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アーティスト中村哲也:インタビュー

未来的なデザインと鮮やかな色彩で、見る者を一瞬にして引き込むアーティスト中村哲也氏の彫刻作品。流れるような曲線、鮮やかな色彩、そして未来的なフォルム。彼の手から生み出される彫刻は、あたかもSFの世界から飛び出してきたかのようです。NANZUKA Undergroundで2025年7月に開催された個展「GO FIGURE」では、FRP(繊維強化プラスチック)という素材が持つ無限の可能性を提示しています。独創的な発想と卓越した技術で、アートシーンを牽引してきた中村氏に、ADF(NPO青山デザインフォーラム)が、その独創的な世界観の源泉に迫るべく、作品に込めた思い、創作の秘密についてインタビューを行いました。

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©Tetsuya Nakamura. Courtesy of NANZUKA

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©Tetsuya Nakamura. Courtesy of NANZUKA

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©Tetsuya Nakamura. Courtesy of NANZUKA

「アーティストの背景と経歴について」

1:アーティストになるきっかけは何だったのでしょうか?

父が古美術、主に茶道具を展示する美術館を運営していたこともあり、子どもの頃から美術は身近な存在でした。場所は千葉県九十九里。年に何度か展示替えがあり、新しい展示品を迎えるためにコレクションを増やしていたのを覚えています。

父は典型的な趣味人で、古美術だけでなく、コンクールに出すためにジャーマンシェパードを多数飼い犬舎を作ったり、稚魚から鯉を育てる鯉士をしてみたり、珍しい車を乗り継いだりと、なかなか派手な性格でした。そんな父の趣味に付き合ううちに自然と知識が増え、そのジャンルに興味を持つようになりました。

門前の小僧というわけではありませんが、小学校高学年には錦鯉の良し悪しや古美術品の見方を何となく理解していたと思います。車好きも父からの影響は大きいです。

子どもの頃のそんな日常と環境が、アートを続ける上での基礎的なトレーニングになったのでしょう。自然な流れとして、将来は物をつくる仕事に就きたいと考えるようになり、大学は東京藝術大学の工芸科に進学しました。

2:どのようなアーティストに影響を受けましたか?

大学で初めて現代美術に触れ、当時身近で活躍していた村上隆さんから大きな刺激を受けました。
当時、村上さんは1/35ミリタリーフィギュアを用いた作品や、動物の皮で作ったランドセルなど、メッセージ性のある彫刻とも絵画とも違う新しい表現をされていて、とても衝撃的でした。1990年頃のことだったと思います。

いわゆる展覧会というよりもイベントやパーティーのような発表形式も格好よく、水泳部の先輩でもあった村上さんにいろいろ教わりながら、しばらくお手伝いをさせていただきました。工芸科を選んだ私は漠然と工芸作家になると思っていたので、自分には未知のジャンルとの出会いに大きな興奮を覚えたのを今でもはっきり覚えています。やはり初めて出会ったアーティストから受ける影響は絶大ですね。

1993年の初個展「中村哲也の昆虫分類美学」では、村上さんから作品のアドバイスだけでなく、アーティスト・ステートメントの書き方やタイトルの付け方、オープニングレセプションの方法まで丁寧に教えていただきました。学生時代は時間もたっぷりあったので、多くの展覧会を巡ったり、美術書店で立ち読みしたり、時には先輩アーティストのお宅を訪ねて話を聞いたりしながら知識を増やし、その都度大きな影響を受けてきました。

好きな作品は赤瀬川原平さんの「宇宙の缶詰」、チャールズ・レイの「All My Clothes」、ソフィー・カルの「The Birthday Ceremony」など。いずれもコンセプチュアルアートで、ある意味ない物ねだりかもしれません。

3:アーティストとして大切にしていることは何でしょうか?

