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B・ルドルフスキー著「建築家なしの建築」再読

地域、環境、ローカリティなど様々なバナキュラー(風土的)な建築を考える上で、今この「建築家なしの建築」を再読することはいい機会だと思う。1964年9月9日から65年2月7日までニューヨーク近代美術館で行われた展覧会に合わせて建築・デザイン部の顧問であったバーナード・ルドルフスキーが立案、構成した書籍である。

多くの建築学生が一度は通るような書籍であるが、その鮮度が再びこの時代に輝きを取り戻してきている気がする。先日フランスの建築大学に通うフランス人学生(学部2年生)に、建築関連書籍で初学者が読むべき本は何があるかと聞かれ、「陰翳礼讃」(谷崎純一郎著)と「Penser lárchitecture」(ピーター・ズントー著)と、この「建築家なしの建築」(B・ルドルフスキー著)を紹介したところ、ちょうど次の週の授業で先生に同じく本書を紹介されたようである。いまだに世界中で「非様式的で未分類の建築の研究」に高い評価と感心が持たれているようだ。

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『建築家なしの建築』B・ルドルフスキー著

今回再読に当たって改めて感心したのは、冒頭の「World Map」である。この書籍で紹介されている名もなき建築たちの所在地が示されているが、日本をはじめとするアジア、中東、アフリカ大陸、南米からヨーロッパに至るまで156ものバナキュラー(風土的)な建築がカタログ的に紹介されている。1960年代にこれだけの世界を周るのには相当な時間がかかったであろうし、今の時代ではすぐに調べられるようなことかもしれないが、文化人類学者的アプローチによってこの当時にこのような研究を写真とともにまとめてあることの貴重さに、改めて感心している。

また、それぞれの風土的建築の紹介に当たっては各特徴ごとに、「建築的擬態」、「引き算による建築」、「編まれた王宮」など、著者がその場所で感じた印象そのもの(形態に触発される雰囲気)を示唆するようなタイトルが与えられている。訳者あとがきにも記されているが、副題として「系譜なしの建築についての小さな手引書」(A Short Introduction to Non Pedigreed Architecture)と書いてあるように、ひとつひとつの対象に対する切り込みかたは浅い。ただ、本書の魅惑はこのパノラマ的な網羅性で、ルドルフスキーの一市井人としての享楽的な人生哲学による印象の羅列であることから、初学者でも読みやすく、カタログとしてこれまで世界中で評判を博し、広く読まれてきたようである。

本書は「無名の工匠による風土的建築に対する偏見と無視をとり払うのに果たした役割」の大きさは計り知れず、「一種の旅行案内」としてそれ以上でもそれ以下でもないところに存在意義を誇っている。しかしながら、ルドルフスキーが言及するそのような「偏見」の位置付けは1980年代当時の背景によるところであり、刊行から40年近く経った今でも広く読まれている理由は、現代において無名の風土的建築の中に価値や意味を見出すことがむしろ一種の風潮と化したことによる。

書物には時代における役割がある。刊行当時の1984年における本書が持つ役割は果たされたはずである。刊行された当時と現代とでその書物が持つべき意義が変化しつつも、現代においては地域の風土的建築がその環境性能や建ちかたや地域の魅力をまとった状態であることに価値を見出されるべきことであるから、ここでまた再読・再評価されるべき点については疑いがないだろう。本書で書かれているカタログ的な洞察をより深く考察したい人は、B・ルドルフスキーの著書『人間のための街路』や『驚異の工匠たち』、『さあ横になって食べよう』を併せて読むといいだろう。