ファン・デル・フルフト、マルト・スタムによるファン・ネレ工場
ロッテルダムはアムステルダムに次ぐ、オランダ第二の都市であり、ヨーロッパ最大の港湾都市である。ライン川でドイツのルール工業地帯と繋がっていることで、産業革命時代に共に発展した。大規模な資源や製品の運搬が必要となり、港からは鉄鋼石・石炭が、ルール地方からは鉄製品・工業製品が運ばれた。
今回紹介するファン・ネレ工場(Van Nelle Factory)は、そんなロッテルダムの工場地帯に1931年(昭和6年)に建設された嗜好品製造工場であり、2014年にオランダの10番目のユネスコ世界遺産として登録された。オランダ機能主義建築の最高傑作とされる。
ファン・ネレ工場(Van Nelle Factory)1931
ファン・ネレ社はファン・ネレ夫妻により1782年に設立され、タバコ・コーヒー・紅茶などの嗜好品を販売を手がけていた。 ファン・ネレ工場は、熱帯地方からのそれらの原料を加工・梱包する、ヨーロッパ市場向けの工場であった。 商品輸送を考え、東に運河、南に鉄道という立地に建設され、建物自体を宣伝媒体とすることも企てられていた。
設計者はファン・デル・フルフト、マルト・スタムで、1925年から1931年の6年の歳月をかけて建設され、1995年まで操業していた。 1929年の世界恐慌などの影響を受け、1931年の竣工時に実現したのは最初の建築計画の半分ほどであったという。
現在はデザイン工場として建物を保存しつつ、オフィス、イベントスペースなどの複合施設として機能している。
ファン・デル・フルフト(Leendert van der Vlugt)1894-1936
オランダ、ロッテルダムの建築家。ファン・デル・フルフト=ブリンクマン設計事務所でブリンクマンと共同ディレクターを務めた。事務所の活動は彼が若くして病で亡くなる10年程であったが、後に世界遺産となるファン・ネレ工場の設計者として知られている。また工場の後に設計されたゾンネフェルト邸では、コルビュジエの近代建築の五原則やバウハウスからの影響を見ることができる。
マルト・スタム(Mart Stam)1899-1986
オランダの建築家、都市計画家、家具デザイナー。彼が1926年に発表した椅子S-33が、最初のスチールパイプのキャンチレバーチェアとして知られている。1927年にはヴァイセンホーフ・ジードルング展に参加し住宅とキャンチレバーチェアを発表した。 1928年から29年までバウハウスの客員講師として建築と都市計画を教え、ミース・ファン・デル・ローエやマルセル・ブロイヤーの椅子のデザインに影響を与えた。
運河沿いの遊歩道から観るファン・ネレ工場は、100年程前に計画されたとは思えないほどモダンな佇まいで、記念碑的である。運河に面して輸送のための倉庫が連なっている。
また、運河の先の方に見えるのは鉄道橋の跳ね橋である。オランダでは歩道・自転車道・車道・鉄道・運河など、交通網の様々な交差を所々で見ることができる。
ファン・ネレ工場では労働者の労働条件が最も重要視されたとして、歴史的・社会的な価値を持っている。緑の環境で働くモダンで透明で健康的である環境は、生産と労働者の福祉の両方に有益であるという前提で設計された。それらが大衆を魅了した新しい機能的な建築アプローチへとつながっている。
タバコ・コーヒー・紅茶の精製、梱包のために造られたファン・ネレ工場は、工場の機能を徹底的に分析した造りとなっている。工場はいずれも奥行19m、天高3.5 mに統一された。入口の湾曲した建物は事務棟で、そこから先の建物は高い順に、タバコ、コーヒー、紅茶棟と工場棟が分かれている。高さの差はタバコ、コーヒー、紅茶の製造工程数の差であった。道路を隔てた煙突が立つ部分はボイラー棟で、その後ろには各工場と斜めのブリッジでつながれた輸送棟が配置されている。
原料は最上部に運ばれ、各工程を経て床を下り、ブリッジのコンベアーリフトによって運ばれる。
各工場棟から輸送棟に斜めにかかるガラスのブリッジは機能主義のシンボルとも謳われる。屋上の社名看板や斜めに走るブリッジはロシア構成主義の影響が伺える。建物の構造は鉄筋コンクリート造で、グロピウスのバウハウス校舎に先駆け、ファサードは鉄とガラスのカーテンウォールが採用された。
鉄とガラスを使用した空間は、工場とは思えないほど明るい空間となっている。窓からは周辺景色が展望でき、工場内にはダイニングルームや図書室、スポーツやレジャー施設も設置されており、当時の工業化に対する革新的な対応だった。タバコ棟の最上部には港や市外が一望できる展望喫茶室が配置され、接待室としても機能した。
完成前からファン・ネレ工場は注目され、グロピウスやブルーノ・タウトの著書にも言及された。 完成後に訪れたコルビュジエには「この近代の最も美しい光景は、労働階級者の暗い印象をすべて払拭した」と言わしめた。
1995年まで操業された工場は、その後チューイングガムや粉末プリンなども生産し、全盛期には2000人以上が雇用された。1998年には工場が世界遺産になることを想定して修復作業が行われ、2014年にユネスコ世界遺産として登録された。2015年にファン・ネレ工場は、世界で最も美しい工場の第1位にもなっている。
このように建築を観ながら、当時の文化や歴史背景、立地や形や使われ方、建築家がその建築で何を考えたかをたどりながらあれこれ想像するとより楽しめるだろう。