Sorry, this entry is only available in Japanese. For the sake of viewer convenience, the content is shown below in the alternative language. You may click the link to switch the active language.

ドイツから尾道でのコミュニティとスペースと人々

山本:前回に引き続き、大谷さんからお伺いしたお話をお送りさせていただきます。

大谷さんは現在「日本の家」の運営を他の方に任せて、広島県の尾道市に移住し、「迷宮堂」という新たなスペース作りに励まれていますが、ドイツを離れて尾道に移住しようと思われたきっかけは何でしょうか?

大谷:10年くらいドイツにいて、まちづくりの現場で格闘してきましたが、そこでの経験を博士論文と著書というかたちでまとめることができたので、自分の中で一区切りつきました。それにくわえ、パートナーが日本で生活してみたいと言ってくれたので、次は日本でなにかやてみようかなと思ったのが帰国することになったきっかけです。

ドイツにいるときから日本各地のアーティストやまちづくりに携わる人々と交流していたのですが、尾道は特に気の合う友人が多かったのと、NPO法人空き家再生プロジェクトがあったこと、そしてなんといっても海があって山があって島があって飲み屋街があって商店街があって、と、この都市の豊かさに圧倒されたことが大きかったですね。

博士論文がだいたい一区切りついた頃に、当時チャイサロンドラゴンのオーナーであった村上博郁さんが「空き家が貰えそうだけどこない?」と声をかけてくださって、心を決めた、という感じでした。

adf-web-magazine-interview-with-yu-otani-part2-4

大谷さんが譲り受けて改修している迷宮堂

山本:空き家が大量にあって、空き家問題に取り組んでいる市民グループや空き家を活用して創造的な活動を行っている人々が沢山いるという点で見ると尾道とライプツィヒは似ているようにも思いますが、空き家問題なども含めて大谷さんが活動されている中で感じられる、尾道とライプツィヒとの間にある特徴的な共通点や相違点にはどのようなものがありますでしょうか?

大谷:まず共通点をあげるとしたら、「贅沢な空き家がある」ということでしょう。

ライプツィヒと尾道はともに歴史的な街でありつつ戦禍を免れ、その後の再開発の波が来なかったという共通点があります。ライプツィヒでは東ドイツ時代の都市計画によって中心部の築100年ほどの古い住宅が改修されず意図的に放置され、かつ統一後の90年代に急激な人口減少がおこったことで住宅市場が崩壊し、そのまま空き家となりました。尾道の山手は「道が狭くて車が入らない」という地理的な特徴によって、同じく築100年ほどの家々が高度成長とバブルの不動産開発ブームから免れ、市場にも出回らず、世代交代も起こらずに空き家になった。こうして結果として「100年前の住宅がオリジナルのかたちで空き家になっている」という状況が2つの都市で作り出されました。

「贅沢な」といったのは、2つの都市の空き家が、とてもわかり易く魅力的な建物だったということです。両方とも中心部に近いとても立地の良いところにたくさんの空き家があり、かつ建物もわかり易く「レトロ」で「味がある」ので、好きな人にはグッとくる魅力を持っています。ですから「こんな素敵な家を空き家にしとくのはもったいない!ぜひ再生したい!」と思う人達が現れるのはある意味当然の流れであり、「空き家をベースにまちづくりをする」という市民団体がライプツィヒと尾道の双方で生まれました。両方とも2000年代中盤から始まっていますから、「空き家でまちづくり」の歴史も実は同じくらいですね。

一方、違いはなんと言っても建物の構造ですね。山本さんのほうが詳しいと思いますが、木造とレンガ造ですからいろいろと違います。ドイツでは自分たちで改修といっても構造体や外壁には手をつけず、間取りを変えるのも壁構造が多いので自由にできない。とくに都市中心部の建物は高さやファサードのデザインも法律でガチガチに規制されているので自由に改修できません。一方木造は間取りを実に自在に変えられるし、増築・減築も普通にやりますよね。天井・床・壁をとってスケルトンの状態にするところから家を作り直すことができるので、もうやりたい放題。私もこの一年間、迷宮堂ではじめて木造の家をきちんと改修してみて、その小宇宙のような世界に魅せられました。空き家改修という底なしの沼に引きずり込んでいただいて、山本さんには感謝しています(笑)。

adf-web-magazine-interview-with-yu-otani-part2-9

迷宮堂の改修風景。間取りを変更するために土壁を崩している様子。

山本:木造と組積造の違いはやはり大きいですよね。多くの建物が組積造のヨーロッパでは、取り壊されない限り建物が姿を大きく変えることがあまりなく、結果的に古い街並みが残っている都市も少なくありません。景観条例などの規制によって古い街並みが残されているというより、改修の難しさなども相まって昔の街並みが残っていたからこそ、景観条例などの規制が生まれたとも言えるでしょう。

