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知られざる交流と協働の軌跡

猪熊弦一郎博覧会」が丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)で2025年4月12日(土)から7月6日(日)まで開催される。本展では、猪熊弦一郎(1902-1993)の画家としての作品世界にとどまらず、著名なアーティストとの交流や建築家との協働、デザインの仕事、そこから生み出された文化的所産に焦点を当て紹介していく。

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JR上野駅壁画《自由》修復記念式典時 駅長の帽子をかぶった猪熊弦一郎 1989年

20世紀に活躍した画家・猪熊。生涯現役で活動し、その画業は70年の長きに渡る。一貫して絵画における「美」 を追求し、一方で常に新しい表現に挑戦することで画風が変化し続けた。戦前はパリ、戦後はニューヨーク、ハワイ と海外に拠点を置き国際的に活動を行った。 本展では、戦後の猪熊の画業について絵画以外の活動に注目。1949年に猪熊が中心となって設立した「新制作派協会建築部」会員との協働、猪熊自身が手がけたデザインやパブリックアートの仕事、ニューヨーク滞在時に日米文化交流で果たした役割や世界的なアーティストとの交流、故郷の香川県に今の「アート県かがわ」につながる文化的な礎を築いたことなど、国内外に遺した足跡をたどる。

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交流のハブとしての猪熊弦一郎 関係図

展示構成

プロローグ 新制作派協会設立

1935年、文部大臣松田源治による突然の帝展改組が起こり、日本の洋画壇に激震が走った。国による美術界の統制に反発した猪熊弦一郎は、より純粋に芸術を追究したいと官展と決別し、志を同じくする小磯良平や中西利雄をはじめとする仲間たちと、翌1936年に新制作派協会を立ち上げた。以降は生涯を通して同会に出品を続けた。

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新制作派協会設立会員 1936年

1章 生活造型/建築

戦時中、猪熊や新制作派協会のメンバーが神奈川県津久井郡(現相模原市)に疎開。地域の人々と親しくつきあい、慕われていた。芸術家村を作る構想まで飛び出し、猪熊と交流のあった建築家の山口文象が村の設計図を完成させたと言われている。猪熊と山口は、気鋭の建築家たち(前川國男、丹下健三、谷口吉郎、吉村順三、池辺陽、岡田哲郎)をメンバーに迎え新制作派協会建築部を創設し、新制作派協会は新たに「生活造型」を理念に掲げ、画家や彫刻家と建築家の協働を盛んに行った。猪熊自身も、谷口吉郎の慶應義塾大学学生ホール(1949年)や丹下健三の香川県庁舎(1958年)をはじめ、建築空間に合わせた壁画をいくつも手がけた。

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「壁画と私」猪熊弦一郎 ※《デモクラシー》制作中の猪熊弦一郎 『ART』 1950年1月号

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慶應義塾大学壁画《デモクラシー》 1949年 撮影:高橋章

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帝国劇場ステンドグラス《律動》 1966年 撮影:高橋章

2章 生活造型/デザイン、パブリックアート

終戦後、猪熊は、ポスターや雑誌の表紙絵、挿絵、装丁などデザインの仕事を数多く手がけた。そこには「生活造型」や「絵画は独占するものでなくより多くの人々を喜ばせ、みちびくもの、多くの人々のためになるべきもの」という考え方のもと、生活空間に「美」を提供したいという画家としての思いがあったと考えられる。 三越百貨店の顔ともいえる包装紙「華ひらく」は、1950年にその年のクリスマス用にと依頼を受けて猪熊が制作したもので、赤い曲線のモチーフは、どんな形や大きさの箱でも美しく包めるようにと考え抜かれた配置となっている。好評を博したため定番となって、現在まで70年以上使われてきた。また、1951年に猪熊が制作したJR上野駅中央改札にある大きな壁画《自由》も、数度の修復を受けながら現在も同じ場所で親しまれ続けている。

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三越包装紙「華ひらく」 型紙 1950年

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JR上野駅中央改札壁画《自由》 1951年 撮影:高橋章、 2000年

3章 ニューヨークへ

1955年に拠点をニューヨークに移したことを機に、猪熊の画風は具象から抽象へ一変。ウィラード・ ギャラリーに所属作家として迎えられ、同画廊で10回の個展を開き、意欲的に新作を発表し続けた。およそ20年のニューヨーク滞在中は、日米文化交流においても、公私に渡り重要な役割を担った。世界に名だたる多ジャンルの芸術家達と交流し、猪熊邸がたびたび交流の場となっていった。

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ウィラード・ギャラリー(ニューヨーク)第1回個展案内状 1956年

日米文化交流への公的貢献例
  • 1956年 日本航空ニューヨーク支店の室内装飾を担当。(内装:吉村順三)
  • 1957年 日米協会運営委員、ニューヨーク日本総領事館顧問(文化交流)、日米貿易振興会顧問 (文化交流係)を委嘱される。
  • 1958年 高島屋ニューヨーク支店の壁画を担当。(設計:吉村順三)
  • 1959年 ニューヨークのジャパン・ハウス・ギャラリー「魯山人展」のディスプレイを担当、アメリカ旅行中の棟方志功がポスターを描く。棟方自身もウィラード・ギャラリーで個展開催、猪熊夫人が展示を手伝っている。
  • 京都市とボストン市の姉妹都市結成を記念し、裏千家がボストン博物館に贈った茶室のデザインと庭園のディスプレイをする。
  • 1960年 日米親交100年祭のカタログをデザイン。
4章 「アート県かがわ」の礎

