尾道や鳥取など中国地方の各地で地域課題に取り組む
前回に引き続き、岡山を中心に尾道や鳥取など中国地方の各地で地域課題などにも取り組まれている一級建築事務所のココロエを運営されている、片岡八重子さんへのインタビューをお届けします。
山本:今まで広島の尾道市や鳥取の湯梨浜町、徳島の神山、岡山の奉還町など、さまざまな地域に関わられていますが、最近は岡山県の牛窓という地域に主に関わられていて、先日Kidoというスペースも新たにオープンされたそうですね。
片岡:はい。私たちが牛窓に関わり始めたのは、Kidoのプロジェクトの前の、現在は牛窓テレモークと呼ばれている元牛窓町立の診療所を活用するプロジェクトに関わったのがきっかけです。
牛窓町を合併した現在の瀬戸内市が公共建築の空き家活用をしたいと、公共R不動産の馬場さんたちを呼んで牛窓リノベーションプロジェクトを立ち上げました。
活用のサウンディング調査*では、東京など都市部の企業や、大手ハウスメーカー、地元企業や地元住民などにヒアリングしていたので、当初は外からの人に活用してもらえるのではないか、という思いもあったのだと思います。
サウンディング調査の過程で、牛窓に移住してきた人や牛窓を拠点に小商いをしている人たちが、みんなでここを使いたいという話が上がってきて、どうしたら具現化できるかというところで私にも声がかかり、牛窓テレモークのチーム作りに関与することとなりました。
そして、公募が出る段階に近づくと、この元診療所がどういう建物で、どういう法規上の制約の中で、どうリノベーションできるのか、という点で設計のスキルが必要とされたので、私も事業者側のメンバーに加わり、そのメンバーでプロポーザルに応募したところ採択されたので、設計・改修設計と、その後の活用に関与させていただくことになりました。
2017年にリノベーションプロジェクトが立ち上がって、2019年頃にプロポーザルで採択され、2020年のコロナを挟み計画内容を変更し、2021年6月に、予定よりちょっと遅れてオープンしました。
テレモークの改修に関わっていた2017年から2021年の間、ずっと牛窓に通っていて、メンバーと「牛窓ってどういう町なのか」とか、「どういうことが今まであったのか?」と話すことが多く、次第に地域へコミットしていくようになり、空き家の問題なども相談される様になりました。
そして、2021年の6月に牛窓テレモークがオープンすると同時に、「Ushimado.labo」を立ち上げました。
2013~2017年頃に、京都大学の高田研究室が牛窓の「住み継ぎ」に関する調査をされていて、普通は家族や親類の間で相続されたり引き継がれたりされることの多い「家」が、血縁関係のない人によって住み継がれていく事例をもとに、その背景や経緯などを調べていました。
その調査からしばらく時間が空いていたのですが、高田研究室で助手をされていた前田先生(現在は、京都大学人間環境学部准教授)が私の知り合いで、2021年当時にそれがどうなっているのかを調べてみようということからUshimado.laboの活動が始まりました。
その他にも、(以前に比べて)牛窓で活動を行なっているプレーヤーの方もたくさん出てきたので、その方たちにインタビューして「牛窓がたり」という冊子を前田研が中心となって作ったり、空き家の調査をしたり、朝鮮通信使の寄港地だった牛窓の町について本に書かれている建築家の三宅理一先生をお呼びしてトークイベントをしたりしましたね。
そうした活動をしている中で、住んでいる家が他にはあるし子供たちが戻ってくることもないけど、牛窓が大好きだから自分が所有している空き家をなんとかしたい、みたいな相談をいくつか受けることになりました。
とはいえ、長い間放置されていて、改修にかなりお金がかかる状態の空き家が多いのが現状で、大家さんが自ら投資するという話にはなかなかならない。
その中で、海に面して人の集まりやすい場所にある大きな空き家の大家さんから、自分は費用は出せないけど何とか活用してもらえないかと言われ、確かにそこが変われば、面白い展開になるなと思ったので、助成金に応募しました。
土地はいらないけどせめて建物は譲渡してほしいという話で進んでいたのですが、助成金も採択されて、いざ活用の段階になったら、所有者の親族のおじいちゃんが「俺が生きているうちは建物を売るのは嫌だ」と言い出して(苦笑)。
まぁ田舎あるあるで、昔繁栄されていた家によくある話なんですけど、家を売ることを恥ずかしいと思われているみたいなんです。
私たちとしては、建物も廃屋に近い状態で、改修にかなりお金をかける必要があり、賃貸だとトラブルも起こりやすので、では、一回白紙にしましょうということになりました。
