尾道や鳥取など中国地方の各地で地域課題に取り組む

今回は岡山を中心に尾道や鳥取など中国地方の各地で地域課題などにも取り組まれている一級建築事務所のココロエを運営されている、片岡八重子さんへのインタビューを前編と後編に分けてお届けします。

山本:それでは片岡さんよろしくお願いします。

まずはじめに、ココロエについて軽く説明をお願いできますでしょうか。

片岡:クライアントから設計を依頼された空間を作るということが設計事務所として行っている業務のメインではあるのですが、うちの特徴として、クライアントワークのプロジェクトだけではなく、地域のなかの悩みごとの相談も多く、現状の課題を次のステップに進めたり、関係性を作ったりしてきました。

それが建築になるときもあれば、ならないときもあります。

会社としてはNPOのような仕組みで、設計で稼いだ部分でみんなの人件費をまかないつつ、事業全体の中では営利・非営利関係なく、自分達が役立てることを取り組んできた結果が今の状態です。

(そうした地域課題に)一番最初に関わり始めたのが尾道空き家再生プロジェクトでした。

山本:尾道空き家再生プロジェクトに関わりはじめたきっかけは何でしょうか?

片岡:東京圏から岡山に引っ越すことになった際、倉敷出身の知人に岡山近辺で面白そうな人を紹介してほしい頼んだところ、尾道空き家再生プロジェクト代表の豊田雅子さんを紹介されたのがきっかけです。

そうして初めて尾道に行ったのが2008年の1月なのですが、そのときはまだ尾道空き家再生プロジェクト(以後空きP)は立ち上がったばかりの市民団体で、ちょうどこれからNPO化していこうと話し合っていた役員会に連れていってもらいました。

私は当時まだ、一度どこかに勤めるか、すぐに独立するか、はっきり決めていない状態でした。

そんなときに豊田さんに出会い、ちょうど豊田さんが所有するガウディハウスや北村洋品店の修繕を検討しているタイミングだったので、ガウディハウスの模型を作ったり、北村洋品店の改修プランを考えたりしているうちに、尾道の空き家のことに関わるようになっていった感じですね。

もともと私が、建築の大学に編入する前に不動産の仲介実務をやっていて、不動産と建築の両方の経験があるということで、2009年からは始まった「尾道市空き家バンク」の運用を空きPが行う仕組みも一緒に考えました。

建築家として、ひとつの建物を再生する設計に関わるだけでなく、仕組みづくりなど面的に関わることにも興味もあったし、大学では住宅地の形成過程の研究をやっていたので、空き家という問題についても早い時期から関心があったというのもあります。

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北村洋品店にて行われた尾道空き家再生プロジェクトの話し合いの様子。中央のテーブルはなぜか家の真ん中にあった井戸を利用したもの(片岡さんより写真提供)

山本:最初から地域密着や地域課題解決のようなプロジェクトをやろうとしていたわけではないということでしょうか?

片岡:地域に関わることは意識していました。

岡山に来る前の2006~2007年頃の東京は、デザインで付加価値を作るという動きが盛んな時期でした。

デザインが経済的な価値を満たす付加価値だけになることに、ちょっと飽きるというか、本当にそれだけなのか、もうちょっとできることがあるんじゃないかと思いがあったのですが、東京にいると流れが速く、自分の立ち位置を考えづらい部分もあったので、少し落ち着いてやれるフィールドが欲しいと思っていました。

そんな折に、岡山出身の夫がいつか岡山に戻りたいと言い出したので、だったら今戻ろう!と岡山に引っ越しました。

2008年の2月(尾道に関わり始めた1ヶ月後)に急に友人からの依頼の仕事が入り、設計事務所登録が必要になって、ココロエを立ち上げたのですが、どういう会社にしようかと考えて、個人の名前で建築事務所をやる人が多いけど、私は個人の名前で建築をやるというよりかは、いろんな人が関わるような、母体になれるような会社にしたいと思いました。