自分の手による技術への信頼です。「何でも作れる」という自信が制作の根幹にあります。

現在はモニター上の3Dデータから3Dプリンターを経由すればどんな形でも作れますが、自身の手による技術を持っていれば、自分の手で粘土をこね、塗料を調合しながら最適解を探す方が直接的で間違いがありません。私はコンピュータを使いこなせないので、人の手を煩わせることもなく、ストレスも感じません。

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©Tetsuya Nakamura. Courtesy of NANZUKA

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©Tetsuya Nakamura. Courtesy of NANZUKA

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©Tetsuya Nakamura. Courtesy of NANZUKA

「アーティストの創作活動について」

1:作品制作のモチベーションは何でしょうか?

個人的な趣味とアートの創作活動の往復がモチベーションにつながっています。父ゆずりなのか関心ごとが多く、これまで古美術、錦鯉、自動車、バイク、ジェット機、腕時計、工具収集、家具、裁縫、模型制作など、さまざまなものに夢中になってきました。

近ごろは企業やキャラクターとのコラボレーションも増え、趣味で培った知識や美意識が作品に活かせる場面があると、とても高揚します。積み重ねてきた経験が創作の下支えとなり、表現の幅を広げていることを実感します。

そして何よりも「作る楽しさ」が重要です。プラモデルやガレージキットの改造、フルスクラッチの造形、車両のレストアまで—制作の高揚感は今も変わりません。複雑で手間のかかる工程さえ、まるでプラモデルを組み立てるかのように楽しめています。

2:作品を制作する際に最も大切にしていることは何でしょうか?

日々進化すること、そして自分の作品スタイルに縛られないことです。良いと思うものは柔軟に取り入れ、必要であれば過去作品の全否定さえいとわない。簡単なことではありませんが、同じ発想で似た作品を作り続けると飽きてしまいますし、新しい刺激こそが新作への原動力だと感じます。

柔軟な頭で自由に作っているつもりでも、実は見えない固定観念やしがらみが足かせになることもある。そのことを常に自覚し、意識的に解き放つよう心がけています。

例えば、1999年、ジェット機型の彫刻を作り始めて数年が経った頃、カスタムペインターの倉科昌高さんが個展会場に来て「ペイントさせてほしい」と言ってくださったことがありました。
当時の私は、ジェット機型とはいえ純粋彫刻を作っている気分でいたので、フォルムを見てもらうにはソリッドな表面塗装が当然で、カスタムペイントなどあり得ないと思い込んでいました。普段なら、うまくお断りするところですが、倉科さんの熱意あるプレゼンとポートフォリオ、見事な塗装スキルに圧倒され何故か承諾してしまい、カスタムペイントを教わりながら塗装し、2000年に完成したのがド派手にカスタムされた作品「REPLICA CUSTOM EVOLUTION」です。

それ以降、作品への考え方は大きく変わりました。なぜソリッドペイントに固執していたのか、なぜルールがあると思い込んでいたのか。見えない足かせに気づき、ひとつ自由になれた実感は、今も鮮明に覚えています。作品を作るごとに、自分が少しずつ自由になっていく—その感覚をこれからも大切にしたいです。

3:作品制作の苦労や悩みは何でしょうか?

特に大きな悩みはありませんが、体力的な衰えは感じます。集中力には自信がありますが、筋肉痛など体のきつさが増してきたので、最近は翌日のことも考えながら作業量を調整しています。これからはますます体調管理に気を配らなければなりませんね。

スタジオは長野県の静かな場所にあります。いささか不便に思われるかもしれませんが、材料はネットで調達できますし、打ち合わせもリモートで問題なし。

東京から200kmほどなので、高速に乗ればすぐに出向けます。制作環境としては何の支障もありません。

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©Tetsuya Nakamura. Courtesy of NANZUKA

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©Tetsuya Nakamura. Courtesy of NANZUKA

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©Tetsuya Nakamura. Courtesy of NANZUKA

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©Tetsuya Nakamura. Courtesy of NANZUKA

「アーティストの作品とメッセージについて」

1:作品のテーマやメッセージはありますでしょうか?