それと近い時期に、laboの空き家所有者へのヒアリングで今のkidoの所有者の方に会いました。
その方も遠方に住んでいて、自分たちは使わないけど代々大事に使っていた建物だから大事に使ってほしいというお話でしたが、この物件は先ほどの物件とは違い、土地と建物と付属する農地も一式での売却が希望でした。
この建物が空き家だというのは前から知っていて、路地に面した木の門が印象的で、もったいないなと思っていた物件だったんです。
所有者はこの建物に住んでいた方の娘さんで、関東に住まれていて、今までずっと片付けに通って来ていたけど、自分も高齢になり管理もできないので、手放そうと思っているとのことでした。
「木材もいいものを使っていて、先代もすごく大事にしていたから、建築がわかる方に活用して欲しい」という強い思いをおっしゃられて、「どうにか片岡さんの方で買ってもらえませんかね」とヒアリングの後も連絡もいただき、違う物件でとれていた助成金もスライドできることがわかったので、購入させてもらうことになりました。
今まで、各地で様々なプロジェクトに関わってきて、どこかで場の運営を自分でやりたいなという気持ちと、やんなきゃわかんないなという思いが、実はずっとあったのですが、日々設計業務も忙しく、なかなかきっかけをつかめないままでした。
それですので、初めて自社で運営してみようということになったのがこのKidoです。木の門がこの建物の特徴で、大事にしたいという思いからこの名称にしました。
この建物を何に活用しようかと考えた時に、牛窓に不足している、「泊まれる場所」を作りたいと思いました。
みんな、牛窓はいいところだから行ってみたいと言ってくれるし、実際テレモークにも来てくれるけど、泊まる場所がなくてとても苦労しています。
1棟貸しのゲストハウス・民宿・リゾートホテル・旅館が一種類一軒ずつある感じで、あとは山の上のペンションしかなくて、私が子供のころの家族旅行をする時代の想定のままの宿泊施設がほとんどで、個室に一人みたいな利用はとても嫌がられ、個人客には正直使いにくい宿ばかりです。
学生たちも調査ために京都から来てくれるんですが、改修していないテレモークの建物内で、水道も通っていない場所にテントを張って寝るみたいな・・・(苦笑)。
あと、移住したいという人もたくさんいるのに、市が運営するお試し住宅はあまり整備が行き届いていないし、しかもそのお試し住宅も牛窓は常に埋まっている状態で、移住したい人の受け皿が足りていないこともあったので、その問題を解消したいという思いもありました。
ただ、Kidoはゲストハウスではなく、シェアハウスをベースにした宿泊施設にしています。
というのも、今までたくさんゲストハウスを作り、関わってきましたが、実際にはゲストハウスの運営を自らしていないので、そこまでのサービスを提供するスキルや体制もなく、ゲストハウスと名乗っちゃうのは敷居が高いし、今の牛窓の状況と私たちができること、それをやる必要性みたいなことを考えたときに、まずは一泊利用のゲスト中心ではなく、少し長く牛窓に関わっている人が泊まれる、移住したい人が体験宿泊できる宿をベースにした宿泊施設が良いなと思い、運営を始めたところです。
今年の10月にグランドオープンをしたのですが、まだ整いきれてなくて、あたふたしています。笑
また、kidoの一部にレンタルスペースを設けたのですが、11月に焼き菓子とコーヒーの出店者によるカフェイベントを実施すると、10月のだんじりで知り合った近所の方達もたくさん来てくれて、とても喜んでもらいました。
観光客向けのカフェはあるけど、近所の人たちも観光客の人たちも混ざるようなスペースって意外となかったのかもしれません。
近所のおばあちゃんは「今週やってないの?」と次の週も友達を連れてやってきてくれて、残念ながらその日はやってなかったんですが、少しお話してまた来るねと言って、お帰りになりました。
また、昨年、京都大学の学生が卒業設計で、初めて牛窓を歩く人たちにカメラをもってまちを歩いてもらうという実験をやり、どんなところに行ったのかを地図にプロットしたものの展示・発表会をテレモークとKidoの2会場でやり、こちらも多くの方にお越しいただきました。
メインの通りより中に入り込んだ路地に面している古民家のKidoで学生の研究発表をしているということを、地域の方達は面白く感じてくれたし、好意的なコメントをたくさんいただけて、私たちのやっていることが今まで牛窓になかった動きになっているのかなって、思うところはありますね。
牛窓には、牛窓のことが大好きな方が多くて、口々に「牛窓はいいところだよね」って言うんだけど、次の一手をどうしたらいいかはわからないみたいなところがあります。
