローリングの上に直接置いてもあまり違和感がないとして人気のある沖縄の琉球畳は正方形で88×88cmが基本的なサイズになっています。
そして第二に、上に挙げた規格もあくまで目安であって、古民家に使用されている畳は同じ部屋の中に使用されているものでも一枚一枚サイズが違い、畳の裏には並べる位置が書かれてあるのが普通で、パズルのように正しい位置にはめこまないと部屋にきれいに収まりません。なぜ畳のサイズが一枚一枚異なるのかというと、建物は基本的に畳に合わせて設計するのではなく、土地に合わせて間取りを考え、間取りに合わせて大工が家を建て、最後に完成した部屋に合わせて畳屋が一枚一枚畳を作るからです。部屋は必ずしも直角や平行にできているわけではなく、土地に合わせて微妙に変則的な形になっているなどのちょっとした歪みがあります。畳屋はその歪みも計算して部屋の面積を測り、工房で作ってきた畳をぴったりと部屋にはまるように制作する高度な技術をもっているのです。
畳にまつわる日本のことわざに「立って半畳寝て一畳、天下取っても二合半」というものがあります。意味は「人が立っている面積は畳半分、寝ているときに使っているのは一畳分くらいで、この世の全てを手に入れたとしても実際に一人の人間が使える面積はたかが知れている。だから必要以上の富を求めるのではなく、自分にとって必要なものだけで満足することが大事だ」というものです。現在は日本人の体格も昔に比べて大きくなってきたため、一畳では人が寝るには少し小さいと感じますが、布団が発明される以前、畳は貴族が寝るためのマットレスとして使用されていた歴史があり、昔の人が寝転んだ大きさに合わせて一畳という規格ができていったと考えると、まさしく日本人にとって必要な大きさは寝て一畳だったのだと言えます。畳はマットレスとしてだけでなく、貴族の屋敷のカーペットとしても使用され、平安時代(794-1185年)には身分によって厚さや大きさ、畳縁の色なども厳しく決まっていました。時代とともに畳はやがて貴族から武家、武家から町民へと普及していきます。畳は茶の文化とも関わりが深く、室町時代(1336-1573年)には茶室を四畳半で作る形式が定まり、現在のように畳の数をベースに間取りが考えられるようになったのも、茶を楽しむための建築様式である数寄屋造りから派生した畳割りが一般に普及したためだと言われます。和室の代名詞とも言える床の間も畳と共に発展してきたものであり、日本の文化への理解を深めていく上で畳文化を理解することは決して損にはならないでしょう。
ちなみに、空手や柔道などの武道で畳マットレスを使用しているという方もいるかと思いますが、現代の武道で使用されている畳マットレスは本物の畳ではないので、本物の畳に触れたことのない方はぜひ畳の部屋に泊まってみてください。