ベルギー・ブリュッセルにあるカナル・ポンピドゥーセンター(KANAL - Centre Pompidou)
皆さんいかがお過ごしですか?今回、美術散歩でお届けするのは、こちらの場所。
ポンピドゥー·センターはどこにある?
今回ご紹介するのは、ブリュッセルにあるポンピドゥー·センター。
今「あれ?」と思った方…そうです。ポンピドゥー·センターといえば「パリ」中心部にある美術館ですよね。1977年に設立、建築家のレンゾ·ピアノ(Renzo Piano, 1937年9月14日 - )
とリチャード· ロジャース (Richard George Rogers, 1933年7月23日 -)
が手がけたユニークな建築の外観、一度は目にしたことがあるのでは。
ポンピドゥー·センターはヨーロッパ最大の近現代美術コレクションを誇り、世界で最も大きな美術館の1つに数えられています。そのコレクション数は10万点以上。
そんな膨大なコレクションを持つポンピドゥー·センターですが、パリ以外にも別館に作品を保有しています。例えばブランチのひとつ、ロレーヌ地方にあるポンピドゥーセンター·メス。建築家の坂茂さん(1957年8月5日-)とジャン・ド・ガスティーヌ(Jean de Gastines, 1957年1月10日-)さんが日仏共同で手掛けられたことも話題になり、記憶に新しいのでは。
さて他のブランチ(分館)は一体いくつあるのでしょうか?ざっと確認してみましょう。
まず、仏国外ではスペインのマラガが、ベルギー のブリュッセル、香港と上海、サウジアラビアのダーランの5箇所。そして仮設版はメキシコとブラジルの2箇所。仏国内では、メス、ショーモン、リブルヌ、モブージュ、そしてマシーの5箇所。
…おお、意外と多いですね!
こんなに沢山あるとは…。やはりメインの美術館に比べるとブランチの存在は若干薄い印象。一体どんな場所か気になりますよね。そんなわけで、今回はコロナ渦以前に訪れた、ブリュッセルの分館をピックアップしてみました。私もベルギーは9回ほど訪れていますが、ベルギー のポンピドゥーセンター、実は今回が初めての訪問です。特にこの美術館、2018 年に仮オープンはしているものの、全体の完成は2024年(を予定)。途中段階という事もあり、まだ比較的知名度の低いこれからが注目の美術館かなと思います。
少し長くなってしまったので、前編と後編2回へ分けてお届けしようと思います。それでは、前編スタート!
いざ、美術館へ。
雲が多いですがお天気はまずまずです。
ブリュッセルへ初めて訪れた時、空を見て「マグリットの空と同じだ!」と感動した記憶があります。この日の空模様は冴えませんが…ブリュッセルの空や雲は、本当にマグリットの絵のようなことが多いです(ルネ·フランソワ·ギスラン·マグリット (René François Ghislain Magritte, 1898年11月21日 -1967年8月15日)。
KANAL Central Pompidou
中心部からタクシーで美術館へ。運転手さんも入り口を見つけるのに若干時間がかかりました。外から見ても少しわかりにくい場所です。
美術館周辺の様子。
しばらくすると運河沿いにようやく、それらしき標識が…美術館の名前がプリントされた旗が見えました。
早速中へ入ります。
美術館というより大きな倉庫のような場所。
入ってすぐ前方に見える大きな物体は、スイスの彫刻家ジャン·ティンゲリーの作品です。
私が彼の作品に興味を持つようになったのは、たまたま訪れたスイスのバーゼルにあるティンゲリー美術館へ立ち寄ったことがきっかけです。
ちょうど良い機会なので、彼の作品と、バーゼルの街について軽く触れておきますね。
ジャン·ティンゲリーとバーゼル
ティンゲリーはスイス生まれの現代芸術家(1925年生まれ)。廃材を利用した機械仕掛けの彫刻、キネティック·アートが代表作。彼の作品は運搬が難しい事もあってか、なかなか目にする機会がないかもしれません。日本ではセゾン美術館にも一点、大型作品があるようです。
そしてティンゲリー美樹館のあるバーゼルの街。ここはスイスとドイツの境めに位置し、2つの文化やが混ざったような面白い雰囲気の場所です。この街では年に1度の伝統的なフェスティバルがあり、祭事のお面は、街を象徴するアイコンとして親しまれています。
バーゼルをふらふら歩いていると、旧市街のある古めかしい通りや音楽院、非常に落ち着いた街の様子を楽しめます。その一方で、近郊に足を伸ばすとフランク・ゲーリー(Frank Gehry)の手がけたヴィトラ・デザイン・ミュージアム(Vitra Design Museum)があったりと現代的な一面も。
そんなユニークでな街バーゼルでは、ティンゲリーは身近な存在。美術館内の作品の一部や市内の噴水は自由に触れることができます。ティンゲリー美術館では、大型作品の中を歩くこともできちゃいます。さて、そんなティンゲリー作品、このブリュッセルのKANALでも、すぐ近くで観ることが出来ますよ。入り口の地面に何気なくドン!と設置されており、カジュアルな雰囲気で鑑賞出来ます。
もうひとつ、思い出しました。実はパリのポンピドゥーセンターの横の広場にある噴水もティンゲリーの代表作の1つなんです。彼の奥さんであるニキ·ド·サンファルと共同製作した作品です。
そう考えると、ブリュッセルとパリ、両方のポンピドゥーに、ティンゲリーの大型作品が関連しているというのは、面白い共通点かもしれません(パリは美術館の隣ですが)。
ちなみにニキ·ド·サンファルも著名な彫刻家。カラフルでエネルギッシュな彼女の作品、日本では箱根彫刻の森などでも楽しむことが出来ますよ。
パリのポンピドゥーセンターの横ストラヴィンスキー広場(Place Igor Stravinsky)にある噴水。ティンゲリーとニキの共同制作。
建物内部の道路標識
さて、序盤から話は思いっきり脇道へそれてしまいましたが、
さらに館内を進んでみましょう。ここから先は、サクサク全体を散歩する感じで建物を紹介していきます。
中へ進んで見るとよくわかるのですが、床面には何やらみたことのある道路標識が…。
床面には白線や矢印、横断歩道の標識も。
果たしてここは美術館なのか、それともまだ展示室ではないのか…?