どこの地域がフィールドになるのか、まだそのときははっきりしていなかったけど、たまたま尾道に出会ったばかりの頃で、もしかしたら尾道で何かできることがあるのかもしれないという、感触的なものは掴みはじめて会社を立ち上げたという感じです。

尾道の次に関わったのが、鳥取の湯梨浜町松崎という町で、そこは私が大学を卒業してから勤めていた、東京で岡村泰之建築設計事務所を開いている、岡村さんの出身地だったんです。

岡村泰之建築設計事務所にいたときから湯梨浜町には度々訪れていて、鳥取県産の木材や和紙を使ったプロダクトを考えたり、岡村さんが本を出版したときの担当アシスタントとして訪れたりしていました。

私が尾道で空き家の再生に関わり始めたことを岡村さんに報告すると、湯梨浜町から空き店舗や空き家の再生アドバイザーをしてほしいというお願いをされた岡村さんが、「岡山に住んでいるうちの弟子と一緒にセットでやるならアドバイザーを引き受ける」と答えたため、私も一緒にアドバイザーを引き受けざる得なくなり、2009年から2011年の3年くらいは尾道に通いながら湯梨浜町にも月一くらいのペースで通っていました。

湯梨浜町では本当に何も建築物は作ってなくて、何をやったのかというと、ポテンシャルを引き出しただけというか(笑)。

山本:「ここはこうしたらいいんじゃないか?」というアドバイスをしていたということでしょうか?

片岡:客観的にみて関係性を築いた、ということですかね。

町の人は商店街と呼んでいるけど、もうまったく商店が残っていないところに商工会の人脈が強く残っていました。

商工会の婦人部には、行事があると素早く動いてイベントをやってしまうような強いお母さんたちがいて、人間関係などを客観的に見たら面白い状況になっていたのですが、賑わいづくりのために行政が蟹バスツアーとかを企画すると、忙しいお母さんたちが駆り出されてその接待していたり、なんかちょっと違和感がありました。

話してみるとお母さんたちも違和感を持っていたので、もっと今の自分達の現状にあったことをやった方がいいんじゃないのかと、お母さんたちの力添えになるように動いていきました。

例えば、10月に3と8がつく日にやる「三八市」がこの地区には昔から残っていて、それが昔はもっと面白く盛り上がっていたからリニューアルしたいと、お母さんたちから声があがったので、そのための屋台を作るワークショップをしたり、空き家をちょっと改修したり、イベントの手伝いをしたりしました。

その他にも少し先進的にまちづくりをやっている地域の若い子たちの話を聞くトークイベント&ワークショップをしたり、改修した空き家で「空き家BAR」をしたりしていたら、だんだん町の人たちが、こういうやり方もあるんだ、こういう視点もあるんだ、若い子たちも動いてくれるんだ、と、視点が変わってきて、そのうちに「ウチの町も可能性があるのかもしれない」と思ってくれるようになりました。

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湯梨浜町松崎で行われた三八市の様子(片岡さんより写真提供)

ちょうどそんなときに、岡山でゲストハウスをやっていた若者が空き家を探したいと相談してきたので、松崎に連れて行ったら凄く気に入ってくれて、翌日には移住したいと言ってくれました。

彼らは新しくゲストハウスを作りたいと思っていたのですが、まちには不動産屋などないので、物件がなかなか出てこなかったんです。

仲良くなったお母さんたちや岡村さんのお母さんに、面白い子たちが来てくれるんだからこれはチャンスなんだから、物件を探して欲しい!と日々頼んでいました。

そうしてやっと出てきた物件で、今でも続くゲストハウスができました。

それまでに関係をつくってきたお母さんたちが、彼らや彼らの友達など、若い子たちが何かするのに協力してくれるようになりました。

私がやったのは、お母さんたちや住民の方たちの気づきをかたち(プロジェクト)にして、次の人にバトンタッチしたっていう感じで、よいバトンタッチになってよかったなと思います。