私たちも、次はこれをやろうっていう明確なビジョンはないんですが、ちょっと関係性が変われば何か動くことというのもあるんじゃないかなと思っています。
日々のKidoの運営から始まる一つ一つのできごとを楽しみながら、それを観察しながら、次に何ができるかを考えているという感じですかね。
なんか実験室みたいな役割というか(笑)。
山本:最初に助成金を取って活用しようとした家が「自分が生きているうちに家を売るのは恥だ」という人が出て来て頓挫したと話されていましたが、似たような話は牛窓だけでなく、地方ではよく聞きます。
Kidoなどの取り組みを地域の人々に見てもらって、家を手放したり売ったりすることは恥ではなく、むしろ積極的に次の世代に家を譲り渡していくことが地域貢献にもつながるのだということが伝わって意識が変わっていくといいですよね。
今ある価値観を変えてもらうというのはなかなか難しいので、実際にやってみているところに関わってみてもらうことがとても大切だと私も他の様々な地域での活動を見ていて思います。
片岡:本当にそうです。
8月くらいから段階的にKidoのオープンハウスをしてきて、自治会にも入り、地元の祭りにも参加しました。
レンタルスペースでのイベントも、町内の方には欠かさずお声かけをしていますし、今回のイベントも回覧板に載せてもらい、できるだけ地域に開くようにしています。
最初は「なんか古民家買って商売するやつがやってきた」みたいな感じに思っていた方もいたかもしれないけれど、今はそうした目線がだんだん変わって来たなっていう感じはあって、逆に「Kido見せてもらいなよ。あそこいいよ。」みたいな感じで誰かを連れてきてくれたり、紹介してくださったりとか。「うちの空き家もこうなったらいいよなぁ。」とか言ってくれる人が増えてきました。
この間も地元の現役世代のご夫婦が来てくれて、「子供たちが集まらないから、もう祭りを継続できないって言うのに、空き家を貸そうとしない人もいる。そういう人たちに自分達が言っていかなきゃいけないよな」と言ってくれて、少しずつ浸透していくといいなと思っていたのですが、思ったより早い時期から周りの人たちが反応してくれています。
もちろん地域の人全員がというわけではないですが、協力的というか、好意的に受け取ってもらえているのかなという感触はあります。
まだまだ整備の足りてないところはありますが、こだわる部分はこだわって、なるべくそのものの良さというものを残しつつ、丁寧に改修できたらと思ってやったら、見てくれた方がみんな、残し方がいいねと言ってくださるので、やってよかったなーとは思いますね。
設計スキルの面でもできることってあるなって改めて思った次第です。
設計業務では、クライアントの要望が常にありますし、今回はストレートに自分達がこれでいいよねと思うものを今回つくって、示せたのはよかったです。
そして、リノベーションを普段からたくさんやってきた私たちだから、時間面も費用面もうまくコントロールできたなと思っています。まだ整備途中なところもあるので、楽しみと可能性の余地がまだたくさんあるなと思っています(笑)。
あと、laboの空き家調査で出てきた空き家で、地域の人から見たらこんな家もう無理だろうっていうようなものでも、私が見たらこれいけるんじゃないっていう空き家が結構あります。
なので、これコンパクトだから改修しやすそうとか、まだ全然いけるみたいな空き家を、移住コンシェルジュをやっている方とすり合わせをして、大家さんに連絡をとって救出していこうという取り組みもしています。
先日もその空き家の片付けを京大の学生が手伝ってくれました。
Kidoに何回か泊まってくれた方が牛窓に移住を決めて、家が見つかるまでのあいだ使いたいと言ってくれたり、家探してますとか、移住したいんですって方もkidoに来てくれています。
そういう方の受け皿になりつつ、地域の方につなげたり、空き家とマッチングできたりしたらよいなと思っています。
いずれは尾道の空き家再生プロジェクトの空き家バンクみたいな仕組み化をしていく必要もあるかもしれないけど、町の規模も小さいので、まず仕組みよりも関係性づくりみたいなことの方が大事で、現実的なのかなと思っています。
また、行政(瀬戸内市)がやっているまちなか再生事業で、前田先生と私がアドバイザーとなっているのですが、市役所の担当者がすごく積極的で熱心で、一緒にリサーチして、牛窓の今後について考えていきたいなと考えています。
山本:行政の方が熱心に動いてくれるのはとてもいいことですよね。