なぜこんな床面なのでしょうか…?実はここ、以前は車のガレージでした。
ガレージの持ち主はフランスの車メーカーシトロエン。1930年代に建てられたこの建物は、もともとシトロエンの持ち物だったのです。広さは16,500平米もある巨大な複合施設。工場、ショールーム、販売所や修理センターとしても使用されました。設計はフランスの建築家モーリス·ジャック·ラヴァゼ、ベルギーの建築家アレクシス·デュモンとマルセル·ヴァン·ゲーテム。素材は主にガラス、鋼、コンクリート。当時のモダニズム精神を具現化するという目的を持った象徴的な建物だったようです。そんなわけで、 車の標識だらけなんですね。あえてそのまま昔のスロープや白線などを残しています。
こんなステッカーも発見。昔使われていた標識でしょうか。
駐車線横に置かれた作品。
駐車場があまりに現実的な風景なので、コントラストが面白いです。
まるで現実と非現実が混ざったような…ブリュッセルにいるせいなのか、マグリットのシュルレアリズムの世界へ入り込んだような奇妙な気分に…。
外を見ると、ここはブリュッセルだと思い出すことが出来ます。
さて、美術館内へ視線を戻して…。
鶴びた空間の中の、真新しい白い標識。
古い写真に新しい写真を合成したような不自然さが逆に新鮮で、妙に馴染んでいます。
現実と非日常
「古い建物を再利用した場所」というのは近年多く見かけます。ただこのKANALに関してはちょっとユニークというか。一味違う使い方なのかな、という感想を持ちました。
理由としては、「あえて手をそこまで加えていない」ところ。「新しく生まれ変わった」というよりは、本当に「そのまま」使われています。
他の再利用施設では、古さを残しつつもどこかモダンでお洒落、上手に整えられていることが多い気がします。対してKANALは逆に何もしていない雑多な部分が多いというか。そのあえて残した現実味が、アート作品を設置することにより、新しい価値を生んでいる印象。
例えば、この写真の手前をよーくみていただくとわかるのですが、手すりや床。汚れたままですよね。まるで「昨日まで、車のガレージでした。」というくらい本当にそのままの状態です。
そこへパッと現れる鮮やかなアート作品。
日常風景と非日常風景が急に共存する世界は、奇妙なな夢の中にいるよう。まるで見慣れた帰り道に、偶然宇宙船に遭遇したかのような気分といえば良いでしょうか。
例えばこの、真新しい仮設の展示空間、中へ入ってみると、床も天井も壁素材も、なんとも真新しいクリーンな空間。部屋の外側が旧ガレージだということを思わず忘れてしまいそう。外の世界との対比がすごい、異質な空間ですよね。
もしもこの場所を、真っ白な美術館に設置したらどうでしょう?恐らくそこまで異質に見えないのではないでしょうか。対してこの薄汚れたガレージの中。部屋へ一歩足を踏み入れた時の感覚は、全く別な経験になると思います。
しばらく進むと、下の階に車の整備パーツのようなものが。
展示の一部なのですが、そのまま昔の作業パーツが放置していようにも見えます…。現実と非現実の境目がますます曖昧になってきます。
誰もいない、本当に倉庫や、駐車場に迷い込んだ気分になります。
多くの美術館のようにアートのために作られた空間の中で作品を鑑賞する事はもちろん素晴らしい経験ですが、逆に、現実味を帯びたこの空間で見る作品は、ハッとするような不思議な見え方をしていました。
(後編へ続く)