新しい年号が発表され、平成や昭和を振り返るとあと30年で何が起こりえるかを考えることが最近の考え事である。
ビルバオ効果
ビルバオ・グッゲンハイム美術館が設計されてから既に20年以上が経った。国同士の争いは激減し、航空券はヨーロッパ内で激安となったのももう10年を過ぎる。Googleの画像検索でたまたま出てきたビルバオの画像で夏の休暇を決める夫婦もヨーロッパでは少なくない。観光での経済成長はヨーロッパで大きな波を生み、直接、建築に足を運ぶことも容易になった。
日本でも2004年に安藤忠雄さん設計による地中美術館が直島という地域を活性化しビルバオと同じ波を生み美術館は世界中に増えた。そういう時代がこの20年であっという間に過ぎた。では、現在はどこに向かっているのだろうか?ここ数年で関わってきた物件等からそれらを読み解いていく。
オンラインの強さ
まずはドバイ、中国、ロシア、インドという流れで物件は動いているものが所内で多い。中東と中国の間を行き来しながら、その関係がデザインやビジネスを通じて混じり合っていることが見える。またそれとは別でオリンピック、FIFA、万博とお祭りごとで、その土地を活性化させる物件は今だに続いており、その前後の年に集中的にその土地でいろんなことが起きている。日本でもラグビー、オリンピック、万博と続いた予定が組まれている。
同時並行にこれからのオフィスのあり方はどうあるべきかというものが三〜五年ほど前に多くあった。Google本社、Facebook本社のIT企業のコンペが常に行われていた。よくそのプランニング内容を読み解くとオフィスは本当に必要なのか?サーバーにさえ繋がれれば会社に行く必要はないのでは...という矛盾が浮かび上がる内容であった。
これはビルバオの時も問われた「オンラインで観れるモナリザと実際に目で見たモナリザの違い」と似ている。実体験からいうならば、モナリザ自体に違いはさほどない。強いて言うならば、オンラインの方が人混みもなく、拡大したいだけ拡大でき、黄金比を測ったり、色を変えたりと自由自在である。
だが、実体験での決定的な違いは空間体験である。モナリザに辿り着くまでのプロセスは全く違い、フランス語が飛び交うものである。これは建築ありきの大きな違いである。スポーツのスタジアムはその最たるものかもしれない。
僕らはこの違いをオフィスに還元した。それでも人は仕事場に行く必要がある、と断言するかのように個人スペースを減らし、会議室や交流空間がより多く設けられている設計にシフトした。設備での交渉の余白は残しておいたとしても、どの用途もその場に行かなければ味わえない空間の提案が一層問われる時代に突入している。そういう解き方をしたものは確かに良い結果を残した。
定義のシフト
同じような現象が現在多くのところで起きている。僕らはオンラインの利便性が生むこの不気味な矛盾を解くことが設計者として大きな鍵となっている。
商業空間も同じような悩みを抱えていて、Amazon等のオンラインサービスで皆買い物をする中、店舗が存在する意義を解いているものが多い。教育機関も同じように、オンラインで講義が受けられるならば教室の必要性はあるのだろうかと。逆に空港はチケットを印刷しなければ搭乗できなかったが、現在では携帯とパスポートにより搭乗時間を短縮している。またUberやAirbnbの経営している側は客を集客させるプラットフォームを作っている。車や宿泊はそれぞれの個人事業であるため責任が経営側ではなく、個々に存在する事業形態である。このように少しずつ優劣が移行していて、僕らは同時に定義をシフトしながら進んでいる。おそらくクライアントもこの不気味な矛盾に気がついた上で建築を建てる意義を建築家に問い、建築の力を信じたクライアントが多い。
プラットフォーム
携帯もこの15年で大きく定義を変えた。従来は家の電話を持ち歩くという感覚のものだったが、現在は通話機能がついたパソコンというものである。さらには携帯電話というプラットフォームがありながら、その周りに自由に設定できるアプリが多く付随している。従来はウォークマン、電卓、財布などと別で存在していたものが携帯に収まっている。
またこれらアプリは随時更新され離れた所で同時に進化している。これが数年後には携帯から眼鏡やサングラスをメインプラットフォームに移動するかもしれない。技術的には既に可能であり、販売もしていてズボンのポケットは一箇所自由になる。アップルのジョブズはプロダクトを通じて、生活スタイルの提案を随時してきた。これは松下幸之助さんやソニーの盛田昭夫さんに通ずるものであり、ジョブスはそれを時代とともに書き換えたものであった。
建築も同じように、このプラットフォームとアプリの関係のようにあらかじめ取り替えが行えるような柔軟な設計に少しずつ向かっている。以前紹介したBIMもこのプラットフォームとそれに付随するファイルという連携を取っている。黒川紀章さんのメタボリズムはこの思想をプロダクトスケールでの証明を飛び越え、1960年代に既に建築でやっていたのも見事である。
視点を変えれば、東洋思想の木造で少しずつ部材を取り替えながらサステナビリティを確保する思想。実態とそれに付随する要素の優劣の反転が西洋にも浸透してきている面白い時期にいるのかもしれない。
提案と予知
このように建築家は未来を予測することが仕事とされがちだが、実際、僕ら建築家は全能ではない。しかし、周りの与条件の変化に気がつくことで、今まで当たり前にしなければならなかったことから解き放たれるような瞬間が突然現れる。こういった時に設計がガラリと変わり、派生して色々と変化が起こり、価値観を変え、生活スタイルを新しくするきっかけを与えることができる。
エレベーターがなかった時代は一階に住むことが富裕層の特権だったが、エレベーターの誕生によりそれはひっくり返り、ペンタハウスという空間を生んだ。例えば、車自体が変わり、極端な話、飛行するようになれば交通機関の定義が変わる。そうなれば建築や都市設計のあり方も変わる。取引先の入口を経て、ロビー、セキュリティ、エレベーター、受付、会議室へ至るという長いプロセスが現在である。対して窓から入り、携帯等で認証し、会議室に到着するだけ。Door to DoorがWindow to Windowという短いものになる。エントランス、コア設計、避難、消防設計等はガラリと需要が減り、そこに隙間が生まれる。車が実際に飛行するようになるかはさておき、このように新しい条件とともに生まれた隙間に提案をしながら時代を予知することはさほど難しくはない。