しかし、間取りを変えるなどの改修が難しくとも、若い世代や素人集団がリノベーションをやると無茶をする人が出てくるのはどこの国も一緒で、ライプツィヒで空き家(築100年くらいの古いアパート)を格安や無料で提供するかわりに家の維持管理をお願いするWächterhaus(ヴェヒターハウス:ヤモリの家)というプロジェクトを視察した際、若者グループが交流の場として他目的ホールを一階に作ろうとして、抜いてはいけない壁を抜いた結果、天井(二階の床)が大きくたわんで落ちてきてしまい、柱を一本入れて無理やり支えている状態になってしまっていました。そのホールでしばらく説明を聞いていたのですが、今にも天井が落ちてきそうであれは本当に恐ろしかったですね。組積造の建物で素人が間取りに手を加えるとこうなっていまうという典型的な例でした。

一方で日本の木造家屋は良くも悪くも改修や取り壊しが容易なので、都市部では民家や街並みが昔の姿のまま残っていることが珍しく、また、一見昔の姿のまま残っているような古い建物も、調べてみたら増改築が繰り返されていることが大半です。

そもそも木造家屋はメンテナンスが必須で、屋根や床や柱が腐ったり白蟻に食べられたりする度に被害を受けた材を交換し、人の手で新陳代謝を行うことでかろうじて生きながらえている手のかかる建物です。しかも建築基準法などの決まりが民家にまでちゃんと普及したのは近代以降の割と最近のことで、地方の一般木造住宅などは滅茶苦茶な増改築が施されていたり、昔の住人が素人大工で応急処置を行いながらその場しのぎで対応して誤魔化していたりと、決して状態がいいとは言えないものも多く、木造家屋に対する理解が深まるほど中古木造家屋を入手することに慎重になっていきます。しかしながら大谷さんの言うように家を自由に改装することは小宇宙を作るような楽しさがあって、結局やめられないのですが(笑)。

大谷さんも空き家改修の楽しさに目覚めたと同時に、その大変さとめちゃくちゃな増改築やその場しのぎの応急処置が施された家の恐ろしさを理解されたと思います。尾道は車が通れる道路に面していない建物が多い関係で、既存不適格と呼ばれる、現在の法的にはアウトだけど法律や規制ができる前から建っちゃってるからしょうがないという建物が沢山あり、素敵な空き家も多いけどトンデモ物件も多く、空き家のロシアンルーレット状態。そんな尾道で私が今まで改修に携わってきた中でも迷宮堂は特にヤバイ部類の家で、かなりムリヤリな増改築がされた上に、その弊害によって白蟻被害が二階の屋根付近まで広がっていました。

もし大谷さんがこの家が貰えるという話がきたときに、今身につけている空き家改修に関する知識や経験があったとしても、この家を譲り受けていたでしょうか?

adf-web-magazine-interview-with-yu-otani-part2-7

白蟻の被害により座屈した柱

adf-web-magazine-interview-with-yu-otani-part2-6

一階の四畳半と台所があった場所の収納を崩すと出てきた石垣。無理な増改築を行って外部にあった石垣を家の内部に取り込んでしまった結果、石垣から染み出してくる水や湿気によって白蟻被害が広がった。また、西日本豪雨災害の際にこの石垣に面した壁の一部が浸水によって崩壊したことが、前所有者がこの家を手放すことを決心することにもつながったとのこと。現在は石垣を露出させ、吹き抜けを作って湿度を逃せるように間取りを変更している。

大谷:いやー、一人では絶対やりません(笑)。自分にいくらスキルや知識があったとしても、あるいは時間とお金があったとしても、迷宮堂レベルの古民家は一人ではもらいたくないです。信頼できる仲間がいたからこそ、「大変だけど、まぁ、やってみるか!」と思えたんですよね。一人だと大変な問題にぶち当たったときにひるんでしまうというか、ポジティブに考えられなくなりますけど、仲間がいれば「いやーやばいねこれ(笑)」って感じで一旦笑い話にできる。そういうことが改修のなかで何度もありました。それと、仲間と一緒にやることで、空間設計を一人で全部コントロールしない/できないという状況も面白いなと思います。一人では思いつかなかったアイディアが出てきたり、自分の理解が不足していたことに気付かされたり。例えばキッチンのデザインを巡って、ほぼ丸一日熱く議論したりしましたよね。今となっては良い思い出だし、出来上がったものもとても満足のいくものになりました。そうやって、空間ができていくプロセスのなかで、関わる人たちの人間関係も生まれていく。現場の空気を共有しつつ、作りながら考え、考えながら作る、ということを繰り返すことで、出来上がる空間が参加してくれている人たちの共有物になっていくって感じですね。

