ルーマニア人アーティストSorin Câmpan(ソリン・クンパン)の個展
とても珍しい絵画展へ行ってきた。まじりっけのない、”ザ・油絵”というべき絵画展だ。ドイツではコンセプチュアルアートやビデオ作品が比較的多くみられるなか、キャバスに油絵もしくはアクリル画という作品はあまり見られない。 昨今、作品自体が多様化してきたように感じる。その中でピュアな油絵作品に出会うと、すごく新鮮に感じる。
今回、ベルリンはシェーネベルク(Schöneberg)にある、Galeria Plan Bというこじんまりとしたギャラリーに足を運んだ。夏日和の汗ばむ7月中旬、街はすでに夏休みの雰囲気を醸し出していた。ドイツの夏休みはこの頃から始まる。
シェーネベルクは中心地に位置するクアフュルステンダム(Kurfürstendamm)通りの一角にあるギャラリーが集合した地域にGaleria Plan Bはある。正直、この展覧会に来るまでSorin Câmpanという作家は知らなかった。 入り口で会場の見取り図を頂いた。
部屋へ入っていくと、壁色とマッチした作品が、静かに招いている。白い壁とそこから淡く浮き立って来るような絵画たち。 白日夢、Day Dream。 一枚一枚のイメージがポラロイドカメラで撮られた様な、 繊細でどこか秘密を打ち明けられてい るような、耳元でささやかれているような、 身近な感じがした。
全体的な作品の演出を、会場設営の壁がうまくサポートする。少し荒削りにされたざらざらのオフホワイトの壁を特別仕様したのだろう。Câmpanの作品が非常によくマッチしていた。
Sorin Câmpanは1940年ルーマニア生まれ、クルジュ出身。現在もクルジュで制作中。1990-2001 年までUniversity of Arts and Design in ClujでDrawingとColor Studyの教授として教鞭を執る。
小さな部屋にかかってあった一枚の絵。 興味深い作品だ。 何か日本的な雰囲気を醸し出す風景画だったからだ。 金色の額に入っているのが余計に日本画っぽく見える理由なのかもしれない。
近くに寄って見ると、馬に乗る人を引き連れた一群がいる。 白い大きなお饅頭のような月。高く聳え立った木が松の木に見えた。
何時くらいだろう。場面の時間設定がミステリーなところもCâmpanの巧みさだ。彼の作品の特徴として色使いの季節 設定を曖昧にしたところがDay Dream感をより一層引き出しているようだ。
人物画も、個々に違うストーリーがあって、見ていて面白い。黒い光沢のある絵よりも大きな額、横顔の女性(Portrait, 2021) 。誰か気品を帯びた女王様? 小さい絵だが、その大きな額が絵画を豪華にしている。
貝殻の甲羅のような目、瞑る女性は夢の人魚(VOX MARIS, 2021)。彼女の身体と島全体が一体化している様だ。彼女は海。タイトルにあるVOX MARISはラテン語で”海の声”だ。女性のブルーのアウトラインは板を削って描かれている。淡いブルーと肌色は海岸を思わせ、その少し右上の丸いカタチは紛れもなく、太陽か月といったところだろう。
この人魚のような女性は前図の(Venus, 2019)と同一人物なのかは分からないが、作品の中で女性のポートレイトは自然の象徴であり、女神(ビーナス)の様だ。この展覧会でCampanがキャンバスを使用していないのは意図的で彼のアイデアに適していると思った。何故なら、微妙な質感は描かれている板にあるのかもしれないからだ。ジェッソーが板版に直接コーティングされ、絵の具がその上から乗っている。仕上がりは乾いた 様なサバサバした質感だ。また、額には発泡スチロールが使われることも多い様だ。彼の作品に対するこだわりだろう。質感が醸し出す演出が絵の具以上に上手だ。
額について少し触れておきたい。 絵の被写体(テーマ)によって額もそれぞれ異なる。この展覧会で強く印象に残ったのが、白い風景画だ。自然光であまり目立たないのだが、見れば見るほどその世界観にのめり込んでいく。
まるで自分がそこの場所に立っているかのような気分にまでなったくらいだ。 残念ながら、写真ではあまり細部が見えない。光の繊細で微妙な変化を筆で操るのは簡単ではない。さすがだと思った。確かにクロード・モネ(Claude Monet)の作品にも光の作品が多い。それは色調で光の強弱や季節感を表している。何故なら光には色があるということを先人は教えてくれたから。
個展「Sorin Câmpan」は一つ一つの絵に新鮮味があって、全く違う生命体を持つ作品の集まりだった。アーティストの作品に対する真っ直ぐで偽りのない態度が絵画からもよく出ていた。Câmpanは生き物を育てるかのように毎日水やり(アトリエに籠る)をしているようだ。 丁寧な手業を施した作品達。それからマンネリは感じられない。 目立たないが、さりげなく確固な存在感が個々の作品に宿っていた。見れば見るほど味が出て来る、私はなかなか会場を後にできなかった。