時代や国、置かれた環境によって人の考えは変わります。だからこそ、一方向からの“正義”を作品に込めて押し出すことはしません。どのような環境に置かれようとも変わらない、普遍的で大きなものであることが重要だと考えています。

もちろん表現は自由ですから、社会問題を作品に託して訴えるのも、今の自分が信じる正義を声高に叫ぶのも良いでしょう。ただ、ニュースで目にする攻撃や破壊によって自分の意見を押しつける表現には辟易します。もちろん論外です。

私が思う芸術の役割は、「メッセージを伝える装置」というより「見方を変えてくれる装置」だと思っています。作品の持つ仕掛けに気づいた瞬間、今まで見えていた世界がほんの少し違った景色に見えてくる—そんな体験を生むものだと思います。

そのためには、まず作品そのものが放つ“モノ”としての魅力が欠かせません。理解するために作品を見るのではなく、理解したくなるほどの魅力があって初めて始まる。驚きやうっとりする美しさを伴う作品には、必ず「もっと知りたい」という衝動が生まれます。

近年、美術館では音声解説やキャプションを確認しながらコンセプトを理解する鑑賞スタイルが主流のようですが、少しもったいないですね。

2:アーティストとしての社会的な役割について、どのような考えを持っていますか?

アーティストは、個人の意思で自由に理想を形にできる稀有な存在です。恵まれた職業ともいえます。だからこそ、既存の考えやルールにとらわれない新しい美意識や物の見方を社会に提案することが求められていると思います。

実際、多くのアーティストが誰も見たことのないものを生み出そうと日々切磋琢磨し、その結果、新たな価値観が芽生え、社会を動かしていく—その一端を担っているはずです。

2010年、バンクーバーオリンピックに向けた純日本製リュージュ(ソリ競技)開発に参加した事があります。JAXAチーム、東大チーム、そして私の3者がそれぞれ開発した3つのソリを調布のJAXA研究施設に持ち寄り、風洞実験にかけて空気抵抗を測定しました。

レギュレーションをクリアした形状で選手が乗り込むことを考慮した上、デザイン性をプラスしたデザインです。速そうなイメージを感覚だけを頼りに作ったものなので、余計な突起や穴が空いていてとても格好いい。結果、何故か私の制作したリュージュが最も空気抵抗が少なく、最高の成績を叩き出しました。

数値的に成功したことは偶然とはいえ、アート的思考が科学の分野で役立った一例であり、アートが持つ可能性を改めて実感しました。

3:アーティストとして今後、実現したいことや目標はありますか?

人との関わりから、今まで想像もしていなかった未知のジャンルとのコラボレーションが始まることがあります。新しいプロジェクトを通じて知らなかった世界を知ることが、自分の作品の深みにもつながり、方向性にも大きく影響します。

だから目標は絶えず常に動き続け、定まっていない—それが今の正直な状況です。

4:アーティストとしての成功をどのように捉えていますか?

「〇〇を成し遂げれば成功」というものではないと思います。もし世間の評価だけが条件なら、名の知れた芸術家は作品を作り続ける理由を失ってしまうでしょう。

作るなと言われても作らずにはいられない情熱と、それを理解してくれる周囲があれば、それだけで成功だと感じます。ある意味、アーティストを名乗り、創作して暮らしている時点で、すでに成功は始まっているのかもしれません。

付記

インタビューはアーティスト中村氏の背景や経歴、影響を受けた作品や哲学について語られました。アートのモチベーションは楽しさと自由の追求にあり、技術と創造性を重視しています。作品のメッセージは時代や個人の変化に応じて変わるもので、コンセプトに縛られずに表現を追求しています。アーティストの社会的役割としては、次世代や社会に新しい価値観や流れを示すことを意識し、影響力や未来への展望も持ちます。中村氏は、今後、未知のコラボや新しい挑戦を目指し、アートを通じて社会や自己の成長を図る意欲を語ってくれました。