adf-web-magazine-interview-with-yu-otani-part2-2

adf-web-magazine-interview-with-yu-otani-part2-3

もともとあった狭く暗い台所をなくして、話し合いながら別の場所に新たに制作された開放的なキッチン。

adf-web-magazine-interview-with-yu-otani-part2-8

デザインされた調味料棚。改修に参加した人のアイディアやこだわりも随所に反映されている。

adf-web-magazine-interview-with-yu-otani-part2-5

迷宮道の改修に携わっている人々。この写真に写っている人以外にも、多くの方々が改修に参加している。

山本:みんなで力や意見を持ち寄ったり、考えながら作って試行錯誤したりしていくことはとても大事ですよね。一人での改修は本当に大変で、古民家をDIYで直して住みたいという人は沢山いるものの、実際に一人で作業し初めて最後までやり抜ける人はごくわずかです。大半の人は思ったよりはるかにDIYが大変なことにやり始めてから気づき、途中で諦めて家を手放したり、結局工務店などに丸投げしてしまうという人が沢山います。そうした一人でのDIYに挫けそうなときに、相談できる相手や手伝ってくれる仲間がいるかどうかは本当に大きいです。

大谷さんが例に出されたキッチンについて言えば、工務店やハウスメーカーに相談すると100万円前後のシステムキッチンへのリフォームを提案されて、カタログの中から選ぶといったことになりがちですが、DIYでやるならもっと自分の要望に合ったオリジナルキッチンを作ることもできます。ただ、そこで「このキッチンはここが使いづらかった」「このキッチンはここがよかった」といった経験的な情報がなければ自分の要望を把握して具体的なかたちにしていくことができません。不足している経験値を急に増やすことは難しいのですが、他の人から経験談やアドバイスをもらうことで自分の経験不足を補うことができる場合もあるので、他の人と話し合いながら作ってみるというのは大事だと思います。

あと、仲間に大工経験者や建築関係の専門家がいるかどうかも重要なところですね。どういうものを作りたいかという具体的なかたちが分かったとしても、それを実際に作る技術があるかどうかは別問題ですから。また、最近はネット上のサイトや動画で色々なDIYコンテンツが簡単に見られますが、中にはいい加減な内容のものもあり、知識のない人がそういった情報を鵜呑みにしてしまうと後々大きな問題になることがあります。特に厄介なのは、いい加減な情報をもとにした素人大工のその場しのぎの応急処置でも、とりあえず家の問題が直ったように見えてしまった場合、根本的には解決していないのに症状がおさまったから放置されてしまうということが起きてしまいがちなところです。

迷宮堂を改修しながら、無理な増改築やその場しのぎの対応から生じた家の問題を大谷さんと話し合っているときに「DIYリテラシー」という言葉が出たのですが、これはいい言葉だなと思いました。現代人は家の仕組みやメンテナンスの仕方を知らない人が多く、業者に丸投げや言われるがままということが多いのですが、家をどうメンテナンスすればいいか、問題が起きた時にどこまでなら自分で対応して、どのくらいの問題なら業者に頼むかなど、家のことに関してある程度の判断ができるくらいのリテラシーは持っておいて損はないですよね。空き家を手に入れる際にもそれがあれば自分の手に負える物件かどうか判断する材料になります。

そうしたリテラシーを育むための知識や経験はとにかくやってみて、失敗も経験しながら身につけていくしかないので、自力でDIYに挑む前に他の人のDIYを手伝ったり、DIYワークショップに参加してみたりして、DIYリテラシーを予め身につけておくことも大切ですよね。

大谷:そうですね、とくに業者さんに頼むと工事費が平地の何倍もかかるような尾道の山手では、DIYリテラシーはものすごく大事ですね。家だけでなく、山手全体のライフラインを維持するのにもDIY的な精神が必要なんだなと感じています。道路、ガス、水道、ゴミの回収やトイレの汲み取りなど、山手のライフラインを維持するのはとても大変だしコストも高い。行政も、建前では「山手の文化は尾道の宝」みたいなことを言ってますが、政策面をよく見ると本音では維持コストがかかる山手には、あまり人が住んでほしくないのではないかとすら感じます。

