パラメトリックデザイン
建築界に限らずデザイン界でこの10年でおそらく最も勢いのあるデザイン様式ではないかと考えられる。またこれらはコンピュテーショナルデザインにおいて切っても切れない関係のものである。スクリプトやグラスホッパー(Grasshopper)を介して生産させることが多いが、これらのツールを用いればパラメトリックデザインであると誤解されやすい。
ザハ・ハディド・アーキテクツ(Zaha Hadid Architects)の現所長であるパトリック・シューマッハ(Patrik Schumacher)が10年前から唱えているものであり分厚い本を上下2巻に分けて細かく定義づけ、可能性等を論じているものが始まりである。彼の本を一つ一つ理解していくにはおそらく1年ぐらいはかかるであろうと本人も講演会等で説明している。今回はそれらを簡略したものをここに記す。
ザハ・ハディドとカジミール・マレービッチ
前提としてまずザハの説明をする。ザハはロンドンのAAスクール(Architectural Association School of Architecture)を卒業し、当時からカジミール・マレービッチ(Kazimir Malevich)の絶対主義の絵画をどう建築に置き換えるかということに深く感銘を受け、「具体的なスケールのなさからとてつもないリベラリティを感じる」と述べている。建築パースや模型に人や植栽といったスケールがわかるもの、有機的なものを彼女は非常に嫌う。その理由はこの辺にある。またマクロとミクロでの解き方を同じように解くものを非常に好む。事務所の中でプロダクトもディテールもマスタープランも同じように解くのがザハ特有のスタイルである。彼女のAAスクールでの卒業設計もロンドンのテムス川の上を掛ける橋であった。またそれを指導したのはOMAのレム・コールハース(Rem Koolhaas)である。この時もマレービッチのスケールのない作品をなぞらえながらA点からB点へと具体的な距離を持たせることでスケールを与え、空間を持たせ、建築化していったものである。のちにマレービッチの作品をテートモダンでザハ本人がこの卒業設計や、後の彼女の作品を重ねながら説明するレクチャーなどもあり反響を呼んだ。「まさかあの時の買い物が1人の少女をここまで大きくしたとは...」とテートモダンの館長も述べている。いずれにせよ、この絵画によるマレービッチの単純幾何学の起こす浮遊感を3次元ないしは時間軸を加えた4次元空間の建築でも同じような効果を描写したいというのがザハイズムの始まりであった。彼女の建築用語がいくつかある中でTicktickとWhooshはマレービッチの絵画を引用したものである。Ticktickとはアクソメのようなものであり、その建築の構成要素を分解、展開し浮遊させたものである。色をつけConfettiとも読んでいる。結婚式で投げる花びらのことである。コロンビア大学で知り合うバーナード・チュミ(Bernard Tchumi)はこの表現で互いに影響を与えている。Whooshとはグラデーションのことである。視覚的なものから建築的要素への移行などにも用いる。
ザハ・ハディドとパトリック・シューマッハ
パトリックは当時4人であった事務所を400人に大きく拡張させた人物である。またパトリックが最初に担当した物件はヴィトラ(Vitra)の消防署であり、この物件はそのザハイズムと彼の述べるパラメトリックデザインの交差する重要なものである。ヴィトラは少ない壁と床/屋根で構成されたものの中を縫うように空間構成されている。最初の取り掛かり方は安藤忠雄さんの手法と非常に似ていると言える。ザハの建築の大きな特徴はランドスケープの小さなスロープが徐々に拡大していくところである。やがて屋根になり、庇へと勇ましくスラブだったコンクリートが空へと突き抜けていく。その拡大されたスロープの隙間にプログラムを挿入し、空間を生み、その空間が無数に連続し、先ほど述べたように縫う空間が構成されている。要素一つ一つは真っ直ぐ迷いなく庇に向かっているが、その過程で空間が歪むように多くの要素を取り巻いている。ザハの描いたヴィトラのドローイングにはパース、立面、平面が一度に描かれている。訪れた時にエネルギッシュな空間が一度に襲いかかってくる。自分がどこを歩いているか、不安でありながら自由であり、とてつもないリベラリティが漲る空間である。ドローイングに潜む浮遊感が確かに空間でも表現できている。もっと言って仕しまえば、マレービッチの絵画の効果を確かに空間で置き換えたと言っても良い作品であり空間と共に認識が浮遊感を持って歪んでいく。パトリック自身も「この効果をこれでもかと潜ませた物件である。」と述べている。後にこれを踏まえ、Landscape Formation、BMW、Wolfsburg科学博物館など初期の作品を生み出す事務所となっていき、現在のパラメトリックへと繋がる。
パラメトリックデザインとは、 立方体、球体、ピラミッドのように名前のある幾何学以外のものから構成されたものであるとパトリックは自身の本や講演会の中で述べている。立方体、球体やピラミッドを氷のように溶かしたカタチであったほうが互いに繋がりあうことが容易になり、その繋がった箇所こそが面白い空間やデザインが生まれると述べている。
色で例えるのであれば、赤という色と青という色を混ぜ合わせた時に紫という色が生まれる。この紫という色は既に名前があり存在するものであるがその途中に名のない色が無数にある。そしてその色が変わっていく連なり全てをパラメトリックデザインと示している。
