建築家たちは昔から、多くの旅をしてきました。

そして、今この瞬間もなお、多くの建築家たちが空や海を移動して、世界中を駆け巡っています。

建築家にとっての旅とは一体何でしょうか。

何かを探しに、何処かへ向かい、何かを感じることを旅と呼ぶのでしょうか。

プロジェクトの敷地に出向く移動そのものも、はたして旅と呼べるのでしょうか。

ローマ時代の偉大な建築から受け取る情報もあれば、移動中に垣間見た大自然の山脈から得る情報もあります。

建築家にとっての旅とは、それぞれの土地特有の空気の中で、経験し、思考するだけではありません。

光、風、空気、匂い、、、どこかで受け取ったその「何か」を反芻し、自分のものとして「実践」するまでがひと続きの旅の過程だとすれば、建築家の活動そのものが旅なのです。

言い換えるならば、建築家は常に旅をしていると言えるのではないでしょうか。

そんなことについて書かれている書籍があります。

安藤忠雄の都市彷徨』(1992年/マガジンハウス社刊行)

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この書籍は1990年から1992年にかけて「ブルータス」で連載されたエッセイがまとめられたもの。

安藤忠雄さんがまだ無名の時代であった1965年から、連載時期の1992年までの旅の記憶を書き起こしています。

「旅の中で建築家になった」「僕の人生もまた旅であった」と、本書では書かれているように、24歳の時に出発した放浪の旅から世界的プロジェクトの為の旅まで人生を通してのストーリーが描かれています。

ご自身が長い年月をかけて全身全霊で感じてきた都市や建築、芸術について語られているのはもちろん、

一文一文に宿るその厚みのある言葉たちが、当時の旅の孤独や緊張、感動を直接的に伝えてくれ、建築家としての痺れるような精神を感じることができます。

冒頭では、安藤氏の考える「旅」について語られているのでその一部を紹介したいと思います。

旅は人間を作る。

僕もまた、世界中の都市という都市を訪ね、通りという通りを巡り、路地という路地を歩き重ねてきた。緊張と不安の中で見知らぬ土地を一人さ迷い、孤独に苛まれ、戸惑い、途方に暮れ、しかしそこに活路を見いだし、なんとか切り抜けながら旅を続けてきた。

思えば、僕の人生もまた旅であった。

専門的な教育を受けぬままに建築を志すことは、緊張と不安のなかで見知らぬ土地をひとりさ迷い歩くようなものだ。もちろんその間に何百、何千もの人々と出会い、ときに助けられ、ときにすれ違い、そして別れてきた。楽しい時もあった。しかし、今こうして振り返ってみればむしろ、苦しみの中で手にしたものを糧としながら、今日まで生きてきたように思う。そしてその根底にはいつも、孤独と不安と期待のなかで一人都市を彷徨した、あの感覚が流れている。

旅は孤独だ。

そして予期せぬことにしばしば出会う。人の人生もまた同じだ。

旅はまた、建築家を作る。

建築は、2次元で展開される図面や写真あるいは言葉から、その全てを伺い知ることができない。時間とともに移ろう光の佇まい、吹き抜ける風が運ぶ匂い、響き渡る人々の声、辺りに漂う空気の肌触り…。自らその地に赴き、自分の手足を使い、全身全霊を以て理解するほかに、それらを自身のものとする手立てはない。だから建築家は、旅をする。

そして旅とは、実在する建築を観に行くための身体的移動だけを意味するのではない。

今一度歩き重ねた旅の軌跡を心のなかでなぞり、途中に出会ったものたちとの架空の対話を反芻し、歩きながら考えてきたものの深度をさらに深めることで、旅はさらに続いてゆくのだ。

そんななかで、僕は建築家になった。

安藤忠雄

もっとも、建築に携わる私たちは地に根ざす何かを造ることを生業としています。

そのため、創造活動をしていくためにはその場所の歴史や風土、文化との対話の中で必然的に身体的な移動を伴い、旅路の中で思考を構築していきます。そしてその多くの場合、旅と仕事の境界線はほとんどない気がします。

目的地が近くでも遠くでも、そこに存在する様々な「ヴァナキュラー(vernacular)」な要因を手掛かりに、私たちは設計の糸口を探し出しています。その深度を深めることで旅はさらに続きます。旅先で出会った些細なことがきっかけで、いつか素敵な建築が生まれるかもしれません。

旅や建築の入門書として学生にはもちろんのこと、建築関係以外の多くの人にも是非気軽に読んでもらいたい一冊。 窮屈な現代社会で暮らす多くの人々にとって、思わず本質的な何かに気づかせてくれるような、そんなエッセイ集です。