ニューヨークのメトロポリタン美術館でカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの回顧展が開催
芸術は極めて個人的なものだが社会的なものにもなる。メトロポリタン美術館で5月11日まで開催された画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774–1840)の回顧展「The Soul of Nature(自然の魂)」は、そうした絵画の流動性について問う展示であった。
フリードリヒはドイツ・ロマン主義を代表する画家であり、崇高美という概念を芸術の中心に据えた。キリスト教の象徴を讃えながらも、その絵はどこか汎神論的な自然観を内包している。あまりにも有名な「Wanderer above the sea of fog(雲海の上の旅人)」がアメリカで初公開となったこともあり、回顧展へは多くの人が詰めかけていた。その様子とともに、フリードリヒの芸術の歩みを辿ってみたい。
フリードリヒは1774年、ドイツ北部にある当時スウェーデン領であったポメラニア地方に生まれた。1794年からコペンハーゲンのデンマーク王立美術院で学び、やがてドイツのドレスデンに定住する。初期にはインク画で評価を得た。彼の芸術は、当時まだ統一国家ではなかったドイツの地理に根ざしているといえる。
1815年まで続いたナポレオン戦争によるドイツの荒廃を目の当たりにし、フリードリヒは苦難や慰めを象徴するような退廃したカトリック修道院や十字架など、ドイツの土地に共通するモチーフに惹かれていく。それは祖国への愛、信仰、再生への祈りでもあった。
ルター派プロテスタントの厳格な家庭で育ったフリードリヒは、当時、急進派であったシェリングやヘーゲルといった哲学者たちの自然観にも影響を受けている。そして従来の聖書的な図像ではなく、風景を神聖なるものとして描く新しいキリスト教絵画を確立させる。当時、一部からは宗教的冒涜と受け止められたものの、風景における内的体験を基調とした表現は力強さを増していく。
今回の展示で、個人的に特に心を打たれたのが「Monk by the Sea」だ。単なる物質の塊であるはずの絵具によるその“無限”の感覚は、言葉にするのが難しい。暗い海と空、そしてその中にたたずむ一人の僧侶。フリードリヒの絵画は人を強力に引きこむ力があり、否応なくその風景に自らを重ねてしまう。
1810年代後半から20年代にかけて、フリードリヒの絵画は宗教的象徴からより身近な日常や故郷を寄りどころとした精神世界へと向かう。この時期に生まれたのが「Wanderer above the sea of fog(雲海の上の旅人)」だ。
伝統的なドイツの民族衣装を纏い断崖の上に立つ男性の後ろ姿は、どこかアンビバレントな雰囲気を漂わせている。この絵はドレスデン近郊の山岳地帯でのスケッチを元に、異なる風景を組み合わせて描かれたという。展示のキャプションは次のように記している。
「この旅人は、自然とのつながりを求めるロマン主義の象徴です。風に吹かれる高台に立つ彼の視界は霧に遮られています。鑑賞者は彼の背中を見ることしかできず、彼が何を見ているのかは想像するしかありません。知識と不確かさ、脆さと力、美しさと危うさ。すべてが共存するこの絵は、“崇高”というロマン主義の核心を映し出しています。」
「Wanderer above the sea of fog」はポピュラーカルチャーなどでも度々登場し、時にドイツ国家そのもののメタファーとしても引用されるイメージだ。
展示のなかで唯一明るい印象を覚えたのが、窓辺に立つフリードリヒの妻カロリーネを描いた作品だった。だがその明るさも続かず、フリードリヒの筆は死や再生といった表現に傾いていく。
政治的に自由主義者であったフリードリヒは、民主的な理想に基づくドイツ国家の統一を望んだという。だが旧体制に固執する貴族によりその夢は阻まれた。やがて社会は彼のような謎めいた芸術よりも、分かりやすい表現を好むようになる。
晩年は脳卒中により油彩を断念し、再びインク画に戻る。名声は失われ、1840年にフリードリヒはドレスデンで亡くなった。晩年に描かれた風景には、人間の姿がすっかり自然に溶け込んだような霊的な世界が広がっている。
一方、ヒトラーがフリードリヒの絵画のファンであったというのは有名な話だが、フリードリヒの死後、作品は数奇な運命を辿る。愛国心あるドイツ的なるものの象徴としてナチス政権のプロパガンダに利用され、戦後は美術界から長く敬遠されてしまう。再度、評価を得るには数十年を要した。展示内では、人々がまるで鏡を見るかのように絵に見入っていた姿が印象的であった。今日、彼の絵画が語りかけてくるものを、私たちはどう解釈し得るだろうか。

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