FacadeとBrand(前編)
色々な建築家が存在する中、Facadeのディテールをどう仕上げていくかということが文字通り事務所や組織の顔であり実力に直結している。この細かいミクロの世界が一つ一つ重なった時にマクロ全体でどうみえるか、窓ガラスが一つ一つ歪まずに窓枠に納まっているかということを建築家は互いに見つめあっている。
ザハ・ハディド Galaxy SOHO
ザハ・ハディド建築事務所(Zaha Hadid Architects)が流線型の時代に突入する上でGalaxy SOHO(銀河SOHO)作品は大きな意味を持つものである。シャネルのモビールを終え同じように流線型な形で商業施設とオフィスという用途をもった建築が完成したのである。カタチは単純であまり複雑にせず球体を水平方向に区分求積したものである。またこれら水平方向に区分されたものを基盤に垂直方向にはパネル割りが行われている。基本的にはこれら二つの方向からの区分によって外装の施工が進んだものである。このパネルの区分が一つ一つ違えば一つ一つ型枠が違い、型枠が多ければ多いほどコストに影響が出るものである。つまり金額を抑えるために型枠を極力少なくし、この型枠の区分が無限の方法がある中でデザインに影響が少なく、コストを抑える方法を見つけ出すのが設計者の仕事になる。
例: 玉ねぎ
この同じ内容を玉ねぎで説明する。
- 全体の造形が半分の玉ねぎだとする。
- これを輪切りにしたものがスラブだとする。すなわちこの輪切りが建物の階数を決定していく。
- 輪切りになった外側のものだけを外壁のファサードだとし、内側はコンクリートを流し込むスラブだとする。
- で取り出したファサードのリングを四角い短冊切りにする。
- を同じ大きさ、曲率にする切り方のスタディを続ける。
5-1. 切り方が平行に切ったもの。
5-2. 中心から放射状に切ったもの。
5-3. 違う階の曲率を考慮したもの。
基本的に細かく切れば切るほど曲率は少なくなり切れた型枠の数は極端に減るのである。この作業をどの建築事務所も莫大の時間をかけていてその解法はそれぞれであり、こだわりがみえるところである。ここが建築家同士でも見ていて「へー!こういう事務所なんだー...」「この素材はどこのものだ!」「なぜだ!?」と嫉妬と共にワクワクするところである。
フランク・ゲーリー(Frank Gehry)の場合
日本の宮大工が曲率の強い屋根を施工する際に鎧張という方法を使用する。甲冑の作り方を由来とするもので片側が固定されその上に同じように重ねていく方法である。戦場で侍が動き回ることを考慮し一つ一つの鎧のアソビを最大にしている解き方である。フランク・ゲーリーはこの解き方をヒントにスチールの歪みを利用しファサードの仕上げを行なった。元々巨大な魚のオブジェを初期に作っていて鱗一つ一つの処理とこの鎧張の考え方は自然と存在していたのが事務所のアイデンティティを形成している。彼らにとってもやはりビルバオ美術館が大きな意味を持つ作品となっている。光の反射越しに見える微妙な歪みがこの作品では彼らにとって課題と掲げて、それを2000年に見事にWalt Disney Concert Hallで克服している。光の反射がある程度少ない素材に変えたり、鎧張のパネルを納めた後にある程度のアソビを設けていたりと知恵と技術力の高さを見せている。
ガウディの場合
サクラダファミリアで有名なガウディの場合このパネル割りはパソコンのない時代背景でありながら斬新な解放が2つある。
1つ目はスケールがある程度小さいものであった場合、彫刻的に扱っているため継ぎ目を見せないという方法を取っている。内装の場合、彫刻のように扱った要素と建材で扱う素材はどちらも石膏といった素材である。そのためそのピースをはめ込んだ後に継ぎ目は全く見えない仕上げにフィニッシュにしている。外部ではモルタルで仕上げていて職人技が威力を発揮している。
2つ目はグエル公園の仕上げである。
セラミックを現場で職人が砕いて割り、それをパズルのように貼って行く作業である。面白いのが場所によってこの仕上がりのクオリティが微妙に違い、三角に砕いているものや円形の川石で仕上げているものなどが複数ある。公園というヒエラルキーが少ない場の中で実験的な試みがここで見られるのが感心するポイントである。いずれにせよ現在では図面に一つ一つどのパーツがどこにと細かく指示を示す中、ガウディのこの時代のこの指示の出し方は現場の職人任せというものであっさりとしていて面白い。また上記2つの解き方は継ぎ目を見せないものとランダムにすることで気にさせないという全く違うアプローチが1人の設計者から派生しているのが面白いところである。
ザハ・ハディド建築事務所がこのGalaxy SOHOを仕上げた時、次の課題はどこかと掲げた時、それはやはりこの継ぎ目をより綺麗に仕上げることであるとハッキリと掲げた。曲率が強くなれば細かくするという解法をしたがそれは施工段階で出てきたものであったため本来は同じ寸法で仕上げたい。いや、もっと言えば継ぎ目なんてないほうがいい。どこまでクライアントとの信頼関係があり、どこまで互いにこだわれるかが要である。
またこの作品を通じて中国の施工の仕方、スピード、国民性に潜む考え方を理解したことが大きな収穫であり、建築における「どこか新しい広いゾーン」を示すものを予感させたのである。それがなんなのか、どこなのかというのは具体的でなかったことがまたザハらしさであった。