新制作派協会建築部にはじまる建築家との協働は、故郷の香川県において、大きく華ひらいた。丹下健三設計の「香川県庁舎(現 東館)」(1958年落成、2022年国の重要文化財指定)は、当時の香川県知事、金子正則に猪熊が良い建築の重要性を説いて、新進気鋭の丹下健三を紹介したことで実現した。鉄筋コンクリートによる日本伝統建築の表現、県民に開かれたピロティやロビー、意匠的に優れた家具類等が評価され、香川県庁舎は丹下の初期代表作の一つとなった。猪熊は1階ロビー陶画《和敬清寂》を担当、家具の一部は、新制作派協会建築部会員となった剣持勇がデザインを担当している。 丹下の国際的な評価が高まり、香川県庁舎目当ての海外からの来訪が増え、猪熊も金子にロックフェラー3世をはじめとする米国の要人を紹介。また、猪熊の働きかけによって、ニューヨークの高級雑貨店で香川の工芸品が販売されるようにもなった。一方の金子も、香川にアトリ エを構える彫刻家流政之と石工グループ(石匠塾)を世界博覧会日本館のためにニューヨークに派遣する際、猪熊に世話を頼むなど、香川県庁舎に端を発する芸術ネットワークは広がりを見せた。猪熊の影響を受け芸術の重要性を深く理解する金子は、その後も県下の建築や産業デザインの向上に注力し「建築知事」「デザイン知事」と呼ばれた。国内外の芸術家とも交流し、米国タイム誌でも紹介されている。他にも、猪熊は香川に様々な縁をつないだ。こうした猪熊と金子の業績は、瀬戸内国際芸術祭の開催や多くの著名な建築物を擁する現在の「アート県かがわ」に繋がっていった。

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香川県庁舎東館陶画《和敬清寂》 1958年 撮影:高橋章

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レグザムホール(香川県県民ホール)壁画《21世紀に贈るメッセージ》 1988年 撮影:高橋章

5章 MIMOCA

1987年、丸亀市は市制90周年記念事業として、市にゆかりのある猪熊に記念美術館の設立を申し出た。猪熊は、良い美術館を作るのであれば協力すると答え、自分を記念するだけでなく、現代美術を積極的に紹介する美術館にして欲しいと答えた。加えて、便利な駅前立地とすること、 美しい建築空間にすること、子どもの教育に力を入れること、日常の疲れを癒す「心の病院」のような存在となることを希望した。美しい建築空間のため、猪熊は建築家、谷口吉生(1937-2024)を丸亀市に推薦し、画家と建築家が対話を重ねて、互いの理念が具現化された。

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MIMOCA外観 撮影:増田好郎

エピローグ MoMA

MIMOCAの建築が評価され、のちに谷口吉生はニュー ヨーク近代美術館(MoMA)の大規模リノベーションの設計者に選ばれた(2004年竣工)。猪熊がニューヨークに滞在中、ハーバード大学に留学していた谷口は、猪熊邸を訪れるたびに、当時のMoMAへ連れて行かれていた。MIMOCA設計中は、互いにMoMAのような美術館にしたいと話し合っていた。

猪熊弦一郎

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猪熊弦一郎 撮影:高橋章

1902年 香川県高松市生まれ。少年時代を香川県で過ごす。
1921年 旧制丸亀中学校(現 香川県立丸亀高等学校)を卒業、上京し本郷洋画研究所で学ぶ。
1922年 東京美術学校(現 東京藝術大学)西洋画科に進学、藤島武二教室で学ぶ。
1926年 帝国美術院第7回美術展覧会に初入選する。以後、1934年まで毎年出品し入特選を重ねる。
1927年 東京美術学校を中退。
1935年 新帝展に反対し不出品の盟を結んだ有志と第二部会を組織、第1回展に出品する。
1936年 同世代の仲間と新制作派協会(現 新制作協会)を結成、以後発表の舞台とする。
1938年 渡仏、パリにアトリエを構える(~1940)。滞仏中アンリ・マティスに学ぶ 。
1950年 三越の包装紙「華ひらく」をデザインする。
1951年 国鉄上野駅(現 JR東日本上野駅)の大壁画《自由》を制作。
1955年 渡米、ニューヨークにアトリエを構える。
1975年 ニューヨークのアトリエを閉じ、東京に戻る。冬はハワイで制作するようになる。
1989年 丸亀市へ作品1,000点を寄贈。
1991年 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館が開館。
1993年 逝去、90歳。

「猪熊弦一郎博覧会」開催概要

会期2025年4月12日(土)~7月6日(日)
時間10:00~18:00(入館は17:30まで)
会場丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)
休館日月曜日(5月5日は開館)、5月7日(水)
料金一般1,500円、大学生1,000円、高校生以下または18歳未満・丸亀市内に在住の65歳以上・各種障害者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料
URLhttps://tinyurl.com/mryf23er