私がまだ学生の頃、美術の基礎課程を終え、デザイン基礎と言うデザイン科の最初の授業で“Good Design”というテーマで課題が出されました。“各自が思う素晴らしいデザインをピックアップしてレポートしなさい“という事でした。

皆、ハンスムートやジウジアーロのバイクや車、高松伸や若林広幸の建築、シャープやソニー等のデザイン家電、キースへリングや横尾忠則などのグラフィック等をピックアップする中、私は“能面”を選びました。

亀川博道作

亀川博道作

正直、“狙った” と言う所が無かったか?と言われれば否定はできませんが、実際に能面が【究極の造形物】であると言う思いを持っていたのも事実です。

私の父が能面を打っており、その姿を見、話を聞いて、ほんの表層の知識だけではありましたが、いつしかそう思うようになっておりました。

あれから30年以上経ち、仕事柄いろいろな素晴らしいデザインを見てきましたが、今でもその思いに変わりがない事を、改めて感じています。(ほんの表層の知識しか持ち合わせていないと言う所もあまり変わっていませんが)

何を持って【究極の造形】かという事を、この場で全て説明するのは難しいのですが、能(能面)の魅力を語る時に一番よく用いられる話をご紹介いたします。私の父も一番最初にこの事を私に語りました。

表情を変える!

「能面のような表情」と言うと、“無表情”、“感情が顔に現れない”事の喩でよく使われますが、能面に表情の変化が無いかと言うとそうではありません。むしろ表情が豊かと言いますか、演目の場面に合わせて表情を変えるのです。

表情を変える!と言いましたが、木材を彫って作られた面が実際に動くわけでは無いのですが、能の舞台の上では驚くほど感情が能面の表情から伝わってきます。

演者の所作や、謡(うたい)、囃子(はやし)等も合わせて総合的に登場人物の感情を表現するのですが、その様な一連の演目の流れの中で、場面によって特定の表情を表すよう、緻密に計算されて能面は造られています。

小面連続写真中村光江

小面連続写真中村光江

言葉では伝わらないので、上の3面の写真を見てください。「小面」と言う、若く可憐な女性の面を角度を変えて撮影したものです。つまり1個体の面です。

左の写真は面を少し仰向けにした(照らすと言う) ところです。少し晴れやかな柔らかい表情に見えます。目じりが下がるとともに、目の下のラインが少し波打つ様、さらに目が少し大きく見開かれて見える様に工夫が施されています。

変わって右の写真は少し俯いた(曇らすと言う)状態です。少し憂いを帯びた表情に見えます。細く切れ長で目じりが少し上がり、冷たい印象と少し不気味な印象をうけます。

ただ、この面を“曇らした”時、口角が少し上がります。通常口角が上がった状態では喜びの印象を受けるものです。写真や面を単独で見たときに、“曇らした”状態の表情に喜びの感情を感じる人もいる様です。しかし、舞台の上では、“照らす”と喜び、“曇らすと”憂うように感じるのです。

これについて東大と名大の表情認知の共同研究で興味深い論文が発表されています。
能面のそれは、目・眉と口が相反する表情刺激を人に与え、見る人に心理的な「揺さぶり」をかけるという「仕掛け」である、、、というのです。そういう表情刺激をこの報告では「情動キメラ」と言ってます。

よく“目が笑っていない”なんて言い、そんな表情に不気味さを感じますが、そういう印象を与えるために仕掛け施している、、、ということでしょうか?

表情知覚認知のメカニズムの解明に能面が一役買っているというのも驚きですが。

中村光江「尉」※写真:天知輝夫

中村光江「尉」※写真:天知輝夫

目が動く!

もう少しわかりやすい例を、ご紹介します。
上の写真は、“尉”という老人の面です。右の写真が単体の正面から見た写真ですが、左の連続写真を見てください。
左斜め上の写真は、この面を少し“照らして”いる状態です。目は少し上を向いて、上瞼と共に眉も上がり、額のしわに至っては眉間を寄せ上げた時のように中央が上に吊り上がってます。
続いて中央の写真では、眉は水平になり、瞳も水平で遠くを見つめています。右下の写真、面を“曇らした”状態では、眉根が下がり、伏し目がちになり、瞳は下を向いてます。

もう一度右側の単体写真を見てください。老人の顔が非常にリアルに(気味が悪いくらいに)彫られています。しかし本当の人の顔を忠実に再現すると、このように表情を動かすことはできないそうです。究極まで要素をそぎ落とし、デフォルメし抽象化しながら、現実の人の顔には無い微妙な造形(仕掛け)を面の中に忍ばせているのです。

これらの技術はすでに室町の時代に確立していたといいます。その頃の能面を長い年月ずっと忠実に再現し続けているのです。

多少身内贔屓かもしれませんが、この世界最古の舞台芸能は、世界で類を見ない最高レベルの総合芸術で、その中で使われる能面は究極の造形(デザイン)であると私は思うのです。

亀川 真人

※1 写真は、能面師中村光江氏のWEBページ“能面の世界”より許可を頂いて引用させていただきました。文章なども参考にさせていただいております。 http://mitsue-yuya.com/
※2 参考文献 論文 “The Mysterious Noh Mask: Contribution of Multiple Facial Parts to the Recognition of Emotional Expressions” (日本語タイトル、『ミステリアスな能面』:情動表出認知には顔の様々なパーツが貢献する)