スコットランドの建築家、アスプルンドの建築
20世紀初頭、北欧諸国では国家の独立が進んでいた。その頃ヨーロッパ文化の中心をなしていたイギリス・フランスやドイツのような欧州の中心ではない、北欧・東欧・南欧などの周縁に位置する国では、ナショナル・ロマンティシズムというムーブメントが生まれていた。それは汎ヨーロッパ的な意味合いを持つ今までの古典主義に対する、民族や国民国家などのアイデンティティを意識したローカリズムの主張と模索、独自の文化を探るための伝統と革新のせめぎ合いであった。
そんな時代に生きたスコットランドの建築家、アスプルンドの建築を紹介する。
グンナール・アスプルンド(Erik Gunnar Asplund)1885-1940
スウェーデンの建築家。コルビュジエやミースと同時代を生きた北欧の近代建築の巨匠であり、彼の理念・特徴は現代の北欧建築にも受け継がれている。アルヴァ・アールトやアルネ・ヤコブセンらに影響を与えた北欧古典主義の建築家として知られ、北欧近代建築の礎を築いた。
森の墓地(Skogskyrkogården)1916-40
1914年(大正3年)にスウェーデンのストックホルム市議会は、都市の南部に新しい墓地の建設において、国際的な建築コンペティションを行った。 アスプルンドと友人のレヴェレンツは、共同でこれに参加し第1位となり、生涯をかけて設計を行った。
スウェーデンの最大規模の墓地であり、起伏のある広大な敷地には5つの礼拝堂と火葬場がある。そのうち4つの礼拝堂と火葬場をアスプルンドが手掛け、レヴェレンツが1つの礼拝堂と造園を担当した。当時「死者の庭」として考えられていた墓地から、自然と建築が溶け込んだ墓地を目指した。自身の息子の死や「死者は森へ還る」という死生観から、訪問者や弔問客の感情の動きを設計に取り入れている。
アスプルンドは完成後の1940年に55歳の若さで亡くなり、この地に眠っている。 1994年にユネスコ世界遺産となった。これは20世紀以降の建築として第1号の登録であった。
花崗岩の十字架 1939
アスプルンド設計。入口に位置する巨大な十字架は「生・死・生」という生命循環のシンボルとしてつくられた。
瞑想の丘
レヴェレンツ設計。楡の木の茂る丘からは森の墓地が見渡せ、彼の設計した復活の礼拝堂と小道でまっすぐ繋がっている。
墓地
100ヘクタール程の墓地の敷地には10万の墓石が点在している。自然の中にたたずむ墓石は、低く質素なものとなっている。
森の礼拝堂 1920
アスプルンド設計。最初にできた三角屋根の礼拝堂。森に溶け込む小さな礼拝堂は、旅先のデンマークの東屋から着想を得ている。
ビジターセンター 1923
アスプルンド設計。当初は墓地管理用として建てられ、現在はビジターセンターとして、カフェテリア・展示施設を兼ねている。
復活の礼拝堂 1925
レヴェレンツ設計。新古典主義建築の様式となっており、神殿を思わせる。アスプルンドの森の礼拝堂とは対照的なデザインである。
森の火葬場 1940
アスプルンド設計。森の火葬場・信仰の礼拝堂・希望の礼拝堂・聖十字架の礼拝堂からなる。古典様式の要素を残しながら合理的な機能主義的建築で、現代においても古さを感じさせないモダンな建築である。アスプルンドは完成後ほどなくして亡くなり、これが彼の人生最後の作品となった。
ストックホルム市立図書館(Stockholm Public Library)1928
ストックホルム市内に建つ、アスプルンド設計の図書館。北欧古典主義建築の傑作。古典主義から機能主義への段階的な移行を示している。古典的な要素を減らし建築装飾を排除することで、 最も抽象的なものに戻している。アスプルンドはストックホルム市から依頼されコンペティションを策定していたが、自身が設計することとなった。
大通りに面する公園の一角に佇む図書館は記念碑的であり、周辺のランドマークとなっている。
正方形の底面と中央の円筒型の、赤褐色のボリュームを備えた幾何学的デザインで、中央の円筒部分は吹き抜けた図書館のメインホールとなっている。入口から暗く狭いエントランスを抜けると、円筒状の明るく開放的なメインホールが現れる。
円筒型の内部壁面は360度の本棚が3段に重なっており、訪問者が自由に本にアクセスできる。アスプルンドは設計するにあたり、アメリカの現代の図書館を視察し、図書館の目標は本を簡単に提供できることと考え、効率よく特定の本を自由に手に取れる、スウェーデンでは初の開架式の図書館とした。
最初のスケッチでは上部が古典主義的な格天井のドーム状となっていたが、部屋に壮大さを与える円筒型に変更された。円筒部の窓からは自然光が差し込み、壁はスタッコ仕上げで凹凸のテクスチャーが浮かび上がるこのように設計段階で当初の古典様式から、機能的でモダンな空間へと変わっていった。
円筒の外周部のコの字型の低層部分には、児童書庫やオフィス、ショップレストランなどが配置され、現在は増築されロの字となっている。開館当初は財政問題で西棟は未完成であったという。
古典的な要素を機能的にしていくことで、新古典主義的であり、モダニズム的でもある独特の建築。合理主義・機能主義の出現によって、ヨーロッパの古典主義から物理的に移り変わる過渡期であったことが伺える。
また、2007年の図書館の増築案の国際コンペティションでは、ヴァイマールのバウハウスミュージアムの設計で知られるドイツ人建築家ハイケ・ハナダが勝利していたが、政権交代と市民の反対により中止されている。
このように、当時の建築スタイルがどのように変わろうとしていったのかを考えると、建築の歴史の文脈をたどることができ理解が深まる。同時期の他の建築家の作品や国ごとに特徴を比べてみると、より面白いだろう。