ただ、行政は癒着を防ぐために市民や民間企業とある程度距離を取る必要があり、親身になりすぎてはいけないという制度的な側面もあるので、その辺のバランスをどう取るのかが難しいところです。
片岡:そうそう、そうですよね。
でもそうなると行政はあんまりエッジの効いたことをできなくなってしまうので、私はやっぱり主体になるのは町にいる人たちだと思っています。
行政は最初の旗振りであって、そのあとは地元民や移住者など、そこにいる人たちがやっていくというのが本来のかたちだろうなと考えています。
また、行政は年度で予算や計画が区切られちゃうことが多く、そこが課題ですね。
町の動きって年度で区切られているわけじゃないし、ずっと続いていますから、行政の限界もありますね。
まちの将来ビジョンを作ったところで始まらないと言うか、それは絵に描いた餅でしかないから、やっぱりそういうものを作ると同時に、実際の取り組みが生まれていく環境をどう作れるのかが大事なので、やりたい人たち・やれる人たちを支援してあげる仕組みを行政が用意してくれるといいなと思っています。
最近、ちょっと可能性があるなと私が思っているのが、文化観光課というものができたことですね。
指定文化財とか、登録有形文化財とか、埋蔵物とか、そういう文化財的なものは元々教育委員会の管轄ですが、数年前に文化観光推進法という法律が作られて、文化財を観光に活かしましょうという動きが国の方であるようです。
瀬戸内市はそれを受けて早々に文化財課を文化観光課に変えたんですよ。
先日、文化観光課の方に会って、文化観光課って何をしているんですかっていう話をしたら、基本的には今までやっていた文化財に関することをやっているんだけど、今まで文化予算がほんの少ししかなくて苦労していたのが、文化観光課になった瞬間に、文化と観光のどちらでも使える予算が増えたそうなんです。
別に文化財を観光に使う前提でなくても、調査費がつきやすいという話もあって。牛窓は昔とても栄えていた町だから、大きくて貴重な建物がたくさん残っています。ほとんどが個人の所有物で、何年か前にもそうした大きな家が壊れてしまい、大きい敷地が細分化されて宅地になってしまい、景色も変わってしまいました。
このままいくといずれ同じような状況になりそうな建物を、どうすれば引き継げるのか?今までに失われた建築について議論すると、最低でも登録有形文化財にしておけたら、行政や国の支援を受けやすかったのに・・という話によくなります。
民間所有だと誰も手を出せないまま、気づいたら更地になっちゃうみたいなことになるから、前もって手立てができないかというのを、最近文化観光課に提案しています。
登録有形文化財は主だったメリットがなく、調査に自費を出すのをためらうかたも多いので、調査費の補助があれば登録有形文化財に申請しやすくなるかなと思います。
活用保存計画を立てるというステップを踏む必要がありますが、今は指定文化財よりも登録有形文化財の方が、改修の補助金が取れるようになっています。
大きい建物で町のシンボルになるような建物はそういう残し方もあるんじゃないかなと思っていて、町の中に可能性を残しておくということが今やれることなのかなと思っています。
今すぐじゃなくても、次の相続や世代交代のときに、何か選択肢が残っているという状況を作ってあげることで、町の景観的シンボルのような歴史を担ってきたものが残っていける可能性が出てくるんじゃないかなと。
山本:大きな家や貴重な家を持っている大家さんが自分から文化財登録してくださいと言いに行くことはあまりないですものね。
そういった制度に詳しくなかったり、自分の住んでいる家の文化的価値に気づいていない人も多いので、行政や専門家の方から文化的価値のあるものがどこにどのくらい残っているか調査していって、その所有者に働きかけていかないと、残せるはずのものも残していけないと思います。
片岡:そうなんですよ。
牛窓の中だけでも登録有形文化財になれそうな物件がめちゃくちゃ多くて、その中でも格付けで言ったら横綱級みたいな、指定文化財になれるんじゃないかみたいな物件も三件くらいあり、大関級もたくさんあります。
伝統建築物保存地区にするほど町並みはそろってないのですが、シンボリックな大きいところをどう残せるかかなと思っています。
また、調査したものを保存したり、市民が見れるようにするというか、アクセスしやすくするとか、そういうことも大事なんじゃないかなと思っていて、登録有形文化財がゴールではなくその後の受け継ぎの仕方も必要なんじゃないかなと最近思っています。
山本:文化財登録された建物がちゃんと地域との結びつきも保って、息づいていくことがとても大切ですよね。