山本:尾道の山手は人口の多い中心市街地付近でインフラの衰退が始まっているという意味では珍しいケースかもしれませんが、過疎化の進む地方などではインフラの衰退・縮小は現在進行形で進んでいる大きな課題ですよね。省エネや効率化を進めて行くなら、人口の少ない地域やインフラの維持にコストのかかる地域に住んでいる人はインフラ整備の容易な開発地域や市街地に引っ越してもらって、採算の合わない地域は消滅させていく方が効率的というのが行政側からしたら正直なところなのかもしれません。

大谷:そういえば先日、消防署の防火訓練があって、山手にある消火栓の位置と使い方のレクチャーを1時間くらい受けたんです。でも最後に消防士さんがこういうんですね。「さてみなさん、消火栓の使い方がこれでわかったと思いますけど、ぶっちゃけ山手で火事があっても消火栓なんか使う暇はありません。これだけ木造が密集していて消防車も入れない地区なので火の回りがとても早い。消火栓を使う段階にまで火が大きくなったらもう諦めて逃げてください。それよりも各家庭に必ず消化器をおいておいて、隣近所で助け合いながら、初期消火を徹底してください」と。彼の言葉は山手の暮らしのリアリティをとてもよく表しているなと思ったんです。

山本:確かに、山手で大きな火事が起きたらもう逃げるしかないですね。家と家はほぼ隙間なく隣接して密集していることに加え、火は上に燃え広がりやすいため、斜面に沿って家が建つ山手は燃え広がるのも早いです。私が知る限りでも火事によって廃墟化や空き地化した場所が山手のあちこちにあります。

消防車が入れないような地域は危険なので、現在の法律では4m以上の道幅の道路に面していない場所は家を建て直すことができません。したがって、狭い道しかない山手では家が取り壊されて空き地化してしまうと再び家を建てることができず、取り返しがつかなくなります。空き地ばかりが増えてしまうと尾道の魅力的な景観が破壊されてしまうので、その危機感からできるかぎり取り壊さずに空き家を活用して行こうという活動が盛んな面もありますが、防火性という観点からすると木造家屋が密集しているエリアはむしろ空き地を増やして家と家の間に隙間をあけていく方が安全性が高まります。景観を壊さずに安全性や利便性をどう確保していくかという問題は、尾道の山手のジレンマです。

大谷:私は尾道の山手は将来「ファベーラ(ブラジルのスラム・貧民街のこと。インフラが貧弱で、様々な造りの家が密集して独特の景観を作り出している)」の様になっていくのではないかと思っています。行政にライフラインのメンテナンスをおまかせする時代は終わっていき、自分たちでどうにかしないといけなくなっていく。ゴミ回収の頻度が減っていくので、ゴミをなるべく減らしたり、生ゴミはコンポストしたり。ガスや水道が平地よりも高い料金を請求されるようになるので、ストーブや井戸水を利用するようになったり。汲み取りはいまの時点でも平地よりかなり割高ですが、これが更に高くなり、頻度も減っていくので、コンポストトイレを併用したり。火事や水害のときもなかなか助けが来ないので、普段から近所の人たちとコミュニケーションしていざというとき助け合えるようにしておいたり、道路や側溝も自分たちでチェックして自分たちで補修したり。というように。今の時点でもだいぶそうなってますが、将来ますます家だけでなくこの地域全体をDIYで維持していかざるを得なくなるんだろうなと思います。

でもそれってじつは時代の先端なんですよね。今は何でもかんでもお金でサービスを買って済ますってことがスタンダードになっていますけど、よく考えるとそれでは自分の知識やスキルは上がらないので、「いざ」サービスが使えなくなったときに困ってしまう。山手はもうすでに「いざ」っていう状況なのですね(笑)。日々勉強です。

adf-web-magazine-interview-with-yu-otani-part2

adf-web-magazine-interview-with-yu-otani-part2-1

尾道の山手の風景。斜面に建つ古い空家や空地の間を縫うように細い小路や坂道、階段が複雑に入り組んでいる。下水はなく、トイレは汲み取り式。原付すら通れない道はゴミの収集業者が天秤棒をかついでゴミを集めて持っていく。

山本:「いざ」サービスが使えなくなったときにスキルがないと困ってしまうという危機感は私も強く抱いてます。DIYワークショップなどを開いていると、特に震災や豪雨などの災害を経験した人などは、実際にライフラインを使えなくなることを目の当たりにした危機感からDIYスキルを上げようとしている面も少なからずあるようです。日本社会の衰退がどんどん顕著化していく中で、自分たちが依存しているインフラが絶対のものではないということに気づき、危機感を抱き始める人はこれから益々増えていくのでしょう。

現在も改修作業の進む迷宮堂は、様々な人が改修に携わりながらDIYリテラシーやスキルを身につけ高めていく場のようになっていますが、改修が終わった後はどのようなスペースとして運営されていく予定でしょうか?

