古民家での暮らしVol.5: 生活と間取りの移り変わり

古民家と言ってもその造りは様々で、建てられた時期や立地、また江戸時代以前に建てられた家の場合は住む人の階級(職業)によっても家の造りが大きく異なります。

江戸以前の日本には軍事や行政管理を行う特権階級である武士、商人・職人・農民などからなる平民、被差別階級である「えた・ひにん」など、主に三つの身分がありました。

また各身分の中にも大きな格差があり、農民の大半は自分の土地を持たない小作人で、その多くは地主や仲介人に搾取される貧しい生活を送り、自分の家すら持てずに地主から与えられた小さな部屋や粗末な小屋で生活していました。田舎にある民家は、農民だけでなく職人などの家もまとめて農家と呼ばれました。現在まで古民家として残っている農家の多くは比較的裕福な家庭のものだと言えます。

田舎の家を農家と呼ぶのに対し、職人や商人が住んでいた町中の家は町家と呼ばれ、簡素な平家や長屋から三階建の立派な家までバリエーションに富みます。特に京都などの都市部では間口税と呼ばれる間口の広さで納税額を決める制度があったため、間口を狭くして奥行きを広くした、うなぎの寝床と呼ばれる細長い間取りの家がよく見られます。

武士が住んでいた家は武家屋敷と呼ばれ、広く立派で保存状態のいいものは文化財等に指定されていることも多いのですが、武士の間でも格差は激しく、江戸時代に入り戦乱が終わると軍人としての需要が減り、多くは行政官としての役割を担いましたが、江戸中期以降には一般の武士よりも財力のある商人の方が力を持つようになり、中級以下の武士の多くは没落して平民とあまり変わらない生活をしていました。その結果、本来は武家などにしかなかった畳敷の部屋や床の間、式台などの格式を表す設備も、裕福な平民の住む農家や町家にも次第に取り入れられるようになり、中級以下の武士の家と平民の家を明確に区別することが江戸末期に近づくほど難しくなっていきます。

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客間のある比較的裕福な農家の間取り。田の字造りと呼ばれるこの構造は田舎の古民家でよく見かけられる。

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うなぎの寝床と呼ばれる細長い町家の間取り。

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中級武士の武家屋敷の間取り。式台と呼ばれる身分が高い相手を招くための玄関や、農家や町屋に比べて立派な書院造りの床の間があるなど、格式を表す設えが家の中に設けられていることが特徴的。住人は内玄関や勝手口を使用し、式台は来賓しか使用できなかった。もともと瓦や畳を使用したり床の間を作ったりすることは武士や富裕層などの特権階級しかできなかったが、武士の力が弱まってきていた江戸中期以降には庶民の家にも普及しはじめた。

現代のように家の中に水回りが組み込まれることが一般的になったのは上下水道が広く普及した戦後のことで、昔の日本家屋の多くには風呂や水道がついておらず、特に木造家屋が密集する街中では火事を減らす目的もあり、町の人々は大衆浴場を利用していました。水は井戸から汲んできて水瓶に入れて使い、炊事は土間の上の竈門や茶の間の囲炉裏で行い、便所は湿度と臭いを避けるために寝起きする建物から少し離れた場所に作ることが一般的でした。特にライフラインの普及が遅かった田舎では数十年前まで江戸時代と変わらない生活が続いていました。

日本家屋の特徴の一つである土間は、一見すると普通の土のように見えますが、赤土と石灰とにがりを混ぜて作った三和土(たたき)というセメントに似た性質の土で締固められており、表面はしっとりとしているため思ったほど埃もたたず、水にも強くできています。農家では土間が炊事だけでなく農作業や内職などを行う作業所でもありました。現在の古民家の多くは土間を床張りにリフォームしていることが多く、土間がそのまま残っている家は最近では珍しくなっています。

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この写真の土間には左に流し、中央に竈門があり、右にお勝手と呼ばれる板間がある。

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昔の人は囲炉裏を囲って食事をしたり暖をとったりしていた。寒い場所では囲炉裏の周りで暖をとりながら寝る地域もあった。囲炉裏もリフォームの際に撤去されることが多いため、残っている家は最近では珍しい。

戦後になると帰還兵やベビーブーム、食事や医療の改善により減少していた人口が一気に増え、家族や収入の増加、住環境の変化に伴い、多くの民家で増改築がなされます。部屋数を増やしたり、上下水道の普及に合わせて水回りの増改築をしたりしたほか、裕福な家では洋風の書斎兼応接間を作ることが流行りました。

戦後すぐに建てられた家は廃材を利用したバラック建築が多かったものの、高度経済成長や建築基準法の改正に合わせて、現在もよく見かけるトイレ・風呂付きの一戸建てや、公団住宅などの鉄筋コンクリート製のアパート建築が増えていきます。高度経済成長以降から現在にかけては、建材・工法の発達やデザイン住宅の普及にしたがって、様々な家が建てられていますが、親世帯と子世帯を分けた二世帯住宅や単身者向けアパートなど、核家族化から孤立する個人へと人間関係の変化に住宅事情も合わせて変化していっているように見受けられます。

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風呂を増築したり土間を潰したりして水回りを屋内に取り入れた家や、洋風化に合わせてフローリングの部屋や応接間を作った家も多い。

古民家の間取りは現代住宅とは異なることがあり、ときにそれは現代風の快適な環境を作る上で不都合を生じさせるかもしれませんが、間取りや家の造りから過去の人々の暮らしを読み解き、自分が求める生活環境と照らし合わせ、何を残し、何を変えるか考えることができるのは古民家改修ならではの楽しみと言えるでしょう。