あそこでは建築は作ってないし、お金にもなってないんですけど(笑)。

建築をつくる以外のことでも私たちができることがあるなと、このプロジェクトでわかりました。

単純に何かを作ってほしいという依頼からの始まりではないし、何ができるかよくわからないけど、まちの中にある、ちょっと掛け違えてることや無意識なことを、関係性を整えるといったら大袈裟だけども、まちに入って客観的に見てアクションをつくるということで、もしかしたら私たちに少し変えることができるのかもしれないなと感じました。

そんなことをやっているうちに、いろんな地域からお声かけいただいたり、関わってほしいと言われたりはするようになったのですが、それを生業にしてバンバンやりますというつもりはなかったので、相談を受けている過程でできることがやればやる、みたいなスタンスでやってきています。

他にも、岡山市の奉還町にある、今事務所を構えている建物の1階に入っている「ラウンジ カド」や、その近所のゲストハウス「とりいくぐる」が含まれる複合施設「NAWATE」は、そんなことをやっている私を知った不動産屋さんから、何か面白いことをしたいというので声がかかって始めたプロジェクトです。

また、岡山市の後楽園の門前にある福岡醤油建物という、今は資産家に買い取られてアートギャラリーに再生された建物なのですが、それが以前は空き家になっていて、町のシンボルだけど、建物も大きいし、行政もなかなか手を出せないのを、どうやって保存・活用をできるようにしていくかというプロジェクトにも関わり、その道筋を作るプロジェクトとしてやっていました。

2017年頃からは「牛窓テレモーク」という名前で活用している元町立診療所の建物を改修して地元のメンバーで使えるようにしました。

その縁で最近はテレモークのある岡山県の牛窓町という地域によく通っています。

一個一個のプロジェクトを挙げるとキリがないんですけど、とっかかりのスタートは尾道と湯梨浜のプロジェクトだったかなーと思いますね。

他にも玉島のIDEA R LABとか、徳島県の神山町とか、石巻とかいろいろ関わってきました。

山本:徳島県の神山町では何をされていたんでしょうか?

片岡:神山は民家の改修プロジェクトです。

神山もすごく空き家が多くて、中山間の特徴で家一個一個が大きいんですよね。

移住者や移住希望者も多いけど、空き家も大きいし、かなり湿気の多いところだから家が傷んでいて修繕にお金がかかる。

あと神山の課題で、ゼネコンや総合工務店のような改修を全部請け負える施工会社がないために、徳島市内や隣の町といった町外の工務店などにお金を放出してしまっていたんです。

神山は林業のまちで、町には材木店もあるし、大工もいるし、それぞれ設備屋さんもいます。

だから、ひとつの会社が全てを請け負うという形ではなくて、そういう方たちと連携して古民家の改修や空き家の再生をできるようにする仕組みづくりをして欲しいという依頼でした。

空き家再生の実例を作ってほしいということで、3年くらい通って、移住者の方たちのファーストステップの住まい「住み始め住宅」となる、空き家の古民家を改修する設計と、現場監理を2現場させてもらいました。

その過程で、今まで各職人さんが部分としてやっていたところを、チームとしてひとつの建築を再生するためにどう共有するか、いつも当たり前のように捨てていた古材をどんなふうに再利用していくか、DIYをどう許容していくかなど、普段私たちが設計事務所としてやっていることを、現場監理しながら伝えていった感じです。

神山町にも若い大工さんはいるんだけど、旧来のやり方に忠実で、とても技術力は高く、なんとなく感覚は近いんだけど、DIYみたいなクライアントも入っての施工みたいなものに慣れてなかったり、クライアントと感性が食い違っていたり。

例えば大工さんの業界では木端(こば:木材の断面)を見せるのは恥だと思われているから、旧来のやり方では木端を見せないようにぐるっと枠をまわしちゃうんだけど、でも今の人は逆にそれを重たく感じていて、もっと斬新にスッキリさせたい。