大谷:まだみんなで考えながら空間を作っている段階なので変わるかもしれないですが、自分たちを含めた山手の人々の生活の拠点をひとつつくりたいと思っています。

そもそも昔の家って冠婚葬祭やったり飲み会やったりしていたじゃないですか。迷宮堂も、縁側で外部と絶妙に繋がっていたり、間仕切りをするとプライベートが確保され、外せば宴会仕様にできるようなフレキシビリティを持っている。そういう空間を引き継いだので、自宅として自分が生活の拠点をおきつつ、同時に外から来た人と近所の人が一緒に料理したり、なにか作ったり、話し合ったり、ということが日常的に起こる空間にしたいなと思っています。母屋、倉庫、離れと多様な空間が連結している、まさに「迷宮」なので、空間の特徴を活かして、こっちの部屋はプライベートをきちんと確保して、こっちの部屋はオープンに誰でも来れる空間にして、こっちには謎の隠し部屋がある、みたいにうまくキャラクターをつけられるといいなと。

それとお店はやっぱりやりたいですね。山手は平地まで山を下って荷物を持って登るという、買い物が本当に大変で、とくにおじいちゃんおばあちゃんはキツい。生活用品やちょっとしたお惣菜なんかが買える場所があるととても重宝すると思うんです。それだけでは採算は取れなさそうなので、どうお金を回すかを考え中ですが。

それと、「コミュニティスペース」って、コミュニティの核が「隣近所」だったり、「友人関係」だったりしますけど、結局その「コミュニティ」のひとが中心になりがちですよね。それはそれでいいんですが、どうしても「コミュニティ外」の人は来づらい。なにも知らない人が「お、コミュニティスペースが山手にあるな、よし行ってみよう」とは、なかなかならないですよね(笑)でも「お店」だと「お客さん」という立場で行けるので、近所の人でも観光客でも入りやすい。前回のドイツでの話と矛盾しているようで自分で言ってて面白いのですが、日本は立場や肩書のない関係にいきなり放り込まれるとどう振る舞っていいかわからなくなってしまう人が多いと思うんです。なので、まずは「お客さん」と「お店のひと」という関係を仮にでも作っておいて、その上でコミュニケーションする、というほうが安心すると思うんですよね。裸一貫で「人と人の対話」とかになると慣れてないし緊張すると思うので、とりあえず双方「肩書」をつけといて、だんだんそれがほぐれていく、みたいな。そんなこともあって、「お店」は次のチャレンジです。国内外からやってきて尾道に長期滞在する人にお店番をやってもらいながら、山手の住民たちと関わってもらえたら面白いだろうなと思っています。それと今年の4月から大学の教員になるので、学生さんたちにとっても経験の場になったらいいなと考え中です。

山本:コミュニティに関わってもらいやすくするためにお店という窓口を作るというのは確かに日本ではとても有効だと思います。私もコミュニケーションが得意というわけではないので、こうした取材や作品制作などの立場や名目がある方が初めての場所には関わりやすいですしね。個人が主体性を持って動くことを教育の過程で学び、訓練されていく欧米と違って、周囲に従うことを強制されて非主体的に育つ日本では、コミュニティスペースの作り方やアプローチの仕方が変わってくるのは必然でしょう。迷宮堂の中にどんなお店ができて、どう発展していくのか楽しみです。

大谷:空き家・空き地とコミュニティスペースの話に興味がある方は、拙書の『都市の〈隙間〉からまちをつくろう』を手にとっていただけると嬉しいです。

それから山手の暮らしと迷宮堂の活動については、現在中国新聞で「坂道の空き家から」というコラムを連載中です。

尾道のこともいずれ迷宮堂メンバーで本にまとめたいですね!でもまずは洗面所の壁をぬります(笑)。

山本:インタビューにお答えいただきありがとうございました。引き続き改修頑張りましょう!


大谷悠『都市の〈隙間〉からまちをつくろう: ドイツ・ライプツィヒに学ぶ空き家と空き地のつかいかた』学芸出版