ただ、文化観光課という括りだと、文化財が観光のための見せ物となって消費されたり、文化財の予算が観光の方に持っていかれてしまったりするんじゃないかという懸念も感じます。
片岡:そうですね。
前述の「牛窓がたり」のプレーヤーたちのインタビューでは、大型バスが来て沢山観光客が来るような観光は誰も望んでいませんでした。とはいえ、サービス業を生業にしている人も多いので観光客が来てくれることには賛成で前向きですが、やっぱり個人旅行だったり、ゆっくりのんびり滞在してもらうこととかが望まれていて、大消費型の観光は全然望まれてないんですよ。
国がかかげる文化観光は、文化財を観光資源として使ってインバウンド客の獲得に繋げていこうっていうことですが、消費で終わらないように、それを逆手にとって観光の予算でもっと文化的なものを充実させて、地域コミュニティでしっかり受け継ぐことがよいんじゃないかなって私は思っていて。
山本:単なる消費で終わらせず、長い目で見ながら文化を充実させていくことがやはり大切ですよね。
文化財や資料館、美術館などは見る人が限られていますが、感度の高い人々が注目している場所なので、そこがちょっと変わるだけで文化度の高い人達からの評価や目線が大分変わって、流入してくる人たちの質も変わってくると思います。
文化的なポテンシャルの高い街に感度の高い人がやってきてイベントとかやり始めたら、それに釣られて本屋を開いたりちょっと変わったお店を開いたりする移住者が出てきて、そういう人々が住むことによってエリアそのものも変化していきますし。
今の日本は文化を大切にしているとは言い難いのが現状で、新しく出来たポップカルチャーやサブカルチャーばかり売り込んで、今まで続いてきた文化を担っているものをどんどん壊して断絶させてしまっていっていて、このままいくとあと30年くらいでインバウンド客からも「日本見飽きたしつまんない」って思われてしまうんじゃないかと危惧しています。
片岡:本当、そうですよね。
金太郎飴みたいな同じようなお土産物屋さんやお店ばかり作っても、みんな飽きちゃうんだよね、日本に。
その地域の文化度というか、その場所のオリジナリティが大事で、滞在して地域のことを知ってもらうっていう旅の方が私は個人的に好きです。
もちろん宿泊施設も飲食店も今の牛窓には大分足りないから、流石にもうちょっとあっていいかなーとは思うけど、そればっかりできなくてもよいと思います。
山本:コンテンツが過剰に溢れている都市部と違って、地方こそ文化的な深み示して他の地方との差別化を進めていく必要がありますよね。
片岡さんが牛窓でされているような、滞在拠点作りと調査や保存活動を同時に進めていく取り組みはとても重要だし、牛窓にとって良いことなのではないかと思います。
ちなみに、Kidoを利用したい場合はホームページから申し込めばいいのでしょうか?
片岡:Kidoのホームページがあるので、そこから予約も問い合わせもできるようになっています。
私的には岡山にきてからの16年間、自分ができることは何かなと考えながらできることを直感のまま走ってきたら、いろんなものが積み上がっていたみたいな感じです。
最初からこうしようとか、意図的にこうしたというわけではないんです。
多分この先もなんとなく積み上がっていくのかなと思いますが、毎度振り返りながら来たものが今、自分達に蓄積されていると思います。
次の10年の大きなビジョンみたいなものは今の段階では正直ないけど、なんとなく今の流れの中で、牛窓で私たちがやれることがいろいろあるのかなと感じています。
一緒に考えてくれたり、支えてくれるメンバーが今までの活動の中に、たくさんいるっていうのはすごくありがたいですね。
*サウンディング調査:事業の発案や検討段階において、事業内容やスキーム等に関して、直接の対話により民間事業者の意見や新たな事業提案の把握等を行うことで、対象事業の検討を進展させるための情報収集を目的とした手法。
片岡八重子 プロフィール
株式会社ココロエ代表、一級建築士。宅地建物取引士、NPO法人尾道空き家再生プロジェクト理事。
1974年 千葉県出身
1995年 青山学院女子短期大学卒業
1995年〜2000年 スターツ株式会社(不動産建設業)勤務
2000年 東京理科大学工学部2部建築学科 編入学
2002年 東京理科大学工学部 大月研究室所属(ハウジング問題の研究)
2003年〜2007 岡村泰之建築設計事務所勤務
2008年 ココロエ設立
2015〜17年 岡山理科大学工学部建築学科 非常勤講師
執筆
学芸出版社/五十嵐太郎編 共著 「地方で建築を仕事する」2016
学芸出版社/真野洋介・片岡八重子 編著 「まちのゲストハウス考」2017