「差をとる」ことで新しい何かが生まれる
『差分』は2008年に美術出版社から初版された佐藤雅彦・菅俊一・石川将也著の書籍。慶應大学佐藤雅彦研究室から生まれた「次の表現」に関する本である。
これは私がテーマとしている建築空間の表現についてとても関連の深いリサーチであり、最強のレファレンスとしてこの10年ほどずっと手元に置いてある本である。
現実世界を平面で表現するとき、写真1枚であったり図像1枚で全てを伝えることは難しい。実際私たちが生きている世の中は3次元であり、現実の空間には時間の流れ、音、風、光の移ろい、香りなど、捉えきれない要素がたくさんある。映像ならともかく、現実空間を2次元で表現できるかどうかの問題に取り組んできた研究者や芸術家は数多くいる。
この本の著者である佐藤雅彦氏は、1999年3月22日深夜に点だけで書いたふたつのスケッチによって「差をとることで新しい何かが生まれる」かもしれないことに気づいた。
深夜自宅で書いた「点だけの絵」は、特に大きな目論みがあって描いたわけではない。およそ署名や年号など似つかわしくない試し書きである。
その晩、どんなきっかけがあったのか、今となっては不明だが、点だけの絵でも2つあれば、動きとか形態がわかってしまうのではないかとふと思い立ち、たまたま原稿を書いていたそのままの万年筆でそこにあった紙に書いたものである。
aとbというふたつの画像があったとき、「aとbの差を取ることで、「ある表象」が生まれる」。人々は、なぜその間に生まれるストーリーを思い描くことができるのか、という問いが、この書籍の命題である。第三者的な視点を取り入れる目的と、脳科学的な位置付けを解明する目的で、脳科学者の茂木健一郎氏と対談をしているが、その最後の結びとして出てくる「差を取ること=気配を潜ませること」という提言は、脳への刺激を促すだけでなく、身体性(野生の勘)を呼び覚ますことでもあり、背後に隠された時間や感情をイメージさせる要因であることは間違いない。このことは、建築の空間体験やその表現においても大きく関係するところであり、場所と場所との間に気配を忍ばせることが、使い手の空間体験への期待感や表象に与える影響が大きいと言える。個人的にはこのことについて建築とアート(と科学)の領域にまたがって空間の表現(表象)に関するリサーチワークを実践している最中である。
ふとした瞬間に生まれたこの問いから、約6年の間に繰り返された研究が、以下のチャプターを通して絵本のようにまとめられて、2008年に出版された。巻末では差分プロジェクトはこの後「科学的」「実用的」な二つの段階へ進むことを表明していた。この本が生まれたきっかけとなる最初の「問い」が生まれてからもうすぐ22年が経とうとしているが、社会やテクノロジーなどがこんなにも大きく進化したこの長い年月を経た今でも、まことに美しく色褪せない問いを示している本として紹介したい一冊である。
第1章:点だけで分かる動きと形
第2章:差分による現実の捨象
第3章:差分によって露見した人間特有の認知(論説)
第4章:差分が生み出す新しい独特な感覚
対談:差分と気配 佐藤雅彦+茂木健一郎
附章:表現としての差分「新しいわかり方」