だからここは別に木端が見えていても大丈夫みたいな、そういうところの感性のすり合わせを現場でやっていました。

山本:町に職人さんや設備屋さんはいるんだけど、一般の人々がそうした職人たちに直接つながることがないために、結局都市部の工務店やゼネコンに頼んでしまって、地方の職人さんたちは下請けの下請けみたいな感じでささやかなお金しか入ってこないという問題が地方にはよくありますよね。

デザインに関しても、施主さんにこういうのがいいという漠然としたイメージがあっても、素人である施主さんにはそれを職人に直接伝える術がなかったりしますものね。

しかも職人さんと施主さんとの感覚がすごくズレてて、お互いに何がどうズレているのかもわからないということは本当によくあります。

片岡:そうなんですよ。

それで職人さんはクライアントからのリクエストにとてもまじめに応えようと、良かれと思って綺麗に仕上げたんだけど、クライアントが望んでいるイメージとは違う仕上げになってしまったり、手間がかかった分だけ高いお金を請求されてお互い納得いかないかたちで終わってしまうというようなことがあったりする。

それを私たちが、通訳というか、間に入ることで、「あ、そういうものでいいんだ」とか、「そういうことだったんだ」と職人さんにもわかってもらえたりしてます。

ただ、それは職人さんにスキルを出さないで欲しいということではなくて、スキルの出し方を変えて欲しいということなんですよね。

技術のある職人さんがいるからこそ綺麗におさまるんだけど、見せ方とか、おさめ方とかはもう少し柔軟に考えて良いと思うんですよ。

旧来のやり方、例えば古民家に新しい壁を入れようとすると、見切りを全部ぐるっと回すようなやり方ではなくて、見切りを入れなくても納まる方法を一緒に考えたい。現場で納まりの話を細かく詰めていると「お、なるほど!それならできるよ。」と職人さんたちもスッキリするし、喜んでくれる。

神山では、東京の建築家が神山に来て手がけた物件もあるんだけど、古民家一件フルに改修する、予算規模が大きいプロジェクトは町外のゼネコンに発注されていて、まちの大工さんは、小さいリフォームを担っていました。

大工さんたちは、これでいいんだろうかと悩みながらやっていて、やっても喜んでもらえてなかったり、高いと言われたりして、東京の移住者の人たちの物件をやるのはすごく難しいから、あんまりやりたくないと思われてしまっていたところがあったんですよ。

そうじゃないよ~というのが、私の神山で現場監理の役割で、2軒の古民家改修のプロセスを通して、少し共有できたんではないかと思います。

今後続くであろう、移住者が家を直していく行為をよりスムーズにやりやすいようにするっていうプロジェクトですね。

まぁ地味なプロジェクトです(笑)。

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神山の現場で職人さんと話をする片岡さん(中央)の様子(片岡さんより写真提供)

山本:いや、でも大事なプロジェクトですよね。

最近はいかにも工務店が施工したような「工務店っぽい感じ」はダサい、味がないと言われるじゃないですか。

でも職人さんたちはちゃんと綺麗に仕上げていて、それが逆にマイナスに評価されてしまうのが凄く残念だし、もったいないと思います。

大工さんに細かいディテールや仕上げ方を明確に指定しながら、「ここは今まではこう施工してたけど、今はこういう風に仕上げる方が喜ばれる」と説明してあげることで、最近の人々がなんとなく抱いているイメージや好みがもう少し明瞭になっていったら、次から大工さんも施主さんと話し合いがしやすいですものね。

片岡:私たちはいつもそういうことを通常の現場でもやっているので、私たちにとっては、それは当たり前のことなんですよ。

ずっと同じ大工さんに引き受けてもらえるわけではなくて、鳥取に行ったら鳥取の大工さんがいるし、岡山でも県北だったり県南だったり、東や西でも全然違う工務店さんや大工さんや職人さんとお付き合いしています。

