「広告人」としての開高健
茅ヶ崎市開高健記念館は企画展「広告人・開高健の三つの顔」を2024年4月27日 (土)から2024年9月29日(日)まで開催する。小説家、ルポルタージュ作家、エッセイスト、旅人、釣り師、美食家など、多彩な顔を持つ開高健だが、その出発点であり、生涯にわたって関わってきたもう一つの顔が「広告人」としての顔である。
1954年、23歳で大阪にあった壽屋(現サントリーHD)に入社後、宣伝部での活躍を経て58歳で亡くなる最晩年まで、開高健が遺していった数々の広告人としての足跡を3つのジャンルに分け、それぞれの顔を追いかけていく。いかにして、開高健が時代や社会に強烈で魅力的な広告の世界を切り拓いていった存在だったのかを振り返る。
開高健( かいこう たけし)1930年~1989年
1930年大阪市生まれ。1954年洋酒メーカーの壽屋(現サントリー)に入社。宣伝部で酒屋向けの冊子「発展」や「洋酒天国」の取材や広告のコピーを担当しながら、小説の執筆を続ける。1958年「裸の王様」で第38回芥川賞を受賞。壽屋を退社、嘱託となる。以降「流亡記」や「日本三文オペラ」など話題作を次々に発表。その間も、「洋酒天国」の編集発行人や広告のコピーライターとしても活躍を続け、当時のウイスキー・ブームの火付け役となる。1964年前年にサントリーの嘱託を辞し、同僚だった柳原良平や山口瞳らと広告会社サン・アドを創立、取締役に就任。1965年戦火のベトナムを取材したルポルタージュ「ベトナム戦記」がベトナム反戦運動に大きな影響を与え、68年にはその体験から小説「輝ける闇」を発表。その後も世界各地を視察旅行しながら、世界釣行記「フィッシュ・オン」(70年)や小説「夏の闇」(72年)を発表。1972年魚釣りを素材にしたテレビCMをディレクターの東條忠義と企画し、自ら出演してサントリー角瓶のテレビCMを制作・放映し、話題になる。以降も「玉、砕ける」や「耳の物語」などの小説「オーパ」などのルポルタージュ、「最後の晩餐」などのエッセイの名作を残す一方で、CMタレントとして世界各地を巡ってロケ撮影したものも含め、亡くなる89年までに計20作以上のサントリーのウイスキーや他社商品のテレビCMや広告ポスターに出演した。
企画展「広告人・開高健の三つの顔」開催概要
会期 | 2024年4月27日(土)から9月29日(日)まで |
会場 | 茅ヶ崎市開高健記念館 |
観覧 | 200円 |
URL | https://www.kaiko.jp/ |