空間にまた話を戻す。ランドスケープというものが存在し、庇というものが存在する。その間をスロープの拡大によってそのスロープの隙間にプログラムを挿入しグラデーションを構成する。この間に名のない空間の連なりが同様に生まれる。同じことが床、柱、天井と言った建築要素でも言える。言葉で区切って生まれたものではなく、これらは洞窟で生活していた古来の建築では本来繋がっていたものであり、そういった枠組みを取り払うというものである。これはマスタープランであっても、一つの建築物のスケールであっても、一つの部屋、部屋の中のプロダクトであっても同じように要素の絡み合いは存在し、その定義のし直しは可能である。
これらは日本住宅でも同じ効果が見られ、日本人には馴染みやすい認識である。日本家屋の内と外で仕切られている間に縁側があり、外でありながら内に存在する。この曖昧な空間のことである。また他には銀閣寺の庭園は一歩踏み込むことで全く違う空間に差し掛かっていく。また一歩と踏み込むとまた違うものへと。強い要素と相反する別の要素を置き、それを丁寧に手入れすることで不思議な空間を生んでいる。
日本の建築家の遠藤修平さんの建築も似た効果が存在している。初期のコルケードメタルのトイレやアトリエはどの方向を向くか立つかで空間がドンドン変わっていく。素材もハッキリと曲がっていくコルケードメタルから垂直に立つレンガ壁、水平に伸びる水辺、動線をつなぐタイル、外部を繋ぐ芝。歩くスピードすらもパラメータの要素に加わる。このように遠藤さんの建築の場合、建築物を構成する要素は一つ一つはっきりとした違いをもたせながら、空間はグニャグニャと曲がり混ざり合う効果が成されている。これらは絶対的に現場に行かなければ味わうことができない空間体験であり、日本建築には多くこれらが見られる。
パトリックもこれから西洋と東洋は混じり合っていくと述べている。両方の面白いところを混ぜ合わせていくことが非常に重要であり、個々の国籍というのもこれから少しずつ意識することも薄れていくものになり、個人が重要になっていくであろうと述べている。
技術的な話
パソコン技術の向上によりこの30年間で、計算は著しく容易になっている。専門的な知識がなくても、ある程度の教育を受けることにより誰でも複雑な計算処理を行うことができるようになってきている。MayaやRhinoにスクリプトがあり、これらのスクリプトを書く所員がザハ事務所で非常に重宝された。やがて色々なプログラムが同じようにその開発に取り組んだ。Rhinoの開発者がスクリプトの限界を感じている頃、ザハ事務所はどのように設計をやっているのか興味を示した。パラメトリックデザインの本を書いている頃のパトリックと所員を交えてデザインで何がしたいのか、どういうプログラムがあると作業が楽になり、チーム内のダイナニズムにつながるかという会議を重ねた。パトリックとこの開発者は非常に考え方が似ているところがあり、何を定義し、どこまで自由度を与えられるかというポイントを気にしながらの会議であった。赤と青という2色だけでなくそれを無数に定義することも立体的に定義することもできるように自由度を持たせた。もちろんデザイン業界で他にもアイディアに関わった人はいたであろうが、その産物がグラスホッパーである。それをAAスクールの生徒に学ばせ、優秀な者を所員として採用するという流れに乗せたのである。確かにグラスホッパーは、パラメトリックデザインにおいて重要なプログラムではある。が、プログラムを使う上で、その定義づけが間違っていればパラメトリックとは言えず、ザハ事務所は多くのプログラムを使いながらプロジェクトを完成させているため、グラスホッパーやスクリプトだけでのプロジェクトは存在し得ない。つまりグラスホッパーはパラメトリックデザインという広い範囲の一部を網羅した優れたプログラムと言える。
時代の流れ
スマートフォンが誕生して10年以上が過ぎようとしている。それまでの携帯はガラケーでありタッチパネルもなかった。が、最も時代に沿った解答が本体は年に一度新しいものを発表しながらアプリは常に更新していくものであり、それを使うかどうかはユーザに委ねられる設定であった。この設定が皆それぞれ自由にカスタマイズできるところが大きな差をつけたと考えられる。時代はそう言った子供にもわかりやすく自由度の高いものに向かっている。専門的な内容が加速度的に容易にアクセスできるようになり、同時にこのアクセスが単純であればあるほどユーザーに愛されていくものである。またこのプラットフォームとそれに付随するアプリのような関係もこの10年で非常に増えている。Rhinoもプラットフォームでありながら多くのプラグインに対応できるように構成されている。建築もマスタープランとそれの付随する建築物や建物一つをプラットフォームにし、空間は随時設定変更が効くように予め設計されているものであったりと、こういった傾向の関係のものが著しく増えている。SNSもしかりである。昔はHTMLでそれぞれ自分のウェブページを作成する時代があり、それにはHTMLを習得する必要があった。それがやがてブログに移行し、少し容易になりFacebook、Twitter、Instagramといった全く専門知識が必要とされないものへと移行している。人気のページは、確かに先に述べたように個々が重要であり、よりインタラクトしやすい状態が好まれる傾向にある。パラメトリックデザインはこの自由度の高いものに対応したものであり、モダニズムではそれが欠けており、その定義が今の時代にまでは対応しきれていない部分であると言える。