ー 湿度感のある風景や植物は、日本の景色のようにも見えるし、ヨーロッパの景色のようにも見える、どこか幻想的な青や緑の色使いやタッチが特徴的ですね。
日本で描いた作品とのことですが、ヨーロッパの人たちはどのように反応されていたのでしょうか?
藤田: この作品をパリで展示する機会があり、そのときに会場に来たおじいさんに、この月夜と同じ情景を昔見て忘れられず、絵がどうしても欲しいということを言われた事があります。
ドイツやフランスで何度か絵本と原画を展示する機会がありましたがその度とても共感して受け入れてもらえることが多かったです。
この作品の舞台は日本にいる頃に自分が思い描いていた空想のドイツの町だったのですが、一度友人の実家があるライプツィヒの田舎町へ行ったとき、絵本と同じ風景に出会い、驚いたことを覚えています。自分が憧れ思い描いていた空想の世界だからこそ、純度を保って美しく描けたのかなとも思います。
ー ミュンヘンとライプツィヒでの勉強や制作を通して、何か作品に影響はありましたでしょうか?
藤田: ドイツで学んだ後はまず作品のアプローチの仕方に幅が出来ました。
以前は完成した作品の絵がはじめに頭に浮かび、それに向かって制作をしていましたが、今はノートやパソコンに自分が興味を持っている事柄や作品のテーマにしたいものについて書きつけ、作品を肉付けしていくスケッチと同時に文章も書き続けています。
そうすることで、思考の変化や自分が興味を持っていることが明確になり、それまで断片的だった興味の対象が繋がって、作品の方向性やディテールが意識を持って形作られて行きます。
今までは無意識の部分に頼って作品に向き合うことが多く、その曖昧なところを技巧で埋めている印象があったのですが、ドイツでの作品のアプローチの仕方を学んでからは、無意識のままだった部分を言葉にして、何故自分がそれに興味があるのか、それを作品にすることで今の社会に何を伝えたいのかなどをある程度浮かび上がらせて制作するようになりました。そして今は明確化されてきた無意識の部分、言葉に出来ない部分をまた大事にして制作しています。
これは私の考えですが、20世紀を通じて現代絵画は理論的になりすぎたようにも感じています。それは資本主義に世界が傾いていった時代を反映していて、当たり前の流れだったとも思うのですが、その流れの中で現代絵画が過去に置いてきたものの中に、感受する喜びや目に入る美しさがあり、それがまた再び今の時代に求められているようにも感じています。それは資本主義が行き詰まった今が時代の変わり目であると感じているためで、これからまた私たちは社会全体で資本主義ではない何かを探していくことになると思うからです。絵画は常に時代を敏感に反映します。今は言葉で語りつくせないものや普遍的なものを描きたいと思っています。
ー 現在は鳥取の鹿野町で作品制作をしたり芸術祭を企画したりしているとのことですが、そのきっかけや行なっている内容を教えていただいてもいいでしょうか?
藤田: 今、鹿野町で年に一度くらいのペースで鹿野芸術祭を行っています。(2020年は休止。次回は2021年5月頃開催予定。)
きっかけは鹿野に移住して2ヶ月くらいたった頃、鹿野のまちづくり協議会の小林さんとお茶をしていた時に「芸術祭やらんか?」と軽く声をかけられたことがはじまりです。私も移住したばかりで暇をしていたので、予算もとってくれるし芸術祭を企画できるなんてなんだか楽しそう!くらいの軽いノリで引き受けました。それが大間違いというか、とっても大変で笑
移住してすぐで知り合いもほとんどいない中、何もかも手探りでひとりで芸術祭を作ったので、アーティストを集めることや、チラシ制作も全部ひとりでやり、大変なことを引き受けちゃったなと途中で気が付いて後悔しました。
けれどその年の芸術祭に来てくれたお客さんや出品作家に、鳥取でこういう活動をもっと広げたいと思ってくれる人が何人かいて、一緒に芸術祭をやりたいという声が上がりました。私は正直この年で終わらせようと思っていたのですが、それから毎年お客さんだった人たちが雪だるま方式で芸術祭スタッフになってくれて、鹿野町住民の方々の協力を得ながら、次で5回目の芸術祭を迎えます。内容は鳥取の地元作家とAIR(滞在制作)の作家を招待して、鹿野町の空き家や野外で気に入った場所を使って展示をしてもらいます。ここで大切にしているのが、私たちが landscape journey と呼ぶ町を歩き回る行為です。すべての参加作家に鹿野を歩いてときめいた場所を見つけてもらいます。そうして空き地や空き家という場所にアーティストが価値を見出し、そこで作品を通じて出来上がった新しい景色から、地元住民とアーティスト、滞在者に会話が生まれ、町に新しい視点を作ることを目的としています。