新築の時は、図面との食い違いは少ないけど、リノベーションの場合は柱が曲がっていたり、斜めだったり、そういうときにどう納めるかと考えあぐねて、新しく出てくるディテールも結構多くあります。

山本:家が歪んでいると現場合わせで決めて仕上げるしかないことも多いですよね。

片岡:そう。

それをどういうやり方で職人さんのスキルを最大限活かしていくか。

できないことをできるようにしてくれとは言えないので、これはできる、これはできない、これはできるけどカッコ悪い、どうやったらこういうことができるのかとか、そういったことをこちらがその都度、もちろん安全性とか、耐久性とかも含めて、何が一番いいのかという解を、どの現場でも探して作っています。

だから私たちからすると、神山のプロジェクトはいつも当然のようにやっていることのプロジェクトなんだけれど、いつも私たちがやっていることって、客観的に見たら結構みんなに汎用できるというか、使えってもらえるようなことだったんだなっていうことを、逆に思い知った部分もあります。

山本:都市部なら建築家やデザイナーなどもたくさんいるので、施主さんの求めるものを汲み取ってもらって、代わりに職人さんに指示を出してもらったりもできますが、地方で直接職人さんに頼むとなると、それが難しかったりしますものね。

片岡:ですね。

なので、(町に関することでも)建築を通してできることが色々あるなあ、というのは感じていますね。

(町のプロジェクトと建築の設計は)両極端に見えるようで、繋がっている部分もあるというか。

さっきも言ったように、いつも最善の解を探すということが建築の設計の中では常にあるんですが、町のプロジェクトも同じかなーと思ってます。

建築の場合は物とスキルとデザインくらいで要素がそんなに多くないけど、町のプロジェクトとなると、もっと個性豊かな、人間関係だったり、歴史が入ってきたりとか、時間軸が違ったりとかあるけれども、その中で最適解を作っていくというのは、変わらないなと思います。

逆に違うところがあるとすれば、それはゴールがないことですね。

建築、クライアントプロジェクトは締切など終わりが必ずあって、そこでお金もらって一旦終了する。

そこからまた続くこともあるんだけど、でも一旦終わるっていうのが(町のプロジェクトでは)なくて、ずーと続く。

そういう終わりがないっていうのが違いだなと思っていて、面白くもあり、大変でもありというところです。

なので段々関わっている場所が増えていっちゃう(笑)。

でも比重のかけ方とかは変わっていっています。

例えば、尾道はもう16年くらい関わってきて、今は私がガッツリ関わらなくても、実務的なメンバーもいるし、どちらかというと客観的に物を言う立場だったり、法規的にちょっと難しい案件の整理だったりとか、そういうことが(私の役割の)メインになっています。

神山はコロナも挟んでしまったので今は全然伺えてなかったりしますが、SNS等で当時一緒にやっていた方々が色々なプロジェクトに関わっているのを目にして応援してます。

湯梨浜はゆるーく、街に関わるというよりかは見守っていて、それぞれの繋がりというか、関わる濃度は変わってきてはいます。

だけど、何かあったら駆けつけたいし、駆けつけれるという関係性でいたいなとは思っています。

後編に続きます。

片岡八重子 プロフィール

株式会社ココロエ代表、一級建築士。宅地建物取引士、NPO法人尾道空き家再生プロジェクト理事。

1974年 千葉県出身
1995年 青山学院女子短期大学卒業
1995年〜2000年 スターツ株式会社(不動産建設業)勤務
2000年 東京理科大学工学部2部建築学科 編入学
2002年 東京理科大学工学部 大月研究室所属(ハウジング問題の研究)
2003年〜2007 岡村泰之建築設計事務所勤務
2008年 ココロエ設立
2015〜17年 岡山理科大学工学部建築学科 非常勤講師

執筆
学芸出版社/五十嵐太郎編 共著 「地方で建築を仕事する」2016
学芸出版社/真野洋介・片岡八重子 編著 「まちのゲストハウス考」2017


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