Sorry, this entry is only available in Japanese. For the sake of viewer convenience, the content is shown below in the alternative language. You may click the link to switch the active language.

エネルギーに満ちた深い精神性に溢れた独創的な作品群

西武池袋本店にて、日本が世界に誇る板画家・棟方志功の生誕120年を記念して、生誕120周年記念年展「板画家 棟方志功の世界」が2023年6月14日(水)から6月20日(火)まで開催する。1903年に青森で生まれた棟方志功は、ゴッホに憧れ油絵画家を志し上京、独学で試行錯誤し、その後、版画との出会いを機に自ら「板画(はんが)」と称した木版画家への道を歩み始める。

adf-web-magazine-120th-anniversary-of-shiko-munakata's-birth-1

吉祥天妃の柵 25.5×19.8

そのエネルギーに満ち、深い精神性に溢れた独創的な作品群は、戦後になると1955年サンパウロ・ビエンナーレでの版画部門最高賞を皮切りに、1956年ヴェネツィア・ビエンナーレでの国際版画大賞の受賞と海外で高い評価を重ね、国際的な評価を不変のものした。国内では1970年に文化勲章が授与。そんな棟方志功の初期から晩年までの板画、倭画、油画、書の逸品の数々120余点を堪能することができる。

「砂洲の柵」善知鳥版画巻
adf-web-magazine-120th-anniversary-of-shiko-munakata's-birth-4

サイズ:32.5×43cm
制作年:1938年[棟方板画前期 ~1944年]

柳宗悦の説いた“他力による美”を心の支えに制作に励み、1938年(昭和13年)「善知鳥版画巻」が第2回新文展で版画として官展史上初の特選を受賞。翌年には代表作・二菩薩釈迦十大弟子を発表するなど版画界に新風を吹き込む。それまでの版画のスケールを超越し、白と黒の強烈な対比から生まれる独特の美しさは、棟方板画の骨太の魅力となり、板の生命を彫り起こしたと言える。

「羅睺羅の柵」二菩薩釈迦十大弟子
adf-web-magazine-120th-anniversary-of-shiko-munakata's-birth-5

サイズ:94.5×30.3cm
制作年:1939年

仏教への関心を深めていた棟方は、上野の国立博物館で奈良興福寺の乾漆の須菩提像を見て釈迦の十大弟子の板画化を思い立つ。後に、両脇に普賢菩薩、文殊菩薩を加えて六曲一双の屏風に仕立てる。この作品は、1955年のサンパウロ・ビエンナーレや翌年のヴェニス・ビエンナーレに出品され最高賞を受賞、脚光を浴び、世界のMUNAKATAとなる。

「祭巴の柵」鐘渓頌
adf-web-magazine-120th-anniversary-of-shiko-munakata's-birth-6

サイズ:45.4×32.7cm
制作年:1945年[棟方板画中期 1945~1959年]

美術界の国際交流の回復に伴い世界デビューを飾る。スイス・ルガノでの第2回国際版画展優秀賞を皮切りに、第3回サンパウロ・ビエンナーレでの版画部門最高賞や第28回ヴェネツィア・ビエンナーレでの国際版画大賞の受賞により国際的な評価が高まる。国内では民藝運動を牽引する柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司をはじめ歌人や文学者、仏教者たちとの新たなる繋がりから芸術観は深まりを増す。

「光明妃の柵」
adf-web-magazine-120th-anniversary-of-shiko-munakata's-birth-7

サイズ:34×25.5cm
制作年:1962年[棟方板画後期 1960~1975年]
共シール

母の愛しさ、母の教えを想った大首美人画は、絶大な評価を誇る。日本をそして世界を歩き、さまざまな旅で出会った風景や文化遺産から触発された板画も多く生み出された。  

「棟蔭寶韻妃図」
adf-web-magazine-120th-anniversary-of-shiko-munakata's-birth-8

サイズ:34.2×34.7cm
倭画

柳宗悦から、棟方の倭画は未だ誰も評判にしないが、不日大いに評判となる、と評された倭画。塗る絵ではなく、筆を走らせるという日本画の本質を追求し、日本の森羅万象への祈りを表現した。

「蒼屏渓図」
adf-web-magazine-120th-anniversary-of-shiko-munakata's-birth-9

サイズ:8号F
制作年:1939年
油画、板に油彩

油彩画家を目指して郷里青森から上京し、帝展に出品するも落選が続いた。1928年(昭和3年)に念願叶って入選するも、油絵に疑問を持ち、版画家に転向した。ただ油絵が一番自身を真裸にしてくれると晩年まで楽しみ描き続けた。

「慈航二字」
adf-web-magazine-120th-anniversary-of-shiko-munakata's-birth-10

サイズ:135×69cm 書

たくらみのない、躊躇がない、ありのままの、まさに不生の書。板画の刀でも倭画の筆でも変わらない、力強く熱情のあふれ出た棟方の芸業。

棟方 志功 年譜

  • 1903年 9月5日、青森県青森市大字大町1丁目1番戸に鍛冶職の父幸吉、母さだの15人兄弟(9男6女)の第6子(3男)として生まれる。
  • 1924年 画家を目指して初めての上京。
  • 1926年 第5回国画創作協会展に出品された川上澄生の版画「初夏の風」を見て感動し、版画を志すきっかけとなる。
  • 1936年 国画会展出品の《大和し美し》で、会場に居合わせた濱田庄司の目にとまり、柳宗悦・河井寛次郎ら民芸運動の指導者と知遇を得る。
  • 1938年 《善知鳥版画巻》が第2回新文展に官展の版画部門としては史上初の特選を受賞。
  • 1939年 《二菩薩釈迦十大弟子》を制作。
  • 1940年 第15回国画会展に前年制作の《呵呍譜・二菩薩釈迦十大弟子版画屏風》を出品
  • 1942年 この年から棟方は「版画」の用語を「板画」とする。
  • 1945年 富山県西砺波郡福光町に疎開。東京大空襲により代々木山谷の自宅が消失。戦前に制作した板木や作品のほとんどが焼失。
  • 1952年 第2回スイス・ルガノの国際版画展で《女人観世音板画巻》が日本人として初の優秀賞を受賞。
  • 1955年 第3回サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に《二菩薩釈迦十大弟子》 などを出品。メタルールジカ・マタラッツォ賞(版画部門最高賞)を受賞。
  • 1956年 第28回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展に《柳緑花紅頌》などすべて屏風仕立ての11点を出品。国際版画大賞(グランプリ)を受賞。
  • 1959年 ロックフェラー財団とジャパン・ソサエティの招きで第1回目の渡米。
  • 1960年 眼病が悪化。秋には左眼がほぼ失明状態となる。
  • 1962年 富山県の真言密宗大本山日石寺より法眼位を叙位。続いて京都市嵯峨の法輪寺より法眼位を再叙位される。
  • 1963年 倉敷市の大原美術館に棟方板画館が開設。
  • 1969年 青森市名誉市民(第1号)の称号を贈られる。
  • 1970年 毎日芸術大賞を受賞。文化勲章を授与され、文化功労者に顕彰される。
  • 1974年 鎌倉市に財団法人棟方板画館・棟方板画美術館が開館。
  • 1975年 日展常任理事となる。4月末に退院し自宅療養。9月13日、肝臓癌のため杉並区上荻の自宅で死去(享年72歳)。同日付で従三位に叙され、銀杯一組を賜る。11月、青森市に棟方志功記念館開館。

生誕120周年記念年展「板画家 棟方志功の世界」

会期2023年6月14日(水)から6月20日(火)まで
会場西武池袋本店7階(南) = 催事場A 
入場無料